国鉄フライヤーズ

目指せカネ、ヒマ、若さ

文殊

2011-06-29 01:00:00 | 社会、マスゴミ、教育
有限な化石燃料に変わるウランを用いた原発。
と言ってもウラン資源も有限だ。
しかし使用済みウランから取り出したプルトニウムを高速増殖炉で発電しながら増殖する。
この夢の技術で今後4000年に亘り発電ができる。

先進各国が競って開発競争をした核燃料サイクル。
巨額の費用が投入されたが安全性とコスト面での障害を乗り越えられず、
米英仏独、いずれもとっくの昔に計画を断念した。

引き継いだ欧州各国共同プロジェクトも計画中止。

なぜか日本は3兆円ともいわれる税金を投入。
しかし原型炉もんじゅは相次ぐトラブルで増殖どころか殆ど発電をしたこともない一方、国民の安全を脅かす怪物だ。

自分たちの計画の無謬性を脅かされたくない官僚はずるずるプロジェクトを継続。
実証炉を経て実用商業炉が完成するのは役人の計算でも2050年。
これは更にずるずるずるずると引き延ばされ当初関係者がこの世を去り責任者がいなくなるまで
血税が無駄にされるのだろう。

一方原発1基当たり30-90億のカネが自民党政治家の懐に消えた。
54基だからたいした金額だ。
そして年間5000億の補助金が政官報学と地元にばら撒かれる。
電力会社や電磁連の広告宣伝費年間3000億円はメディアへの賄賂だ。

その「もんじゅ」が初臨界した1994年に作られたドキュメンタリー。
この時点で技術面、コスト面で実用化が極めて困難だという認識が随所に見られる。
しかし関東軍のように突っ走る官僚のポイント・オブ・ノー・リターンの初臨界。
否が応でも核燃料サイクル地獄に日本はコミットさせられたかに見えた。

だが「もんじゅ」は半年足らずでナトリウム漏出事故を起こし運転停止。
その後も相次ぐ不具合で停止したまま。
それでも2012年だとか、2013年だとかにはこの原型炉を運転すると言っていますな、役人は。

民間企業ならとっくに止めていたはずだ。
他人のカネの無駄遣いには痛痒を感じないのが人間だ。

これに対する批判はテレビ・新聞ではご法度。
ということで当時のドキュメンタリーを見てみよう。

案内役は平松邦夫現大阪市長、ということは毎日放送でしょうね。


もんじゅ臨界 1


1994年、「もんじゅ」についに火が灯ったのは原発集中地帯である敦賀半島。
「もんじゅ」を受け入れたのはわずか15戸、住民80人の白木地区。

ここは陸の孤島で峠を越えて医者が来る時は患者の命が尽きるときだけだ。
そんな白木地区にトンネルが開通。
敦賀市内まで30分で行ける。
通勤圏内だ。
更に9名が動燃で仕事を得た。
しかし住民の思いは複雑だ。

総工費6000億。
内橋克人によると1-3%が政治家へのキックバックとか。
60-180億。
発電量はわずか28万キロワット。

もんじゅ臨界 2


高速増殖炉の解説。
燃えるウランであるウラン235は全体の1%しかない。
しかし残りの99%であるウラン238に高速で中性子を当てると、核分裂を起こすプルトニウム239に変わる。
中性子のスピードを上げるため冷却には水の代わりにナトリウムを使う。

この冷却用ナトリウムの取り扱いが難しい。
アメリカでは50-60年代、相次ぐ炉心溶解で計画が断念された。

建設費が高く効率が悪いためウランが200ドル以上にならないと採算が取れないというのが世界の見方。
(因みに日本の計算では100ドルが採算ラインとか、インチキ見積は官僚の常とう手段)。
311前後で50ドルくらいだったウラン。
あちこちで原発が運転停止した今。
もっと下がっているのかな。

もんじゅ臨界 3


当時の科学技術庁長官江田五月。
細川政権という非自民政権ですな。
長いスパンでは引き合うという江田氏だが、その目処はと聞かれると。
言葉を濁した。

もう一つの側面は軍事転用。
プルトニウムは核兵器の原材料。
「もんじゅ」のプルトニウムは純度が高く最適だ。

日本が核兵器保有能力を持つことの意味は。
意思が無くても能力を持つことで周辺国を核保有に駆り立てるに十分な動機を提供する。

確か日本が保有するプルトニウム(所有権ベースで)は40トンだったかな。
人類滅亡に十分な量だ。
北朝鮮はわずか50キログラムで経済制裁を受けた。

話は核燃料サイクルのもう一方の柱、再処理工場のある下北半島六ヶ所村へ。
ここも過疎地帯だ。


異論紹介

2011-06-27 01:00:00 | 備忘録
原発を核抑止力という安全保障の観点から必要と見る佐藤優。
こういう言論が日の目を見るというのは我々の世代からするとちょっとした奇跡かもしれない。
賛成と言うわけではないがタブーは少ないほうが健全だ。

一方、反原発の動きををロックフェラーの逆襲という文脈から読み取り「年間100ミリシーベルトは安全だ」と言い切る副島隆。
石油を支配し戦争で儲ける勢力による反原発の動き。。
グリーンピースが財政的にロックフェラーに大きく頼っているという記事は本ブログでも紹介したことがある。

原発はロスチャイルドの利権、とはよく言われることだし(こちらは勿論BP、シェル等石油・ガスも押さえている)。
スリー・マイルの原発事故は石油・戦争推進勢力のヤラセだと言ってる人もいる。
みんなの党が脱原発を政策の中心に据えたのも関係があるのか。

陰謀論だな。
いいんじゃないかな。
いろいろ勘繰って推測することは思考の幅を広げる。
但し、それに囚われると逆に幅が狭くなる。
その辺のさじ加減が大事だ。

そして、何と何と、副島先生!
日本の嫌われ者ナンバー・ワン、福島県アドバイザーの山下俊一教授を熱烈支持している。

議論の内容はともかく、雄々しい言論人だ。
人に嫌われるのを厭わない変人ですな(笑)。
言論に覚悟という重みがあるということだ。

そこから何を掴むか、そして何を捨てるかは各人のリテラシーの問題だ。
日本の核兵器保有には反対だし、100ミリシーベルト安全説をそのまま信じる気には到底なれない。
安全説は自説に拘るあまりの暴論かもしれない。
でも言論の多様性はありがたい。
怖いのは大手メディアの大本営発表体質が事実を隠蔽し世論を誘導するだ。



佐藤優



日本に54基もの原発が存在することには、表と裏の理由があります。
表の理由は、原子力発電はクリーンに、そして安価に大量の電力を作り出せること。
裏のそれは核による抑止力を維持する必要性です。
日本が原発を持っているということは、核兵器を作りうる潜在能力を維持しているということにほかなりません。

IAEA(国際原子力機関)はしょっちゅう日本に対する査察を行っていますが、それは日本が核兵器を作ろうと思ったら3カ月でできると考えているからなのです。
安全保障の専門家の間では、これは常識です。

時代が帝国主義化している今、善し悪しは別として、核兵器による抑止力を抜きにして安全保障は成り立たないでしょう。
米国ではスリーマイル島の事故で原発の開発がストップしましたが、一方で軍事面の核開発はやっています。

日本の場合、平和利用のためという大義名分なくして核開発をするわけにはいきません。
だからこそ日本は、福島第一原発がこういう事態に直面してなお、脱原発に踏み切れないのです。



副島隆彦



私は、このJ-CASTニュース も 偏向している団体だと思っています。
以下の記事の中で、 山下俊一教授(やましたしゅんいち。福島県の放射線健康リスクアドヴァイザー)への解任要求をした、と書かれている
 「 FoE Japanやグリーンピース・ジャパンなどの環境NGO 」というアメリカの息のかかった、おかしな 日本国民扇動(せんどう)のための、団体のひとつだということだ。 
ついに お前たちの正体を顕(あら)わしたな、と私は考えます。 
これらの 環境NGO(エヌ・ジー・オウ 非営利、非政府の公共利害の追求団体)が、実は、アメリカの巨大石油会社である、エクソン・モービルからの資金援助で動いて、
たとえば、日本の捕鯨活動(調査捕鯨というやや品のないやり方での捕鯨)への激しい実力行動などで知られる。

まず、この J-CASTの記事の書き方の中で、山下教授の5月3日の二本松市での発言からの 引用で、
「100ミリシーベルトで、5人くらいがんのリスクが上がることが、長年の調査結果で分かっている・・・」と書いている。

しかし、この「100ミリシーベルト」が、24時間×365日=8760 という、一時間当たり(パー・アワー)の 放射線量の、大雑把で、実にいい加減な、バカげた、
8760倍という単純積算による 一年間の年間被曝総量であることを書いていない。 

少なくとも、「年間総量(パー・イヤー per year )の100ミリシーベルト」のごく微量(びりょう)であることを、常に書かなければならない。 
原発の現場の作業員たちの積算計による 放射線総量の250ミリシーベルトなどとは、比較にならないぐらいの 超微量(ちょうびりょう)である。 
この厳格な事実の、国民的な議論を抜きにして、現在の、「放射能こわい、こわい」派の 扇動言論のすべて が行われている。

そのうえで、「100ミリシーベルトで5人くらいのがんのリスク」というのは、「一万人で5人」のがんが、5年後、10年後に、
その放射線事故による放射線の影響で生じる 確率論的なリスクが、「200ミリシーベルト年間総量(こっちは厳格な積算での)」で 出現する、
という 放射線医学上の 放射線医学者たちによる、世界的に認められている(当然、日本の放射線医学者たちの圧倒的に認めている)
科学的な事実(サイエンティフィック・ファクト scientific fact )である。

10000人(一万人)で5人ということは、1000人で0.5人だから、2000人に1人ということだ。
しかもこれは、200ミリシーベルト年間総量の放射線被ばくの場合の症例だ。 
がん患者の発病は、若い人も含まれるが、ほとんどのがん患者は、老人だから、2000人にひとりが、5年後、10年後に出る、という事実を、
私たち 日本国民が、「どうやって、事故を起こした放射能のせいで、その老人ががんになったと証明できるのか」という健全な疑問を持つべきだ。

 放射能は、天然痘やこれらのような病原菌ではない。 
放射能(レイディオウ・アクテヴェイティ radio activity )あるいは放射性物質(レイディエイション、radiation )というのは、
最終的には熱量(ねつりょう、ジュールという単位で測定する)である。 
ばっ と 核爆発(=再臨界)の放射線の光を浴びたり、高熱の爆風を浴びれば、5から6シーベルトを瞬間で浴びたら、200日ぐらいで死亡する。 

しかし、それに対して、放射性物質のガス(気体状)や酸化物などの 微小の塵(ちり)のようなものをが降って、
それが、地上に1000ミリシーベルト(=1シーベルト)の単純積算の年間総量ぐらいのちっぽけな量を浴びても、人間は、赤ちゃんを含めて、元気のままだ。全く問題はない。
呼吸や、食物で、体内に取り込んでも、すべて体外排出される。

ばっと核爆発の光を浴びたり熱風を浴びなければ、人間は、みな、微量の放射能などでは全く被害はない。
85歳まで元気で生きて行ける。遺伝子を壊されることと、小腸(消化器官の造血機能)を毀損しなければ、みな、大丈夫だ。 
爆風や光を核爆発で浴びなければ人間は、なんともない。

現に、爆心の5キロ圏の外の、広島、長崎の被爆者たちは、被爆者手帳を握りしめたまま85歳までみんな元気で生きている。

がん患者で、放射線治療を受けたことのある人なら、その周囲の人も含めて、すべて知っている事実がある。
それは、一回当たりの 照射される放射線は、なんと 2シーベルト毎時(パーアワー)である。
それを、2か月ぐらいで、合計60シーベルトぐらい浴びるのだ。それでがんの治療をしている。 

なぜ、 福島の現地で、10キロ圏でも、たったの 5から10マイクロシーベルト毎時(一時間当たり、パー・アワー 5~10μSv/hour )ぐらいの超微量に
バカげた、単純積算の、 冒頭で書いた、8760倍をかけて、それで、10×8760= 87.6ミリシーベルト年間総量(パー・イヤー) だ、と言って、
「高濃度(こうのうど)だ」と、騒ぐのか。

この「放射能こわい、こわい派の、低能の、集団ヒステリーを扇動する者たち」との、闘いを、私たち学問道場は、徹底的にやります。

頑強に学問的真実を掲げて、ひとりで誠実に闘い続ける山下俊一教授を、私たちは、強く強く応援します。
山下教授を守りぬこうとする福島県人たちとともに、私たちは、この 現下(げんか)の焦眉(しょうび)の、国論を二分する言論戦 を、闘い抜かなければならないと思います。  

浜通りから何を発信するか

2011-06-24 01:00:00 | 社会、マスゴミ、教育
原発避難区域は犬や牛の群れが闊歩する無法地帯に


原発に限りなく近づいた取材の動画。
原発から1.5kmの地点で100μSv/hを記録。
原発避難区域は犬や牛の群れが闊歩する無法地帯。


地震速報で有名になった福島県浜通り。
福島県は西から会津、中通り、浜通り。

この地の農業。
夏場の冷害「やませ」に見舞われ浅間の噴火でで苦しめられた。
幾多の災厄を乗り越えながらコメの収穫を守り続けてきた歴史。

それが現代になり、多種多様な野菜や果物の収穫という形で発展を遂げてきたそうだ。
そして今放射性物質による農作物汚染という人災に見舞われている。

福島第一原発の放射性物質漏れ事故以降、半径20キロ圏内の住民は避難、20~30キロ圏内の住民は屋内退避で、
事実上、農地は放棄された。

この地に農業が復活する日は来るのか。

残念ながら、来るとしても遠い将来ではないかな。
だったら浜通りを日本における自然再生エネルギーのシンボルにできないのだろうか。

中沢新一が言っていたように避難地区に太陽光パネルを敷き詰めたらどうだろう。
そして洋上の風力発電。

自然再生エネルギーの研究施設。
先日レアメタルを使わず今までの100分の一のコストでできる太陽電池基板を金沢工大が開発したことを
紹介した。
三菱化学は炭素材等、有機物でできる(従ってこちらもシリコンとか要らない)太陽電池の実用化に目処を付けた。
なんと印刷できる太陽電池だ。

やることはいくらでもある。

そして土壌や海水の放射能除去研究。

ポスト原発の世界を象徴する地、フクシマ。

この地域が力強く復興するためのビジョンが求められているのでは?
復旧じゃなく、復興。
失った日本への信頼を取り戻すビジョンについて語るとき。

聞かないなあ、ビジョンの話。
相変わらず、誰をどうするみたいな人事の話ばかりじゃない?
次のリーダー候補がビジョンを発信したという話も聞かない。
我々日本人の不得意分野なのだろうか。


ところで、ダッシュ村は浜通りの双葉郡浪江町にあったんですってね。

DASH村のテーマ


 

原子力学会がNRC日本版を作れだって、バーカ(ジャーナリストは何をしている)

2011-06-22 01:00:00 | 社会、マスゴミ、教育



テレビ、新聞はあまり見ないがツイッターでNHK、朝日、産経の記事はチェックしている。
原発事故の実態に迫る報道は相変わらず殆ど皆無だ。
隠ぺいが言いすぎだとしても事態の後追いだ。
読者が報道に先行?

どんどん部数が減る新聞。
テレビもつい最近午後7時台の視聴率が民放全局が一ケタに落ちたらしい。
そこまで大手メディア離れは進んでいる。

東京新聞だけが頑張り始めていたが最近はどうなのだろうか。
原子力ムラから距離を置く報道姿勢は正しい経営判断だと思う。

そんな中、しばらく前にNHKが報道していたが、原子力学会が日本版原子力規制委員会(NRC)を作れと。
役に立たないですな、原子力学会という御用学者集団。

アメリカのNRCは原子力推進のインサイダーで国民の知る権利を奪ってきた。
前身のAEC(原子力委員会)から60年以上ずっとそうだった。

アリバイ工作の税金無駄遣いは許されるべきでない。
政府がいくら隠しても事態は進行している。
大手生保では放射線量の高い地域での新規契約に慎重になっている。
被曝の告知が要求されるが、「どう判断するかは明確に言えない」そうだ。

確率論が飯の種の保険業。
擬似資本主義の日本では金融庁から早速「行政指導」が入りそうだな。
隠しても無かったことにならない健康被害。

事故の予防にも、起こってからの対策にも無力をさらけ出した保安院、安全委員会。
小学生にまで「ほあんいんぜんいんあほ」と言われている。
安全委員会のマダラメさん、汚染水から判断して当初からメルトダウンだと思ってたって。
だったら言えよ。

最近でも再臨界発言が無意味に時事問題になった。
言ったとか言わないとか。
というか、現場では今日にも起きかねない再臨界との闘いの毎日だ。
さだまさしなら、「再臨界は無い、多分しないと思う、しないんじゃないかな、
ま、ちょっと覚悟はしておけ」か。

そう言えば「関白宣言」。
パロディーになり易いみたいでこんなのも有った(うろ覚え)。

お前を嫁に貰う前に言っておきたい事がある。
かなり厳しい話もするが 俺の話を聞いておけ。
みのの話は聞いてはいけない。世論調査も信じちゃいけない。
水はミネラルにしろ、いつもマスクをしてろ、出来る範囲で構わないから。
忘れてくれるな原発を報道しないメディアに国民を守れるはずなどないって事を。
(どなたの作か忘れたが座布団差し上げたい)

3月にメルトダウンだと言った人を「デマだ」と批判。
今は「それはすでに3月に起きたことで、いま騒いでもしょうがない」ってことだ。
国民は虚無感に覆われ怒りを忘れている。
少し怒ろう。

多くの日本人は「怒」を忘れる教育や社会風潮で草食化しているのかもしれない。
ある学校では泣くこと(「哀」)も禁止とか。
学校から知性が消えたというのもショックだ。
喜怒哀楽を共にする、というではないか。
全部あってこその人間関係だよ。
癒しだけで社会が成り立つわけがない。

そういえば癒しっていうのが流行ってた。
そして自分も信じていたポジティブ思考、楽観主義の薦め。
もしかしたら国民飼い慣らしのプロパガンダだったか。
段々性格が歪んでくる国鉄フライヤーズだ(笑)。

NRCの話だった。
日本版NRCを作る前に監督機関の徹底的検証を原発反対の立場の人たちも交えて行うべきだ。
監督機関でなく追認機関であったことは明白だろ。
違うなら言ってみろ。

無批判にそんなニュースを垂れ流すメディアに私も虚無感を感じる。
ジャーナリスト出てこい。

アメリカでも原発ムラは鉄壁なようだ。
でもジャーナリストは大手メディアの中にもいるぞ。
日本の場合、役立たずは御用学者より大手ジャーナリズムだ(キッパリ)!


【ニューヨーク=福山万里子】 
米ニューヨーク・タイムズ紙は7日、福島原発事故以来頻繁に日本のメディアにも登場する米原子力規制委員会(NRC)が、
いかに長年米国内の原発や電力業界と癒着してきたかを明らかにする記事を掲載した。

同紙によると、「(1979年の)スリーマイル島事故以来、米国では38基の原子炉が、
蓄積された安全問題のために1年またはそれ以上停止されてきた」と指摘。

「スリーマイル以来の大事故に発展寸前」だったという2002年のオハイオ州デイビス・ベッシー原子力発電所一号機の件を例に挙げ、
NRCによる点検命令が電力会社の陳情により簡単に数カ月も延期され、事故寸前の事態に発展したと説明している。

また、福島第一原発と同型の老朽化した原子炉を持つバーモント州のバーモント・ヤンキー原子力発電所について、
地元州議会が昨年2月に稼働延長を否決したにもかかわらず、NRCが今年3月10日に20年間の延長を採決した例も挙げ、
「日本の福島第一原発で起きている危機は、多くの専門家によって天災ではなくだらしない政府によって引き起こされたとみられているため、
(このような米国の実態は、米国内でも)緊急懸案事項とされている」と伝えている。

同紙によると、NRCの問題点はスタッフ4000人のほとんどが博士号を取得した秀才であるにもかかわらず、
決断が遅く難しい判断を下す能力に欠ける、という。
ほとんどがアメリカには珍しく終身雇用的に働ける環境にあるほか、
給料の高い民間企業への天下りの道が開けていることも問題だと指摘している。

その一例が、2007年にNRCを退職したジェフリー・S・メリフィールド氏。
退職直後に民間の原子力サービス会社幹部に就任し、原子炉メーカーであるGE(ゼネラル・エレクトリック)などにも就職活動を行っていた上、
面接でかかった交通費約30万円をNRCの経費で落としていたことが発覚したが、収賄罪などの刑事・民事告訴はいずれも退けられた
(先月の声明で同氏は「反原発団体におとしめられただけで、自分は無実」と主張している)。

調査にかかわったNRC内部監察官の一人は、
「NRCは、有名校へのエスカレーター進学を約束された私立校になり下がっている。
高収入が約束された未来の就職先相手に、問題を呈しようなどという気はさらさらない」と、
怒りをあらわにしているという。







インテリに評判の悪い上杉隆

2011-06-20 01:00:00 | 社会、マスゴミ、教育

(ゴルフ・ジャーナリストでスイカ・ジャーナリストの上杉隆さん)

テレビや新聞よりネットで情報を取る人達から絶大な支持を得る上杉隆。
原発問題で一段と評判が上がった。
ツイッターにのフォロワーが22万人。
孫さんの120万、ホリエモンの70万人には遠く及ばないが相当な数だ。
政治家で言えば原口さんや河野太郎クラス、メディアではNHKツイート並だ。

元々、脱記者クラブを訴えてきた人。
今回の事故で彼が言っていた大手メディアの大本営情報垂れ流し体質が明らかになった。

東電清水社長雲隠れやプルトニウム計測隠匿の件、
メルトダウンや風評、汚染水の海洋投棄、
他にもいろいろ。

誤報や解釈の間違いもあると思うがまあ、大体正しかった。
というか、枝野さんら与党政治家、保安院に代表される経産省、安全委員会の文科省、
この人たちが三カ月に亘って嘘をつき続け、メデイアはそれに協力した。

そして今後も権力者は嘘をつき続けるという自明の事。
薄々は気づいている人も多かった。
それが白日のもとに晒されたのは喜ばしいことだ。
自由報道協会等の貢献と言える。

「隠す意図はなかったが、国民に示すという発想がなかった。」保安院の言葉だ。
白々しいと言うか、役人のこの国民をバカにした発言は笑える(涙)。
人間性をどこかに置き忘れたようだ。

代替メディアとしての自由報道協会や岩上チャンネルが経済的に生き残るのは簡単でない。
線香花火に終わらないよう支持したいと思う(賛助金)。

そんな上杉に対し所謂「知識人」は批判的だ。
批判と言っても感情的で、揚げ足取りのようなみみっちいヤジが多い気がする。
自由報道協会でのフリージャーナリストの質問能力が低いとか。
資質の高い(?)大手メディア記者が閉鎖的な記者クラブ会見でどれだけ国民の期待に応える質問をしたというのか。

原発事故、すなわち反原発という思考方式が必ずしも正解ではないかもしれない。
それなら堂々と論陣を張ればいいのであって、上杉や岩上の悪口をこそこそ言うのはどうかなあ。

テレビでコメンテーターをしているニューズウイーク日本編集長も上杉や岩上を小馬鹿にしている。
反原発思考を批判してきた人だが、途中から「地震国日本では反原発」に方向転換。
アメリカの意向を伝言している、というのは考えすぎか。

徹底した上杉嫌いの代表が前に「電波利権」で紹介した池田信夫。
自信がNHK出身で、ちろっとNHKに在籍していた上杉を馬鹿にしきっている。
組織での序列はこの際関係ないと思うが。

この人の言論はずっとフォローしてきたが議論の内容もさることながら人間として狭量だ。
議論になると必ず「なんとか理論」とか海外の文献とかを出してくる。
言っちゃ悪いがハッタリだ。

内田樹式に言えば「柔道の組み手争い」。
「そんな理論や本も知らないのか」と相手の格上に立つのが彼の必勝法らしい。

そんな池田先生の原発論はビックリするくらい幼稚だ。
反原発の一般大衆を馬鹿にしているらしいが、原発がまだ安全で安いエネルギーかのような言い方の方が馬鹿丸出し(笑)。
おまけにユーモアのセンスもかなりイマイチなようだ。

引用

  いま全国の54基の原発のうち34基が止まっていますが、検査中の原発が再稼働しないままスケジュール通り定期検査に入ると、夏のピーク時には42基が止まります。
「そんなことをしたら電気が足りなくなる」という人がいますが、命はお金に代えられません。
最大出力だけを考えれば、全国の火力・水力を足せば、東電の目標とする5500万kWを出すことは可能です。

  それによって燃料費は全国で年2兆円ぐらい増え、電気代は2割ぐらい上がります。
古い火力発電所を無理にフル稼働すると事故が起こりやすく、ピーク時に1基が止まると首都圏全体が大停電しますが、命はお金に代えられません。
停電で病院などで死者が出るかもしれませんが、放射線を浴びて死ぬよりましです。

引用終わり

さて、上杉隆は最近週刊文春で発信しているようだ。
国の海産物汚染チェックが不十分な現状、グリーンピースが独自で検査した。
地元の漁協や漁師、サーファーがこれに協力。
安全性を確かめたい、駄目なら補償交渉に切り替えなければいけない。
現地は切実だ。

福島産昆布やワカメから10万ベクレル以上のヨウ素131、
また、しらすや牡蠣から基準値を超えるセシウム134、137.
政府は感心を示さず、メディアは相も変らぬ「風評被害」報道。

心配疲れの国民も集団心理で安全を信じ現実を直視したがらない。
放射能の健康被害は分からないことばかり。
情報を開示してもらって国民の一人ひとりが自分で判断するしかない。

日本の食品は80カ国以上で輸入制限されているらしい。
風評被害もあるかもしれないがそれも現実だ。

アメリカで狂牛病が発生した時、日本は米に全頭検査を要求。
それが当然と一致した国内世論。
米の酪農家は「日本はクレイジーだ」と言ったのに対して日本人は「危機意識が足りない」と反論。
牛肉禁輸は風評被害ではなっかったのか。

中国の毒餃子や残留農薬でも大騒ぎをした日本国民。
因果は巡るということだ。

さらに最新号では福島2-6号炉の安全装置緊急冷却装置が数年前に外されていた事を暴露。
浜岡の2005年以降、地震ですぐ止まってしまう。
止まるとやたらとカネがかかる原発。
だから外した。
それって駄目じゃん。

さらに当時の浜岡で水素爆発があったことを東電が(中電でなく)認めた。
原子力ムラでは常識だった。
知らぬは住民、国民のみ。

いつも暴露ばかりと言われる上杉。
放射能と付き合う覚悟のいる時代に三つの提案をしている(オンザウエイ・ジャーナル)。

1.食品に放射線量を表示を。チェルノブイリの1986年に独仏が自主的に計測、表示始めたらしい。
2.老人、子供への格差摂取制限の導入。
3.天気予報に放射能飛散情報を。

今日からでもできるよね。
いいんじゃないでしょうか。

反原発研究者という生き方

2011-06-17 01:00:00 | 社会、マスゴミ、教育
なぜ警告を続けるのか~京大原子炉実験所・"異端"の研究者たち


NHKのチェルノブイリ・レポートといい、平常時には良質なドキュメンタリーを放送するテレビ。
毎日放送が、中越地震の「想定外」の揺れで東電柏崎刈羽原発が被害を受けた事態を受けて制作。
311以降の今見ると新鮮だ。

しかしマス・メディアは危機になると完全に大政翼賛会の大本営発表のみになるのはどうしてなのか。
戦況報道では負けていることをひた隠し。
ミッドウエイ敗北に匹敵するメルトダウンは3ヶ月近く禁句だった。

「欲しがりません勝つまでは」の計画停電。
現地東電スタッフ、自衛隊への「兵隊さんありがとう」。
メルトダウンとか放射能汚染などと言う輩は「非国民」。
一億総玉砕に突き進むのか。

現場の良心的な記者たちはどういう気持ちでいるのだろうか。

京大原子力研究所で「原発をできるだけ止める研究」をしている今中哲二と小出裕章。
国に楯突く不逞の輩は万年助教だ。
しかしそんな研究を細々ではあるが許容できる京大の度量には敬意を表していい。

この異端児たちが脚光を浴びるのは彼らが恐れ警告してきた大事故が起きるとき。
突如時代の寵児となった彼らの心中を察する。
複雑な思いだろう。

この50分のドキュメンタリーに原発問題の多くが凝縮されている。
過疎の村が原子力ムラの巨大資金で核のゴミ捨て場になる。
六ヶ所村の排水には規制値がない。

国の基準をクリアするためには1日当たり100万トンの水で薄めなければならない。
じゃあ規制は無しということで行きましょう。

今の政府が放射能、放射線量の基準値を上げることで対策としちゃってることの原形だ。
放射能は減らせないから、子供も20ミリ・シーベルトにしちゃおうか、というやつだ。
やり口は同じ。

年間5千億という税金がつぎ込まれる原発。
ここでも出てきたのは「特別会計」という二重帳簿。
うやむやなカネに群がる推進勢力。
これを廃止して兵糧を断てば原子力ムラはあっという間に解散だろうがそういう議論は聞かないなあ。

一方、今中や小出のグループには地位もカネもない。
熊取6人組(動画参照)も年を重ねるばかりで後継者がいない。

推進派がよく言う、原発無しで将来を語れるのかという議論。
原発を廃止すると今にも石器時代に逆戻りみたいな言い方は流石に少数になったが、
まだオヤジたちの間では健在の「現実」だ。

放射能汚染を目の当たりにし、核のゴミ処理に出口を見いだせない今、思考停止から抜け出す必要がある。
人類は補助エネルギーの大量消費という一本道を進んでいいのか。
人間生活を支える進歩が行き過ぎて、人間性が失われていないか。

生活が便利になり運動不足になった現代人が煌々と灯りのついたシムでランニング・マシンで走る。
そんな過剰な補助エネルギーに頼った生活が理想なのか。
理想だとしても持続可能なのか。

カロリーを思いっきり摂取してレスベラトロール(だっけ?)で帳消しにする。
夢の長寿薬だそうだ。
そんな食生活がしたいのか(ちょっと、したい)。
できたとしても持続可能とは到底思えない。

理性を取り戻し生き方を見直す時だ。

小出の話「1日4-5万キロカロリー有れば生活できるが、日本では既に12万キロカロリー使ってしまっている」。

今中「原発、核燃料リサイクル計画にには核武装能力保持の思惑が隠れている」。





大失言!【原発儲かる】原子力安全委員長 【最後は金】2005年班目


こちらは幸せな東大のマダラメさん。
別名デタラメ教授は典型的なイエスマンのようだ。
小出らと同年輩の団塊世代だが、この人は20年前に教授に昇進した。
インタビューを見る限り知性の欠片も感じられないハルキ君。
この学校はやはり大問題だな。
プロダクト・ライアビリティはどうなってる、欠陥商品だ。

委員会という「自称チェック機関」はあらゆる分野に亘り官僚の政策の「追認機関」になり下がっている。
ここでも堕落学者、堕落知識人を生み出すのはカネだ。
カネを握っている官僚は強力だ。
だが、手口は大分ばれてきたぞ。


デモと刷り込み

2011-06-15 01:00:00 | 社会、マスゴミ、教育
脱原発デモ「100万人アクション」


チュニジアで始まり中東全体に燃え上がったジャスミン革命。
大きな力になったのが市民によるデモだ。

それが市民による自発的なものなのか誰かが何かの目的で仕掛けたものなのか、
その辺はずっと後にならないとわからないだろう。
参加する個々の市民は「黙っていられない」とい気持ちで参加している。

中国や現在のリビア等の非民主主義政権では顔を晒して行動することは生命の危険を伴う。
覚悟の行動だ。

民主主義先進国ではデモは平常の政治行為だ。
しかし、日本ではちょっと違和感を持つ人も多いのでは。
デモを敬遠する心理がそう言う自分のなかにもある。
デモ=サヨクという刷り込みだろうか。

日本でも見せしめの逮捕者を作る為にデモ隊に紛れた公安が騒ぎを扇動するという話はよく聞く。
そんなこともあるのかも知れない。

週末の反原発デモではシュプレヒコールを上げて整然と行進する人達に混じって
奇抜な衣装や大音量のロックサウンドでデモを「盛り下げる」人もいる。

誰が見たって逆効果じゃない?
嫌悪感を抱いてデモに反感を持つ人もいるだろう。
かく言う自分もバカ騒ぎは嫌いだ。
デモ潰しの小細工かな、と勝手に想像する。

自分自身はデモに参加したことがない。
全共闘世代と誠に不本意ながら言われることもある。
デモが日常だった時代に大隈講堂の辺りで麻雀をしていた。
面目ない(笑)。
何となく「運動」に胡散臭いものを感じてしまう、所謂「ノンポリ」と言われた学生だった。

学内の立て看板も演説も殆どが左、たまーに右。
何で道の左端や右端を歩かなければいけないんだ。
真ん中は通行禁止なのか。
心情的には保守寄りの真ん中だったが議論など許されない雰囲気だったな。
「ナンセンスー」っちゅうやつだ。
無駄なエネルギーは使いたくないから黙ってる。

今もスタンスは余り変わってないかもしれない。
世の中が右傾したから相対的に左寄りになったかも知れない。
問題意識がないわけではない。
シニカルに毒づいている、と思われるかもしれないが、ちょっと違う気もする。

前に浅間山荘の映画について書いたことがある。
運動の高まりのなかにその運動自体を殺す時限爆弾が仕掛けられ、極左は自滅。
市民運動も巻き添えになった。
サヨクはメインステージから消えた。

段階的な脱原発を願うものだが、運動が暴発して自爆させられないように祈るばかりだ。

さて結構盛り上がったらしい週末の反原発デモ。
草の根の思いを代表していると思う。
感動的でもあった。
整然としたデモなら参加してみようかな、と思ったりもする。

選挙と暴力の間にあるデモ。
この国では不当に日蔭者にされてきた気がする。
公安の扇動やメディアのネガキャンのなせる業だろうか?

反原発デモ。
ロイター、CNNを始めとする海外メディアは一斉に報じた。
怒らない日本人がとうとう行動を起こした、と。
そうだ、堪忍袋も満杯だ。

日本では限られたメディアが限られた報道をしたようだ。
ネットでは同時中継をしていた。
上の画像に映っているのはどこかの民放のアイコンではないかな。
これだけでも報道したのは例外的だったそうだ。

最大発行部数を誇る新聞や公共放送は認めたがらない。

読売新聞は新宿に集結した2万人に言及せず、新潟での200人という数字だけを書いたのだと。
NHKは全国で2400人が参加したと。


(新宿で撮られたスナップ。かなり集まっていたようだ)

主催者のプロパガンダは話半分以下だとは思うが。
大手メディアによる過小評価キャンペーンは否めない。
うん、やはりキャンペーンだな。

よく現代日本では若者らの問題意識が低下してデモも起きないと言う。
半分事実だ。
2003年、イラク戦争に反対する3万人が明治公園に集まってデモをした。
しかし解説報道はできなかったと読売新聞解説部記者が述懐している。

日本のメディアは海外でのデモは報道するが国内でのデモは黙殺する。
報道によって「ないこと」にされるデモ。
無意識の刷り込みだ。
「ああ、プロ市民ね」。
ゴー・トゥー・ストリートという世界では当たり前の事が日本ではオプションから外されている。

でもそれだけデモを気にしているということだ、為政者は。
国民の怒りが形になることは恐ろしい。
選挙だけでなく、デモも民意を伝える重要なオプションなのだな。
だったら使えるものは使ったらいい。

マスゴミは虚報をバラまくことで何を達成しようとしているのか。
何を守ろうとしているのか。

旧ソ連や中国の人たちは自国に何が起こっているか知るためにラジオの外国ニュースに耳を傾けた。
ガンダーセンの原発事故解説に耳を傾ける自分がいる。
独裁国の報道統制に似た不思議なことが起こっている日本だ。




ホット・パーティクルを警戒せよと米国民に呼びかけるガンダーセン先生

2011-06-13 01:00:00 | 社会、マスゴミ、教育
福島原発事故:ガンダーセン博士,CNNジョン・キングの番組で語る6/7(字幕)


福島第一原発事故が、実は想像以上に深刻だよと世界中に訴え続ける原子力専門家・アーニー・ガンダーセン。
知る人ぞ知る(当たり前か)今世界が注目する専門家のようだ。

例の3号機から垂直に上がったきのこ雲。
何故かその映像は日本では殆ど目に触れることはなかった。
これを1号機の水蒸気爆発と違う「核爆発のデトネーション(1号機はデフレゲーション)だった」
と主張した。
うん、確かにピカっと光ったね。

福島第一原発三号機爆発 【転載】

キャスターの表情が印象的だ。

そのガンダーセン先生。
今月に入りCNNの番組で米国内に住む人々に「ホットパーティクル」について警告を出している。
ホットパーティクル、即ちプルトニウムの微粒子ね。

CNNのインタビュー、冒頭では東電と日本政府による「放射能2倍だった」報道について一言。
レギュレーターであるべき保安院や安全委員会がプロモーターである経産省や文科省と一体であることが問題。
レギュレーターが東電に天下っちゃう、日本の談合文化を批判。
面目ないが、仰る通り。

しかし気になりますねえプルトニウム汚染。
誰だこの間までプルトニウム汚染はデマだとか、重いから飛散しないと言っていたのは。
こっそり、いなくなるんだよね。

アメリカ西海岸の最北部シアトルまで飛んでいるみたいだ。
それも4月には計測できるくらいの量だったようです。

放射能は雲のようになるのでガイガーカウンターで計測できる。
プルトニウムの微粒子だが、4月に既に東京で一人が一日あたり10粒吸い込む量だった。
それでは東京にいる我々は既に600個を吸い込んだのか。
気持ち悪いですね。
1-2個でも悪影響が有り得ると聞いたことがあるが。
600個では心配する気にもなれない。

この時期からシアトルでも1日5個分観測されていた。
だからレタス等はよく洗って食べるよう警告されていた。
プルトニウムは肺や骨に蓄積し将来癌を引き起こす可能性がある。
野菜は洗えるとしても呼吸から入る分は防ぎようがない。

3月と5月で状況は改善されていない。
前に見えていた蒸気が福島で目視できないのは気温が上がったから。
来年まで放射性蒸気と放射能汚染水は排出され続ける、と動画は警告する。

プルトニウムの半減期は確か24000年だったか。
半分が分裂して放射線を出すのが24000年。
素人考えでは我々が生存中に分裂して放射線を出すプルトニウムは少ないという風にも取れる。
生きているうちにワルサはしない?
楽天主義者の希望的観測かもしれない。

放射能汚染はわからないことばかり。
しかし知らされない事と害がないことは別問題。
どうして日本の政府やメディアはこういう問題提起をしないのだろう。

国民を不安に陥れないため?
いいえ、都合の悪いことは隠しているだけだ。
現にこういう報道を目にしてもパニックなど起こっていない。

特別会計の大金を持つ原子力ムラ。
この既存権力の復原力は目を見張るばかり。
福島では事故の収束どころか再臨界のリスクと隣り合わせだと言うのにあちこちで停止原発再開が画策される。

夏場の電力が足りなくなる、というブラフ。
そして原子力ムラの不興を買った菅降し。
世界同時不況も有り得る状況下、増税があたかも既定路線のように語られる。

正気とは思えない。
レベル0だ。







吉本隆明にとっての原発

2011-06-10 01:00:00 | 社会、マスゴミ、教育



どこかに原発事故後のインタビューが乗っていた。
86歳の吉本隆明。
一部をコピペしたが引用先を失念してしまった。
すぐ忘れてしまうのは年齢のせいでなく、最近の情報量に圧倒されているからだ、ということにしておこう。
まあ、引用、転用、盗用何でもありのネット情報時代だ。
ちょっと待て、という人は言って欲しい。
すぐに削除します。

本題。
知らなかったが吉本はかつて文学者らによる反核運動を批判していたらしい。
東京工大出身の知の巨人だ。
気持ちはわからないでもない。

中沢新一によると、原子力は第7次エネルギー革命で、その特徴は原子を分裂させるという
地球に生態系が出来てから一度も試されたことの無い革命的な新技術だそうだ。
原子力派理科系にとっては夢の技術。
遺伝子組み換えもそうだろう。
文系にとって「えっ、そんなことして大丈夫?」という話だ。

しかし科学技術の進歩はフロンティアに踏み込み、そこで発生する多くの困難を克服するところにある、
とも言えるよね。
そうでなければ月まで行けない(本当に行ったのか?)。
吉本には科学技術の進歩に対する信頼があるに違い無い。
人間は新しい分野での新しいリスクを制御できるはずだ、という思いだ。

人生の最終章で原発事故に遭遇した吉本の心中は複雑だろうが。

「動物にない人間だけの特性は前へ前へと発達すること。
技術や頭脳は高度になることはあっても、元に戻ったり、退歩することはあり得ない。
原発をやめてしまえば新たな核技術もその成果も何もなくなってしまう。
今のところ、事故を防ぐ技術を発達させるしかないと思います」

「知識や科学技術っていうものは元に戻すっていうことはできませんからね。
どんなに退廃的であろうが否定はできないんですよ。
だからそれ以上のものを作るとか、考え出すことしか超える道はないはずです」

「人間が自分の肉体よりもはるかに小さいもの(原子)を動力に使うことを余儀なくされてしまったといいましょうか。
歴史はそう発達してしまった。時代には科学的な能力がある人、支配力がある人たちが考えた結果が多く作用している。
そういう時代になったことについて、私は倫理的な善悪の理屈はつけない。
核燃料が肉体には危険なことを承知で、少量でも大きなエネルギーを得られるようになった。
一方、否定的な人にとっては、人間の生存を第一に考えれば、肉体を通過し健康被害を与える核燃料を使うことが、
すでに人間性を逸脱しているということでしょう」

そうだとしても原発や遺伝子組み換えのようなオドロオドロしい(制御不能?)な技術革新は、
よく考えてゆっくりお願いしたいと思う文系の国鉄フライヤーズだ。

しかし、知識や科学技術は元に戻せない、という言葉は重い。
できてしまったものを無しにはできない。
学生時代に読んだ福田恆存の言葉を思い出した。
「人間は物を作る、作ったら必ず使う」。
これは原発でなく原爆のこと。
福田さんが間違っていることを祈りたい。







議論のルール

2011-06-08 01:00:00 | 生活、人生、ペット
フィンランドの小学生が作った「議論のルール」

1. 他人の発言をさえぎらない
2. 話すときは、だらだらとしゃべらない
3. 話すときに、怒ったり泣いたりしない
4. わからないことがあったら、すぐに質問する
5. 話を聞くときは、話している人の目を見る
6. 話を聞くときは、他のことをしない
7. 最後まで、きちんと話を聞く
8. 議論が台無しになるようなことを言わない
9. どのような意見であっても、間違いと決めつけない
10. 議論が終わったら、議論の内容の話はしない

すんませんでした。


(余談)
フィンランド語は面白い。
「酔っ払い」の発音=ヨッパラリ。
「通行証」=クルクルパー。
「豚」=シカ。
「オオカミ」=スシ。
「うさぎ」=カニ。 
ちなみに「こんにちは」はモイ!で、「さようなら」はモイモイ!
(2KA9という人のツイート)

ホント?

あ、そう言えばフィンランド語で女性のことを「ナイネン」て言うんだよね。
えっ?

「So what's next? はっちゃんの深夜特急」は文庫本

2011-06-07 01:00:00 | 本、映画、イベント


So What's Next? はっちゃんの深夜特急 [文庫]

「文庫本あとがき」っていうのが何か格好いいなあ。
しかし本人も認める通り、この本にはベースとなる単行本は無い。
「誰にも頼まれないのに文を書く変わった人」のはっちゃん、
「自分の文庫本も一冊くらいほしかった」。
そういう人。

本作りが最近の道楽の一つ。
たくさん有るんだな、道楽。
正真正銘の道楽者だ。

100冊刷って30万円、と割り切っている。
一冊のコストが3000円で定価が700円。
赤字は覚悟だ、道楽ですからね。
買います、というと「いいよ」といつもくださる。
そういう人だ。

そして国会図書館に寄贈することで自分の足跡を残すんだそうだ。
私のようにボヤっとしている人間には無理だが、将来誰かはっちゃんのような変人(?)が
発掘するような気がする。
一般人の、しかし平均的でない日常。

ということで橋本正博さん5冊目の「So What?」シリーズ。
沢木耕太郎の本から取った副題は「深夜特急」。
やはりジャズは深夜だ。
オーディオファンにとっては深夜電力がもたらすサウンドは美味しいらしい。
喫煙し放題の治外法権であるご自慢のオーディオ・ルーム。

お気に入りの本のこと。
大型の巡洋艦模型制作のこと。

そして門外漢が読んでもいつも楽しいオーディオ三昧の話。
いつも登場するテラシマさんやハタノさんが段々と自分の友達のように思えてきた。

ジャズ・ライブハウス巡りのこと。
都内、横浜、新潟から何とストックホルムまで行ってしまった。

今回の読みどころは最終章。
はっちゃんの近代史観だ。
日本を愛する者として「本当のことを知りたい」と戦争関連の本を読み続けてきた人。
はっちゃんが明治からの日本を取り巻く情勢についてサマリーしてくれた。

知らなかったこともあり大変参考になった。
一読の価値あり。

骨太だが決して右翼じゃありません。
正真正銘の「親日家日本人」。

あ、それから当ブログのこともいろいろ紹介してくれてます。

はっちゃんとは商事会社の新入社員の頃からの縁だ。
ずっとご無沙汰していたがここ数年急接近中。
味のある人でこれからも楽しみ。


20代後半のはっちゃん。
カッコいいなあ。
同一人物?



そして同じ写真に写っていた国鉄フライヤーズ。
若かった、二人とも。



これが最近の二人(使用後)。





アマゾン、ブックコムで買えます。
赤坂のアルバトロスにも置いてありますよ。




アメリカもがっかりした人材不足 3日WSJ社説ではなんと小沢待望?

2011-06-06 01:00:00 | 政治外交

(できればこの人は勘弁して欲しい)

週刊誌とか月刊誌でも永田町の動向みたいなコーナーが必ずある。
たまに読んでみるが何のことか皆目分らない。
井戸の中の話だ。

サラリーマンの時に感じたが、組織にいると人事には誰でも興味がある。
異動とか転勤とか昇進とか。
煎じつめれば人間関係の話だ。
中にえらく情報通の人がいる。
偉い人から聞き出すんだね。
権力の近くいる人。
しかしそういう人が会社で重用されるとは限らない。
組織で大事なのは何を変えていくかで、誰に変えるかではない。

政治の世界での人間関係。
政局だ。
こちらは背景になる利害が複雑だから会社の人事よりは複雑で生々しい。
ディープな世界で内情に通じた記者さんたちがあれやこれや探っているのだろう。

海外メディアの特派員が驚く能力だ。
国連であれ何であれ日本メディアはやたら組織の内情に詳しいらしい。
誰が誰に繋がる何派みたいな。
何をでなく誰を、の世界、つまらん権力争いだ。

サークルの中にいない一般読者には興味がない。
完全に無意味。
「だから何なの」という感じ。

新聞記者の仕事は結構そんなことかも。
ニュースに多様性がないでしょ。
記者クラブ会見が典型的だが、誰に聞くかというところが一番大事。
ジャーナリストとして自分の意見を述べる機会は滅多にない。
官報と見間違える内容の羅列、は言い過ぎか?

政局ですね。
何を、でなく誰をへの現実逃避。
こんな危機にも政治家やジャーナリズムは山積する問題は放り出して政局ごっこだ。

今回の政局ごっこ、真面目にフォローする気にもならない。
騙した方も騙された方も何だかちょっとね。
しかし投手交代は結構だがリリーフ・ピッチャーの名も告げずに交代はできない。

菅は史上最低。
枝野・細野・野田は無能で、前原はとんでもない。
原口は土壇場で裏切るマキャベリスト。
原発利権の自公に逆戻りはさせたくない。
社民、共産は口先だけのガス抜き野党。

以上は私の感想。
ネットの世界はもっと手厳しい(笑)。

  菅さん(腹黒)、鳩山さん(馬鹿)、小沢さん(ワル)という比喩は、今回は腹黒が馬鹿を使ってワルを制したという意味合いで非常にすっきりと解説できるところであります。
  ほかにも岡田さん(石頭)、原口さん(茶坊主)、渡部さん(無能)、枝野さん(地蔵)、野田さん(置物)、安住さん(ゴミ)。

長島さん(ガキ?)や細野さん(モナ)のことも聞きたかった。
不美人競走では人材豊富だ。
しかし国民も政権交代を望むなら交代要員について考えたほうがいい。

国鉄フライヤーズは小沢待望だが人気がなさすぎる。
長年に亘る刷り込みで国民の大部分は嫌小沢だ。
今回も小沢の欠席がけしからん、というのがメディア発表の圧倒的世論だ。
残念ながら米官報複合体の作戦勝ち。
小沢さんには政界を引退して言論活動を、とも思うが喋れないからね。

内容はあるが伝わらない小沢さん。
内容がないから伝わらない大方の政治家。
自分の言葉を持たないリーダーって言うのはグローバル・スタンダードでは不思議の世界。

日本人は平均的な金太郎飴なのか。
組織の上に行くほど冴えない。
全体のレベルは低くないかもしれないがリーダーの人材は豊富でないようだ。
二大政党制は無理だな、人材的に。

取り敢えず自民、民主から反原発党が出来ればそこに一票、と思う今日この頃だ。





「何だ小沢しかいないのか」というWSJの記事。
人材不足に困ったアメリカ。
次は前原にする気配だが、あの空っぽ頭では何ヶ月持つか。

小沢を潰しておいて今頃言うな!と言いたいが日本人の責任だ。
アメリカはアメリカの国益を追求するのが自然だ。
収奪されたくなかったら自分で考えないとね。

抜粋

 停滞を打破するのに日本がより強力な指導者を見付けることは喫緊の課題だ。
 その候補の一人は民主党の小沢一郎元代表かもしれない。

 彼の長年の政治信条―利益供与型政治の改革へのたゆまぬ努力、官僚支配の打破―を考えると、その力は重要だ。
 もし小沢氏が民主、自民両党の改革支持勢力を束ねることができれば、小さな政府と経済成長の促進政策への国民的コンセンサスを形成することも可能になるかもしれない

 現実にはまた精彩に欠けた別の政治家が民主党政権で首相になり、停滞が続く可能性は高いだろう。



【社説】小沢主導の政界再編への期待
2011年 6月 3日 11:46 JST