(松窓寺)
松窓寺
前回、大崎岩出山を訪ねた際にも松窓寺で戊辰殉難者吉岡今之助、曽根忠右衛門の墓を探したが、いくら歩き回っても見つけることができなかった。今回、竹さんに案内してもらって、両名の墓にようやく出会うことができた。曽根家の墓は墓地のほぼ最前列に近い場所にあるが、表面に地蔵が刻まれているだけで、なかなか見つけにくい。対して吉岡家の墓は墓地の最上段に近い。前回も近くまで来ていたが、もう一歩の執念が足らなかった。
曽根忠右衛門の墓
曽根忠右衛門(忠左衛門とも)は、岩出山町裏小路の人。慶應四年(1868)、七月十一日、羽前金山にて戦死。二十歳。
この小さな墓石側面には、忠右衛門の法名と俗名、没年月日が刻まれている。
吉岡家之墓(吉岡今之助の墓)
「幕末維新全殉難者名鑑」によれば、吉岡今之助は、玉造郡岩出山大学の士。慶應四年(1868)羽前蟻谷口にて戦死。三十六歳。
墓石背面には先頭に今之助の名前が見える。それによれば没日は七月十一日。二十六歳。法名は「智高良勇居士」と読める。