史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「幕末武家の回想録」 柴田宵曲編 角川ソフィア文庫

2021年04月24日 | 書評

本書は明治二十年代から三十年代にかけて、当時まだ健在であった旧幕人からの談話を集めたものである。同種の書籍(編者によれば「姉妹編」ということになる)に「旧事諮問録」がある。「旧事諮問録」がその名のとおり諮問に答える形で進行するのに対し、本書は話し手が自ら気の向くまま語る点が両者の大きな違いといえる。

登場するのは、浅野長勲、村山鎮、内藤鳴雪、塚原渋柿、田辺太一、清水卯三郎、長岡護美、松本良順、赤松則良、沢太郎左衛門といった著名な人物のほか、市井の人も多数いる。

旧幕臣塚原渋柿(本名は靖、渋柿園とも)は、明治元年(1868)、徳川家に従って静岡に移住した一人であるが、その時の体験を語っている。この時、藩庁では移住者を輸送するために米国の飛脚船を借り入れた。渋柿園の記録によれば、総人数二千五六百という。男子だけでなく、多くは老人子供、婦女病人であった。渋柿園自身も父母、祖母、老僕の仁平を伴っていた。

船内は他人の足を枕にして、自分の足は他人の枕にされているほどの混雑であった。船が出ると、あっちこっちで船酔いのためげいげいと吐き出し、子供は泣く、病人はわめくという悲惨な状況となった。

便所は四斗樽を並べただけのものであった。男性はともかく、「然るべき御旗本御家人の奥様、御新造様、御嬢様、御隠居様」といわれた女性たちにはとてもそんな便所で用を足すことはできない。清水港に着くまで用便を耐えて、そのため船中で卒倒し、上陸後も病気になってしまった人もいた。渋柿園は「生きながらの地獄」と評している。船内の描写はまだまだ続く。数十年前の回顧談ではあるが、恐らく渋柿園の脳裏には鮮明に刻まれた記憶であろう。

「幕末外交談」という著書もある田辺太一も、本書で「幕末外交瑣談」という小編を寄せている。その中で、安藤対馬守(正睦)のことは「時務についてはなかなか精励した人」「精励恪勤の人」「談判応接に巧み」と評価している。「外交上に立派なる見識があったか否かは大いに疑うべき」としながらも、「幕末外交家中第一の人と称してもよかろう」と一定の評価を下している。

大老井伊直弼については、「大老をもって非常の偉人となし、開国の第一人者と称しているが、私の見聞するところでは、それほどの人物とは思えぬ」と辛口である。基本的には井伊は西洋嫌いであり、「開国とか鎖国とかいうことは殆ど分からなかった人」で「もし朝廷において開国説をお取りになれば、大老はあべこべに鎖国論をもって反対する人ではなかったか」とし、「開国の恩人視する如きは、甚だ無意味」と切り捨てる。同時代人の人物評だけに重みがある。

ほかにも清水卯三郎による薩英戦争の目撃談など貴重な証言が盛りだくさんである。言ってみれば、令和になって昭和の回顧談を収録したような本であり、史料的価値は低いかもしれないが、読み物としては興味が尽きない一冊である。

 

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