史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

城里

2010年12月18日 | 茨城県
(鹿島神社)
 今年平成二十二年(2010)は桜田門外の変から百五十年というメモリアル・イヤーである。この記念の年に桜田烈士といわれる二十人の墓を訪ねることが今年の“目標”であった。これまで常磐共有墓地などに在る彼らの墓を訪ね歩き、残るは城里町の鯉淵要人と増子金八の二人となった。
 本年も残すところ一か月を切った。年内に二人の墓を訪ねるとすれば、この日がラストチャンスであった。墓の場所は事前に十分調べきれず、阿波山の町立図書館に寄ってそこで調べることにした。城里町は、平成十七年(2005)に常北町、桂町、七会村が合併してできた町である。未だに昔の町村の壁が存在しているようで、この図書館では旧桂町のことは分かっても、それ以外の史跡は分からなかった。
 仕方なく増子金八の墓があるという石塚地区へ向かう。交番で宗清山墓地の在り処を尋ねてみたが、若いお巡りさんは聞いたことがないという。当てもなく石塚地区を歩いてみたが、そんなことで見つかるものではなかった。残念ながら、この日はこれで撤収することにして、次の目的地である鯉淵要人の墓を目指すことにした。増子金八の墓は来年以降の課題である。


鹿島神社

鯉淵要人の墓は、上古内の鹿島神社に隣り合う鯉淵家の敷地内の墓地にある。鹿島神社は建て替えられて間もないらしい。


贈正五位鯉淵要人墓

 鯉淵要人は、上古内(現城里町上古内)の諏訪神社祀官の家に生まれた。尊王攘夷の信念が強く、また剣は無念流を学んで抜群といわれた。桜田門外の大老襲撃に参加し、彦根藩の護衛何名かを斬り倒したが、自身も重傷を負った。引き上げる途中で力尽き八重洲河岸で自刃して果てた。五十一歳であった。

 辞世

 君が為 思いを張りし 梓弓
 ひきてゆるまし やまと魂

(伊藤益荒・斉宮自刃の地)
 増子金八の墓に続き、「伊藤益荒、伊藤斎宮自刃の地」が分からない。このまま帰ろうかと半ば諦め気分であったが、ダメモトで商店のおじいさんに聞いてみた。おじいさんは、メモ用紙に地図を書きながら「この前の道を真っ直ぐいくと、右手に物産センターがあるから、その前の道を百メートルくらい行けば、登り口がある…」と、そこまで説明してくれたとき、「近くにデリバリーがあるから、これから車で行くよ。付いてきなさい」ということになり、ご親切にも登り口まで案内して下さった。登り口から落ち葉の絨毯が敷き詰められた坂道を進むと、左手に鳥居が見える。その奥に高さ一メートルくらいの石碑が建っている。


伊藤両氏(天狗党)自刃の碑

 伊藤益荒は島原脱藩浪士。伊藤斎宮は高崎脱藩浪士。ともに天狗党挙兵に参加した。横浜の異人を襲撃する計画を立て、鹿島に及んだところで幕府軍および佐倉藩、麻生藩兵に要撃され、鉾田、岩間、杉崎と敗走を続けた。このとき既に残兵は十数名となっていた。二人は小勝(おがち)に落ち延び、ここで一夜を過ごしたが、翌朝、笠間藩兵に発見されてこの地で自刃した。元治元年(1864)九月九日のことであった。

(黒沢止幾生家)


黒沢止幾生家

 黒沢止幾は文化三年(1806)に当地(現城里町錫高野(すずごや))に生まれた。父は修験者黒沢将吉といい、寺子屋を営んでいたという。安政六年(1859)、安政の大獄で藩主斉昭が処分を受けると、止幾は単身、京都に出て、斉昭の雪冤を訴えようと決意した。一か月の旅の末、京都に着いた止幾は、孝明天皇に自作の長歌を献上したが、ほどなく同心に捕えられる。厳しい尋問を受け、中追放処分を受けた。維新後、止幾はひそかに錫高野に帰り住んで、明治五年(1872)、六十七歳のとき、小学校教師となった。日本初の女性教師と言われる。教師と退職したあとも私塾を開き、生涯を教育に捧げた。明治二十三年(1890)八十五歳で死去。


黒沢止幾手植えの松

 明治八年(1875)、止幾七十歳のとき、大洗の徳川斉昭公の記念碑を訪ねた折、その記念に小松を持ち帰り植えたものである。


黒沢止幾生家の内部

 黒沢止幾の生家は、今は無人である。鍵はかかっておらず、内部を自由に見学することができる。ほとんど維持保存の手が加えられておらず、家屋は荒れ放題となっている。室内も長らく清掃された気配もなく、このままでは取り壊されるのは時間の問題であろう。貴重な史跡を大事にしてもらいたいと切に望む。


贈位三十年記念碑

 昭和十一年(1936)、贈位三十年を記念して建立された記念碑である。この近くに墓もあるらしいが、とても独力で探せる様子ではなかった。

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