史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

秋田

2012年05月16日 | 秋田県
(千秋公園)


久保田城跡

東京から六百㎞以上北上。どこかで桜前線を追い越したようで、東京を出たときにはすっかり葉桜になっていた桜が、秋田県では盛りを迎えていた。満開の桜を見るたびに日本人に生まれて良かったという思いに浸るが、観光目的ではない私にとって、各所で開かれている「さくら祭」には閉口した。静かに史跡を鑑賞したい向きには、「さくら祭」は大敵である。千秋公園では、酔客を避けながら写真撮影を続けることになった。


久保田城 御隅櫓

久保田城は、佐竹氏の入部後、寛永八年(1631)に完成した。現在は、千秋公園と呼ばれる広大な公園として整備されている。


佐竹義尭公銅像

御隅櫓を入ると、佐竹義尭銅像のミニチュアが出迎えてくれる。
佐竹義尭(よしたか)は、十二代久保田藩主である。もともと陸奥相馬氏の出身であるが、嘉永二年(1849)に秋田藩支藩の佐竹義純の嗣子となり、安政四年(1857)に宗家義暁が卒すると遺命によりその跡を継いだ。藩政改革、財政改革に追われるとともに、文久三年(1863)には平田延胤(篤胤の孫)ら藩内の急進派に動かされて上京した。慶応四年(1868)七月、奥羽鎮撫使一行が城下に滞在し藩論が二分された際、自ら新政府支持を決断した。その後、秋田藩は奥羽越列藩同盟を相手に数カ月にわたって戦うことになった。明治後、久保田藩知事に任じられた。廃藩置県後は東京に移り住み、明治十七年(1884)六十歳にて逝去。



佐竹義尭公の像

最後の藩主佐竹義尭を敬慕する旧家臣が中心となって、戊辰戦争五十年を目前にひかえた大正四年(1915)に千秋公園内に銅像を建立した。第二次大戦の金属供出により一旦姿を消したが、市制百年となる平成元年(1989)に復元されたものである。


弥高神社

弥高(いやたか)神社は、平田篤胤と農学者佐藤信淵を祭神とした神社である。明治十四年(1881)に有志により平田神社が創建されたのが起源で、明治四十二年(1909)、佐藤信淵を合祀して弥高神社となった。名称の弥高は、旧藩主佐竹義和が藩校明徳館に掲げた扁額「仰之彌高」に因んだものである。


秋田八幡神社

秋田神社は、初代藩主佐竹義宣を祀るために明治十四年(1881)に創建されたもので、のちに九代義和、十二代義尭を合祀することになった。

(中央図書館明徳館)


中央図書館明徳館

秋田藩校明徳館の名は、図書館と秋田明徳館高校に引き継がれている。実際に明徳館があった場所は、図書館の隣、現在県立美術館がある辺りと推定される。秋田に明徳館が開かれたのは、九代藩主佐竹義和のときである。戊辰戦争のときには、奥羽鎮撫総督の本陣、政庁、政務所が置かれた。

(平田篤胤大人終焉之地)


平田篤胤大人終焉之地

平田篤胤が没したのは、江戸追放処分を受けたその二年半後の天保十四年(1843)九月のことであった。六十八歳であった。

幕末の秋田藩が新政府軍側についたのは、平田国学の存在が大きいといわれる。加えて、佐竹義睦夫人悦子と叔父にあたる土佐の山内容堂との関連も作用したともいわれる(佐竹史料館学習講座佐竹氏と天徳寺「天徳寺の歴史と佐竹氏」)。

(五丁目橋)


五丁目橋

斬殺された仙台藩の使者は、五丁目橋のたもとに首をさらされた。使者の一人である志茂又左衛門を訪ねてきた弟の丁吉や下僕まで捕えられて斬首されている。


川反観音

橋のたもとでは、仙台藩士供養のために建立されたという川反観音が静かに往来を見つめている。

(土手谷地街区公園)


平田篤胤先生誕生之地

市内、中通り四丁目の土手谷地街区公園が、平田篤胤誕生の地である。
平田篤胤は、安永五年(1776)、久保田城下中谷地町(現・秋田市中通り四丁目)に生まれた。父は久保田藩大番組頭大和田清兵衛。小さい頃から漢学や医術を学び、二十歳のときに江戸に出て苦学しながら多くの学問を修めた。二十五歳のとき、備中松山藩主板倉周防守に見いだされ、備中松山藩士平田藤兵衛の養嗣子となり、平田姓を名乗ることになった。二十八歳で最初の著作、「呵妄書」を著し、以来国学に傾倒していった。
本居宣長の国学に心酔し、宣長の死後の弟子となった。平田篤胤の思想は、幕府から「世を惑わす」として、天保十二年(1841)、六十六歳のとき江戸追放処分を受け、秋田藩預かりとなった。

(中通六丁目街区公園)


砲術所跡

中通六丁目街区公園が、秋田藩の砲術所跡地である。
秋田藩がオランダ式を取り入れた兵制改革により、元治元年(1864)に建築に着手し、翌年秋に操練場、的場、館舎が落成した。大砲、歩兵の二科が設けられ、吉川忠安を頭取として本格的に西洋砲術の修練を行った。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 能代 | トップ | 秋田 北部 »

コメントを投稿

秋田県」カテゴリの最新記事