(馬宿)
久米通賢墓
久米通賢(みちかた)は、通称栄左栄門。安永九年(1780)、讃岐馬宿村の生まれ。高松藩の天文測量方となり、文化五年(1808)、伊能忠敬が讃岐を測量した時には案内役を務めた。文政九年(1826)、郷方普請奉行に任命され、文政十二年(1829)、坂出東、西大浜一〇一町歩の塩田を完成した。同時に銃器なども製作した。天保十二年(1841)、没。
紀功碑
久米家の墓地の近くには、久米栄左栄門通賢を顕彰する紀功碑が建てられている。昭和二十六年(1951)の建立。
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