史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

登米

2013年07月06日 | 宮城県
(昌学寺)


昌学寺山門

 昌学寺は、弘治元年(1555)の開山。山門(鐘楼門)と観音堂は寛政年間の建造である。


仁雄院忠参蘆洲居士
(芦名靱負墓)

 境内には伊達家一族の芦名氏の墓所があり、幕末の当主芦名靱負の墓がある。
 芦名靱負は、天保十年(1839)登米郡石越村に生まれた。父は佐渡盛長。諱は盛景。小姓頭から若年寄兼大番頭、藩校養賢堂御用掛等の要職を歴任し、参政にのぼった。戊辰戦争では左備指揮掛となり、額兵隊を総督した。越後、会津に転戦、戦後箱館に走った額兵隊統率の責を問われて明治二年(1869)六月、家跡没収のうえ永揚屋入りを命じられた。明治五年(1872)正月、許されて、のち西南戦争にも出征。その後は伊達家の家扶となった。詩画を得意とした。明治二十九年(1896)東京芝邸にて没。年五十八。

(佐沼城跡)


佐沼城跡

 佐沼城は別名鹿ヶ城とも呼ばれ、平安末期から歴史に登場する古い城である。伊達氏が仙台を治めるようになって以降、湯目氏(のち津田と改姓)、その後亘理氏が移り幕末まで続いた。


弔魂碑

 現在、佐沼城跡は史跡公園となっているが、その一角に佐沼領から出兵した戦死者の弔魂碑が建立されている。明治七年(1874)の建立。

(香林寺)


香林寺


戊辰役戦没者之塔

 香林寺は、旧豊里町唯一の寺院で、豊里町のほぼ全戸が檀家と言われ、裏山が開かれて広い墓地が造成されている。境内に戊辰役戦没者之塔が建てられている。これは登米隊、松山隊の戦死者四十名の慰霊碑である。建立は昭和四十五年(1970)。

(福田寺)


福田寺


弾忠潔儀居士(池田亀太郎墓)

 福田寺に池田亀太郎の墓がある。池田亀太郎は、銃士。慶應四年(1868)五月一日、白河で戦死。

(登米神社)


登米神社


登米招魂碑

 登米神社境内に登米領戦死者の招魂碑が建てられている。

(本覚寺)


本覚寺

 本覚寺には仙台藩士米谷吉郎右衛門の墓がある。
 米谷吉郎右衛門は、藩老伊達筑前家来。戊辰戦争では中隊頭として活躍した。明治二年(1869)、旧幕兵隠匿の疑いで捕えられ、五月三日斬に処された。四十六歳。


米谷貫通先生墓
(米谷吉郎右衛門墓)

(冷松寺)


冷松寺

 冷松寺には、仙台藩米谷領戦死者の招魂碑が建立されている。旧米谷領主高泉兼之によって明治十三年(1880)に建立されたものである。


招魂之碑


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