五木寛之は私より18歳位年長なので今年で80歳になる。
私とは違う時代の違う景色を見てきた人だ。
そんな人に今の時代はどう見えるのか。
世界は、なかでも日本は下山の時代を迎えているというのがこの人の感覚だ。
下品、下流、下等、下賤、下郎。
「下」という字にはネガティブな響きがある。
しかし登山だけでは完結しない。
下山を終えてこその登山だ。
下山では登山の達成感を感じ、目の前に広がる景色を楽しむ。
夕日はいやいや沈むのではない。
堂々とした日没に価値がある。
「親のない子は夕日をおがめ。親は夕日の真ん中に」。
経済的にも停滞しいている日本。
成長のエネルギーは労働人口、資本投下、生産性の向上。
この先10-20年の日本が成長要因を豊かに持っているとは考えにくい。
とすると、五木の言うように目指すべき将来は山頂ではなさそうだ。
そんな下山の時代に遭遇した大雪崩である大震災と原発事故。
五木にはどう見えたのか。
放射能汚染についての国民の無関心。
それは60年代以前のやりたい放題の核兵器実験、あるいはレイチェル・カーソンが「沈黙の春」で予測した公害。
チェルノブイリ事故による1億キューリーの放射性物質拡散。
十分に汚染され、世界が病み、急激に崩壊に向かうという実感が人々を包み込んでいる。
そんなとき人間のとる態度は「そのことを考えるのはやめよう」。
特に我々日本人にはその傾向が強いようだ。
戦争末期、米軍が沖縄の上陸してもまだ国民の大多数は日本が負けると思っていなかったそうだ。
よく言われたことだが戦時中の軍部は計画や目的を神聖化して、統計や戦況などの現実を歪めた。
つまり現実を理想に合わせた。
見たくいないものは見ない、という都合の良い現実逃避。
しかしエリートは実はわかっていた。
「民」という言葉の語源には恐ろしい意味があるそうだ。
針で目をつぶした奴隷だ。
知らしむべからず、という統治の原点。
平壌で敗戦を迎えた軍国少年五木寛之。
ラジオは「治安は確保されています」と繰り返し、平静になれと呼びかけた。
実は軍や政府、報道関係者とその家族はとっくに避難。
そんな時にラジオを信じて情報収集を怠った自分。
ソ連軍の入城で、富のすべてである朝鮮銀行券が紙くずに。
ソ連の軍票に取って代わられる。
筆舌に尽くしがたい逃避行。
信じた自分が馬鹿だった。
戦前戦中は政府、マスコミ、知識人、教育者、芸術家、詩人、学者のすべてが熱に浮かされたように戦争を賛美していた。
これも一瞬のうちに消え去る。
信じた自分が....
世の中、激動時にはなにが起きるかわからない。
政府は人心の動揺を防ごうとする。
これこそ「民」の原点。
真実を隠す。
つまりは一般大衆の愚民視という上から目線。
野田や枝野、前原、細野あたりの小僧が上から目線とは癪な話だ。
第二の敗戦とも言われる今回の震災、原発事故。
まさに「想定外」な事態が起こった。
よくあることだ。
自然災害は大抵想定外。
五木の耳には朝鮮でのラジオ放送と同じに見える昨今の新聞・テレビ報道。
何かを伝えようというのではなく、何かを隠そうとしていると聞こえた。
「メルトダウンはしていない」「放射能は安全だ」「ただちに健康に影響はない」。
人間がれほどのことを知っているというのだ。
そして疑問を政治家や官僚、専門家に投げつけようとしない記者クラブメディア。
下山の話だ。
未曽有の事故も起きた「不機嫌な時代」。
自殺者は年間3万人を超える。
13年連続だ。
無理があったのか。
世界第二の経済大国であった日本。
それ自体は後世に誇るべきだろう。
しかしそれゆえの無理、歪みもあったはずだ。
金融の世界となり、富の一部への集中が加速化されている。
格差問題だ。
経済だけではない。
自殺者の約半数が健康問題。
知らなかった。
世界有数の長寿国日本。
五木の見方はちょっと違う。
長寿は少数のラッキーな人たちにとっての慶事。
一般的には50歳を超えての長生きは「無理」がともなう。
欧米諸国は前立腺癌の検査に消極的なそうな。
手術、放射線、薬物による対処。
いいことばかりではない。
軍事施設をピンポイントで爆撃することはできない。
周辺の市民も巻き添えをくらう。
不良を全て退学にしたら学校はよくなるのか。
癌の対処法も似たようなものだ。
日本では健診に癌検査やメタボリック診断、さらには鬱病の早期発見など。
いい話には裏がある、という五木のシニカルな見方には共感を覚える。
その結果病気が増え、国中に病人が溢れる。
病気と病人の拡大再生産だ。
無理はなるべく避けてたおやかな軟着陸も目指すのが日本人のビッグ・ピクチャーかも知れない。
ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガルに英国。
見習うべきはこれらの国々かな。
全て経済危機が進行中だがなんとなく余裕が感じられるのは私だけか(笑)。
養老さんが言っていたが、日本の人口は世界の60分の1。
収入も支出もそのくらいでやっていく、という発想があってもいい。
オリンピックの種目数は302。
金、銀、銅それぞれ5個が目安ということだ。
ローマは一日にして成らず、だが一日で滅びるわけない。
長い時間をかけて景色を楽しみながら下山するのも悪くない。