史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

目黒 Ⅵ

2015年11月13日 | 東京都
(高福院)


高福院

 JR目黒駅のすぐ近く、大勢の人が行きかう雑踏の中に高福院がある。高福院の墓地を歩いたのはこれで二回目であるが、ようやく石井宗謙の墓を見付けることができた。


石井宗謙の墓

 石井宗謙は、長崎の鳴滝塾でシーボルトについて医学を修め、帰郷して美作勝山藩医となり、中小姓五人扶持を給せられた。のち岡山に出て、下之町で開業した。その頃、シーボルトの娘イネは宗謙のもとで六年八か月産科を学んだ。イネは不義の子、タダを産んでいる。その後、宗謙は蘭学御用として幕府に召し抱えられ、文久元年(1861)、六十六歳で江戸で没した。
 どういうわけだか、石井宗謙の墓は横を向いており、「石井宗謙墓蹟」と刻まれている側面が通路から見える。
 石井家の墓をはさんで宗謙の墓の反対側に宗謙の子、信義の墓もある。


石井信義墓

 石井信義は、宗謙の長男として天保十一年(1840)に生まれた。塩谷宕陰に漢籍、箕作阮甫、寺島宗則に蘭学を学んだ。長崎でポンぺについて蘭医学を修め、さらに緒方洪庵の適塾に学んだ。勝山藩医、のちに幕府医学所教授となった。維新後は大学東校で病理学を教えた。明治十五年(1882)、死去。四十三歳。


長谷川家墓

 墓地入口に近く、正面に「長谷川家墓」とあるのが、作家長谷川伸の墓である。右側面に「長谷川伸 昭和三十八年六月十一日歿 八十才」とある。
 長谷川伸は、「股旅物」と呼ばれる作品を数多く残したが、個人的には「相楽総三とその同志」の作者として尊敬している。

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