国鉄フライヤーズ

目指せカネ、ヒマ、若さ

和解の酒・追悼小林繁さん(野球舌)

2010-02-04 01:00:00 | 野球、その他スポーツ
江川&小林 因縁の二人"和解の酒"


久しぶりに野球の話です。

二、三日前のスポーツ紙の一面は朝青龍暴行問題一色でしたね。
でも我が道を行く「道新スポーツ」は日ハム中田のキャンプ情報でした。
デイリースポーツと同じ(金本ネタ)でブレないのがいい。
「関係者」のリーク情報じゃなくてちゃんと取材しているし。

キャンプ情報が聞かれ始め野球の季節が来ようとしている。

さて野球舌というPODCASTがありまして、若者二人が野球を語るんですね。
一人は甲子園の控え選手、もう一人はサッカー少年だったらしいが二人とも
無類の野球好きです。

語り部世代と自分たちを評し今の球界だけでなく昔の名選手についても語ってくれます。

若者らしいウダ話、下ネタも含めおバカトークも多いんですが、何か惹かれるものがあります。
結構というかとっても地頭いいのね、多分。

良質なオタクです。

っていうか、オタクってすごい。
オタクでない立場から見ると奇跡の様な人たち。
確実に「何か」を生み出しています。

この「野球舌」、江夏豊さん、私が高校学院時代、早稲田のエース投手だったが後にスカウトとして
ダイエー新垣獲得騒動に飲み込まれ自ら命を絶った(知らなかった)三輪田さんとかのいい話があります。

大毎ミサイル打線の中心打者だったの榎本喜八の話もあるとか。
是非発掘して聴いてみたいなあ。
お友達のロッテファン、コシバさんに教えてあげたい(野球舌君に問い合わせたところ第7回
「楽天・ヤクルトの巻」とのことです)。

コシバさんは週末にベトナム赴任が決まり今年は彼とのロック・コンサートや野球観戦に行けないのが残念です。

当ブログは野球大好きですがそんなには掘り下げていないので彼らに影響を受けているというか
参考にしてるというか、多分パクっているところもあると思います。

この「野球舌」、昨年7月に江川、小林「空白の一日」に焦点をあててくれました。
先日急逝されてしまった小林さん。
阪神で帽子を飛ばしながら巨人戦8連勝したピッチングが目に焼き付いてます。

この二人がお酒のCMをきっかけに再会した様子が限定版DVDになっているらしく野球舌君たちに熱く語られている。

お宝のDVDを見たわけではないが伝わってきますねえ、小林、江川御両人の人間性。
優しいのね野球舌君たち、メチャクチャ口は悪いが。
好感が持てます。

小林さん、久しぶりの球界復帰で昨年から我が日ハム二軍コーチとして成果を上げ、
今年は吉井と入れ替えで一軍投手コーチとして連覇に尽力してくれるはずでした。
ご冥福を祈るとしか言いようがありません。

野球好きだったらこのチェックして損はないです(言いきってみた)、この番組。
ホーム・ページから過去の放送も全てダウン・ロードできます。

但し、途轍もなく長い。
平気で3時間くらい話しています、この青年たち。

土日のロング・ウオーキングのお供に。

小林さん追悼記事で「出色」と野球舌に取り上げられたコラムを引用します。
泣けました。



「おれには守るものがない」 格好よかった小林繁さん
1月18日11時49分配信 産経新聞


小林繁氏
 プロの投手として、1人の男として「格好いい」の言葉がよく似合った。
白いキャンバスに絵を描くように、小林さんのマウンドは1球目から計算されていた。

イニングのはじめに彼はマウンドでよくスコアボードを見つめた。
何を見ているのか。
素朴な疑問に「この回は誰にヒットを打たせればいいか考えているんだよ」と答えた。

 また格好つけて…。

「投手が避けなければいけないこと。それは3番、4番の前に走者を出すこと。
逆にいえば3番、4番からはじまるようにすればいい。
そのためには、誰かにわざとヒットを打たせることもある」

 格好よすぎるよ、コバさん。
そんな彼が素顔を見せたときが1度だけあった。
引退する前年の1982年暮れ。小林さんは5歳になった息子をはじめて鳥取の実家に連れて帰った。

 小林夫婦は数カ月前に離婚が成立し、「子供たちは小林姓を名乗ること」で決着していた。
どうして離婚したんだろう。
素朴な疑問。
はじめは「大人の事情」と言って黙っていた小林さんが、その“事情”を話し出したのは枕を並べて寝はじめたときだ。

 「浮気がばれたんだよ」
 「シラを切らなかったの?」

 「認めた。正直に言えば、わかってくれると思ったんだ」
 「分かるわけないでしょ」

 「そうなんだ。大泣きして、娘と息子を連れて実家に帰ると言い出すし。
あしたから宮崎キャンプだったし『宮崎から電話する』と言って、おれが家を飛び出した」

 「宮崎から電話しなかったの?」
 「宮崎へは行けなかった。あの騒動で…」

 翌日、羽田空港から小林さんは連れ去られ「江川騒動」の渦中に飲み込まれた。
夫人への電話もできず、話し合う時間もないままに…。
あの騒動で小林さんは超一流の選手になった。
が、その裏で大きなものを失っていた。

 「おれには守るものがないからな」。
83年、13勝を挙げながら小林さんはユニホームを脱いだ。
惜しまれながら。
「男の美学」とも言われた。
だが、本当はもっとボロボロになるまで投げたかった。
ただ、投げる理由、守るものがなかっただけ。

 格好よかったよ、コバさん。(田所龍一)