(郷原)
山中貞輔氏の碑
国道18号線と旧中山道が交わる交差点の南側に山中貞輔氏の碑がある。山中貞輔は、中後閑から郷原の山中家に養子に来た人で、山中家十二代目を継いだ。学問に長けており、江戸末期から明治にかけて寺子屋を開いていた。この碑は、師を偲んで子弟らが建てた歌碑である。
月の入る 西の都を さし行ば
帰らぬ旅に 迷路もなし
松郷斎一志翁之墓(中島忠七の墓)
山中貞輔氏歌碑のある場所から細い道を少し下ると、小さな墓地がある。その中に新島襄の祖父弁治の父(つまり曽祖父)忠七の墓がある。新郷原の中島家は、宝暦年間に上方から安中藩領の郷原に土着したといわれる家系である。
山中貞輔氏の碑
国道18号線と旧中山道が交わる交差点の南側に山中貞輔氏の碑がある。山中貞輔は、中後閑から郷原の山中家に養子に来た人で、山中家十二代目を継いだ。学問に長けており、江戸末期から明治にかけて寺子屋を開いていた。この碑は、師を偲んで子弟らが建てた歌碑である。
月の入る 西の都を さし行ば
帰らぬ旅に 迷路もなし
松郷斎一志翁之墓(中島忠七の墓)
山中貞輔氏歌碑のある場所から細い道を少し下ると、小さな墓地がある。その中に新島襄の祖父弁治の父(つまり曽祖父)忠七の墓がある。新郷原の中島家は、宝暦年間に上方から安中藩領の郷原に土着したといわれる家系である。