史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

桐生

2019年09月14日 | 群馬県

(桐生天満宮)

 桐生は古くから養蚕業や絹織物業で栄えたが、江戸期に入って桐生天満宮を中心に市街地が形成されていった。桐生の織物業は幕府にも高く評価され、桐生は天領とされた。

 桐生天満宮に至る直線道路の両側には、江戸時代から続く当時の区割りや古い建物が今も伝えられている。

 

 

桐生天満宮

 

 桐生天満宮の公式ホームページによれば、その起源は「第十二代景行天皇の時代」というから、西暦でいうと紀元後70~130年となる。景行天皇は日本書紀に現れる天皇で、実在性は定かではないが、ともかくこの神社の歴史はとてつもなく古いということである。社殿は寛政五年(1793)の落成。県指定の重要文化財である。

 桐生天満宮の境内に橘守部筆の筆塚があると聞いたので、わざわざ足を伸ばしてみた。

 

 

筆塚

 

 公式ホームページの境内案内にも筆塚のことは記載がなかったので、本当に存在しているのか不安であったが、意外とあっさりと見つかった。ただし、この筆塚は全文が壮麗な草書で書かれており、素人は一文字も判別できない。

 橘守部は、文化六年(1809)、武蔵幸手に移住し、その折、桐生、足利の機業家らから支えられながら、独学で古典研究に励んだ。守部は文政十二年(1829)に江戸に戻り、その後、多数の書を著し晩成の人といわれるが、その基礎は幸手時代に培われたのであろう。

 

 

矢野本店店舗および店蔵

 

 桐生市内の伝統的建造物群保存地区の建物は、大正年間に建てられたものが多い。ひと際広い敷地を誇るのが矢野本店である。店舗は大正五年(1916)に建てられたもので、当方は決して大正生まれではないものの何か懐かしさを覚える建物である。和風の店舗に隣り合って、有鄰館と呼ばれる洋風のレンガ造りの倉庫が並んでいるのが面白い(現在はギャラリーや舞台、コンサート会場として利用されているらしい)。矢野本店は、享保二年(1717)、創始者である初代矢野久左衛門が近江から来住し、寛延二年(1749)、二代久左衛門が桐生新町二丁目に店舗を構えたことに始まる。清酒・味噌・醤油の醸造業のほか質商として家業を広げ、明治期以降は荒物・薬種・染料・呉服・太物・銘茶部門を扱うようになった。昭和二年(1927)、十代目の久左衛門が桐生最初の百貨店である矢野呉服店を開業するなど、桐生の商業発展に大きく貢献し今日に至っている。

 

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