【オペレーションコドモタチ】山本 太郎 メッセージ02
「高濃度汚染地域東京から山本太郎です。
超高濃度汚染地域福島・東北にお住まいの皆さんこんにちは。」
山本太郎が芸能界追放の覚悟で悲痛な訴えをしている。
覚悟「だった」。
ここに来て、大分様子が違うな。
そんな気がする。
メディアの論調が変わってきた。
オリザさんバラしちゃった汚染水海洋投棄指令。
青山さんが言ったとおりの唐突な浜岡停止といい、官邸にいる進駐軍の采配だろう。
官邸が機能停止しているのは自明。
又敗戦だ。
そして、何らかの理由で日本は脱原発で行くことになった。
宗主国のお達しだ。
そうなれば世の中、総転向かな。
(内田樹の「想像」が面白いので改めて紹介します)。
山本さんの訴えだった。
「未来の子ども達へバトンを繋ぐため」に子供達を疎開させて下さい。
僕もこのまま汚染が続くなら、今の職業あきらめて疎開しようと思っています。
国の殺人行為。
どうせ賠償できないので被災者は見捨てられている、と。
その通り。
100人の死は悲劇だが100万人は統計だ、と言ったといわれるのがナチのアイヒマン。
本当かどうかは分らない。
ちょっとユダヤの創作っぽいが。
しかし放射能被害者は統計からも抹殺される。
痛ましいことだ。
以下は、長崎被爆3世の連続ツイート「「甲状腺と私」。
放射能被害は解らないことばかり。
いまだにチェルノブイリ死者は30人、なんて言う長崎大学名誉教授もいる。
ナガサキからの声に耳を傾けてみよう。
今後無視し続けられる放射能被害者が爆発的に増えそうだ。
因果関係は証明されず、被害は子孫に。
止めるのが現代日本に生きる我々の使命だ。
遠野凛々香さん
「因に、鹿児島生まれの祖母は、高血圧以外、なんも無し。たまにボケ。
その他全員、癌、甲状腺疾患など。みーーーんな病気さ。」
引用
高校留学出発直後、母が甲状腺癌と子宮癌で手術入院したと知った。
英国の研修先に1本のテープが届いた。
甲状腺癌の手術で声を出す神経がもしかしたら傷ついて声が出ないかもしれないと、テープに淡々と母は語った。
留学決定後、母が例えば病気でも留学行くかと聞いて来た時、行くと答えたのは私だった。
何も気付いていなかった。
母の身体に癌細胞が暴れているのに。
ナガサキ原爆投下後、祖父がナガサキで入市被爆したため、母は被爆2世だ。
幼い頃は、それが代々繋がるものだと思っていなかった。
自分の子どもにも。
母で終わるものだと思っていた。
おしまい。だと。終戦の様に。
母の手術は成功したが、声は変わってしまった。
低いガラガラ声になってしまった。
声を失わずに良かったと思ったが、首もとの筋肉までもがえぐられた感じになって、
「着物も着れないな」と母は笑って言った。
傷はやけどのあとの様。
ひやりとして、つねっても何も感じないそうだ。
母の顔半分は、筋肉がえぐられて、瞼が少し落ちている。
心配していただけの私にバセドウ病が襲いかかって来たのは20歳を越えた時。
美容院に勤めていたが、足が過度にむくみ、立てなくなった。
診察結果、原因不明だった。
ストレスかな、と気分の落ち込みを訴えたら、軽い安定剤を貰った。
24歳。
アナフィラクトイド紫斑病というものが現れた。
飲食店でバイトしていた私の足が2倍にむくみ、紫斑で気持ち悪くなった足にびっくりした。
腎臓が悪いのではと生検で足の皮膚一部を切り取られ、10日ほど寝たきり入院したが、やっとの所でバセドウ病だと分かった。
妊娠も分かった。
バセドウ病の数値は非常に高かった。
投薬したが、なかなか値が落ち着かなかった。
妊娠は諦めた。
バイトと並行で通っていた大学も辞めた。
辛かった。
動悸がする。
疲れて、疲れて、しょうがなかった。
小さな命を殺したと、自分を責めた。
だらだら、バイトと自宅の往復をした。
単調に生きた。
知人の紹介で甲状腺専門医院に病院を変える。
将来の事(仕事と妊娠)を考えて、アイソトープか手術かを選ぶことに。
首の傷に恐れて、アイソトープを選んだ。
26歳になっていた。
まだ戦わないといけないのかと日々何かを考えていた。
記憶が余り無い。
ヨード剤は正露丸の様だった。
アイソトープ治療後2年で妊娠可能となった。
そして、いつの間にか甲状腺低下症になった。
数値は低くなり過ぎて、今度は甲状腺ホルモン剤を飲む事になった。
欠かさず飲まなければならない。
バセドウの辛さよりマシだと思うが、飲む量は、母の2倍だった。
身体が冷える。気分障害もある。
再度妊娠し、産院でこう言われた。
「甲状腺機能低下症は妊娠しにくいのに、よく妊娠したな」と。
複雑な気持ちになった。
難産でも無事に出産。
その1年数ヶ月後、大震災が起こり、ヒロシマ/ナガサキ被爆3.5世となった息子は、
チェルノブイリを越える悲劇に遭遇しなければならなかった
ヒロシマ被爆2世で医師である息子の父親は、私は被爆3世だから甲状腺が悪くなったわけではないと言う。
海藻食い過ぎたんだろうと。
どこに正確な証拠があるのか?今でもそう思う。
そして、私の20代を奪った病気はやはり憎い。
だから、今現在が苦しい。
前に進む力が無くなっている。
入院を繰り返していたので、進路を変える事になった。
もっと楽しい筈の20代は楽しさが半減されて、治療費にお金がかかった。
30歳で、まともなスタートラインは切れない。現在は疎開の事で揉めてる。
震災前には戻れない。
20代は終わったのだ。
そして原発事故は起ってしまったのだ。
この事故で誰かが単に甲状腺癌になるだけ、と思う人も多いだろう。
どこか遠くの国で、惑星で起っていると感じる人もいるだろう。
ナガサキだから、敏感なのだと指摘もされた。
ナガサキはナガサキだけの問題になってしまったのか?無念でならない。
日本はそういう国になったのか。
都心でマスクをする人は少ない。
子どもでマスクをする子も少ない。
嫌がってしまう。
新生児はマスクが出来ない。
10代の近くの女子中高生を見ると、悲しくなってしまう。
そして、願わずにはいられない。
甲状腺などの疾患で、いくつもの事をあきらめる事が無いように。
今の大人の役割とは何だろうか。
私は出来る限りの情報収集と判断、そして自分の経験を知らせる事だと考える。
家族の絆、友人との絆と自分
母親/ナガサキの人間として、動く。
犠牲者は女性や子どもであるという歴史を今一度遡ろうではないか。
福島原発から200キロ圏内の住民が避難しない場合。
こんな試算をECRRが出している。
目を瞑っても問題はなくならない。
欧州の放射線委員会が福島原発事故の予想死亡者数を40万人以上と発表