(薬王院)
薬王院 本堂
水戸南郊の薬王院は、平安初期の開基と伝えられる名刹である。本堂は享録二年(1529)に再建されたもので、その後修理改造は加えられているが、当時の用材が遺っている貴重な文化財である。元治元年(1864)八月、水戸城に迫った松平頼徳は、薬王院に入って水戸城内の諸生党からの使者と応接していた。まだ、交渉が続いているというのに、銷魂橋付近に陣取る諸生党側から発砲があり、このままでは戦闘は避けられない状況となる。頼徳らは薬王院で議論を重ねた。諸生党の不遜な態度に怒りが満ちたが、戦争になるのを避けたい頼徳の意向を受けて、大発勢はいったん塩崎の長福寺まで退くことになった。
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薬王院 本堂
水戸南郊の薬王院は、平安初期の開基と伝えられる名刹である。本堂は享録二年(1529)に再建されたもので、その後修理改造は加えられているが、当時の用材が遺っている貴重な文化財である。元治元年(1864)八月、水戸城に迫った松平頼徳は、薬王院に入って水戸城内の諸生党からの使者と応接していた。まだ、交渉が続いているというのに、銷魂橋付近に陣取る諸生党側から発砲があり、このままでは戦闘は避けられない状況となる。頼徳らは薬王院で議論を重ねた。諸生党の不遜な態度に怒りが満ちたが、戦争になるのを避けたい頼徳の意向を受けて、大発勢はいったん塩崎の長福寺まで退くことになった。
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