国鉄フライヤーズ

目指せカネ、ヒマ、若さ

南アフリカに行ってきました(5)終の棲家

2013-04-20 17:46:56 | 旅行


ヨーロッパの人たちにとって、南アはリタイアの候補地でもあります。
今回の旅行のきっかけになったのが30年来の友人、ラリーとジュリーの夫婦。
彼らが終の棲家として選んだのが南アフリカの南部、ガーデンルートにある風光明媚なプレッテンブルグでした。




(プレッテンブルグの海岸)

静かな良いところです。
奥さんのジュリーは賢く元気な人です。
父親がシェルの製油所技術者で幼いころシンガポールに住んでいました。

不幸なことにそこでポリオにかかってしまった。
予防注射針の消毒を怠った医師のせいで彼女と兄がポリオを同時に発症してしまいました。

それでも全力で走り続けた人生でした。
でも60歳過ぎると体がなにかとキツいようです。

ポスト・ポリオ・シンドロームというらしいですが、長年酷使してきた麻痺のない部分が悲鳴を上げているそうです。
マイナーな手術をあちこちしています。
もともとイギリス人ですが寒いイングランドにはとても住めない。
血行障害があるようです。
シンガポールは一年中暖かい(というか暑いのですが)ので気候的にはもってこい。

でも生活費がとても高く、夫婦で教師をしていた彼らにはちょっと厳しい。
ハワイとかアメリカの西海岸とかいろいろ行ってみて最後に選んだのがこの地です。

南アに住んで4年。
今では毎年クリスマスにはイギリスに住む息子やアメリカに住む娘が家族で訪れるホームになりました。
7-8月の真冬には温度が5度くらいになることもあり、ちょっと辛い時もあるようです。
でも基本的に気候は温暖、物価は安いし、この地帯は南アとしては例外的に安全。
とても気に入っていて、是非来るように以前から誘われていました。

以前にジュリーとポリオのことを書いたブログです。

ポリオ撲滅に向けて、ジュリーのRunning on emptyを和訳してみました




ハマナスと同じホエール・ウォッチングの町です



これがジュリー。
若いころはなかなかの美女だった。
今でも面影は残っています。



庭の手入れをしているのがご主人のラリー。
数学の先生でした。

彼はシカゴ生まれのアメリカ人。
二人が出会ったのはケニヤのモンバサ。
二人ともボヘミアンで世界を歩き回っていた。

平たく言えばヒッピーですな(笑)。
我々の時代の人です。
彼ら夫妻、そして我々夫妻もみな1950年生まれのタイガーです。



庭からは海が見えます。
東だから日の出がきれい。

ヨーロッパ人や南アでも白人系の人たちの家は、たいてい山の上です。



小じんまりした家は南国風で可愛い。
セキュリテイー・システムもしっかりしています。
ブーゲンビリアもあって、彼らのシンガポールの家に似ています。

彼らは教師として30年間シンガポールに住んでいました。
我々のご近所さんでした。



バルコニーから見る庭と海。
前に空き地があり、そこに家が建つと海が見えなくなりかねない、ということで格安の物件だったそうです。
2千万円くらいかな。
小さいと言っても、バス・トイレ付のゲストルームがあり、そこに三泊させてもらいました。



庭から見たリビング・スペース。
このガラスは完璧に折りたためて、とても開放的。
老夫妻が住んでいましたが施設に移ることになり、この家を譲り受けたそうです。



鳥好きのラリーは砂糖水を欠かしません。
綺麗な鳥たちが集まります。
気に入らない鳥は夫婦で追い払う(笑)。



ギース・ファウルとかいう家禽です。

彼ら、シンガポールでは庭に大きな鳥かごを持っていていろんな鳥がいたなあ。
こちらに来る時、バード・パークに寄付したとか。



道端で見つけたマングース。


ジュリーたちの友人夫妻に夕食のBBQに招かれました。
右から二人目がこの家の主でイギリス人のアンディ。
彼はまだ現役で平日はヨハネスブルグ。
週末にプレッテンブルグに帰ってきます。
山の上の静かな場所にある大きな家です。
奥さんのダイアン(左端)は怖くないのかな。
彼女は南ア人でケープタウンの出身。

とても優しくていい人たちでした。
当地ではよくあるらしいのですが、BBQのオーブンがリビングの中にあります。
BBQはどこでも男の仕事ですね。

同じような年代の引退したヨーロッパ人がたくさんいるのでさびしくはない。
ゴルフしたりブリッジしたりする仲間も彼らだし、いろいろと情報交換もできます。

ラリーは週に2回はゴルフ。
本当はもっとしたいらしいですが。

ジュリーはゴルフは無理なのでボーリング。
といっても地面の上(芝生かも)でやる、フランスのペタングみたいなやつ。
結構はまっていて、最近夫婦でクラブのトーナメントで優勝したらしいです。



朝食は海辺のレストランへ。
当地でリタイアしているヨーロッパのご婦人を友人たちが訪れたようです。

朝から爽快です。


global market

買い物好きな女性にちょっとお付き合い。
アフリカンテイストのお土産屋さんは町の中心部から離れたところにあります。



南アフリカのミステリー。
10個で35ランドのお茶が20個で75ランド。
普通、たくさん買うとディスカウントですよね。
ここだけじゃない。
あちこちで見かけました。
南アの人は計算に弱いのかな。


ブランチ

この日はゴルフに行きました。
ジュリーもバギーの運転手として参加。

南アのゴルフはどこでも午前か午後のスループレーなのですがハーフ終わったところにカフェがあります。
ハーフウエイ・ハウスとか言ってたかな。
そこで軽食を必ず食べるのが決まり。

ということで、この日は朝に果物とパン。
そして出発前の11時頃にブランチです。
サラダとサーモン、それにチーズとラタトゥーユ。

その日のパターンに合わせ食事もフレキシブル。




ゴルフの後は、帰ってシャワー。
そして町へ出かけました。
と言っても両方とも家から5-10分。

エビの量が多い。

ゴルフ代を払ってもらったので今日はこちらが御馳走。
うまいワインを飲もうね、と張り切っていったのですが。
ワインは2-3000円止まりでちょっと拍子抜け。
でも結構美味しかった。

南アの食事はとてもよいのだ。
天然素材で美味で安全。
味付けもシンプル。
財布にも優しい。



ヘイクというメルルーサ(タラ科)がやたら美味しかった。
そのなかでもケープ・ヘイクというのは有名らしいです。
かつてはマクドナルドのフィレオフィッシュの材料だった。
今は何でしょうか。
魚がふんだんに採れるところなので切り身でも安心。

日本のスーパーで買う切り身は養殖の奇形や背骨が曲がっている魚も交じっている可能性があるとか。
こわいね。
魚は骨が面倒でも尾頭付きの小魚が安全だそうです。
小魚は安いので天然物が殆ど。
成長ホルモンと抗生物質で育った養殖魚が発色剤でお化粧....
ぞっとしません?


そんなこんなで、楽しい4日間でした。
リタイアの疑似体験としてはとても面白かった。

いいかも。
でも日本からは遠すぎて、家族とはなかなか会えないかもね。
南ア、10日間の旅行中で日本人に遭遇しなかったくらいですから。

参考までに永住用ビザの取り方。

○リタイアメント査証
PENSIONERS AND RETIRED PERSONS/B4
毎月2万ランド(約37万円)の年金受給者。または、1200万ランド(200万ドル)以上の土地などの
資産を持ち、毎月1万5千ランド(約28万円)の送金が可能な人。一時居住許可(テンポラリー・レ
ジデンスパーミット)のB4に該当し、4年間の滞在許可と永住権の申請権利が得られます。
また、労働許可を別途取得すれば、3年までの就労が認められます。尚、申請は在日大使館
の管轄外となるため、現地外務省での手続きとなります。

○ロングステイ用訪問査証
VISITOR’S PERMIT/A2
月15000R(約2500ドル)の収入が証明できる場合は、最長3年までのビジター用滞在許可を申
請できます。在日大使館にて申請可能。

詳細は、南アフリカ査証編
問い合わせ先/南アフリカ大使館  03-3265-3366

おまけはプレッテン・バーグにあるアニマル・リザーブ。
町はずれですが広大な敷地です。
土地はいくらでもあるところですから。
こういうのが、この町にもう一か所あるとか。













wild dog

稀少らしい。
ここで繁殖させているようです。


リザーブ生まれのライオンは狩りをしたことがない。
でもこわい。


チータ。






南アフリカに行ってきました(4)ワイン・ランドからハマナス、ファーム・スティ

2013-03-21 21:34:45 | 旅行

昨夜のパールでは南アに着いて初めての雨でした。
この季節はあまり降らないらしいです。
さてパールを出てワイン・ランドの中心地ステレンボシュへ。
随分低い虹ですね。


途中に立ち寄ったもう一つのワイン中心地フランシュフック。
郊外にあるボッシェンダルという作り手。
ケープダッチ形式のマナーハウスと山の風景が美しいと、リピーターの友人のお薦め。
博物館でもある白亜の建物は美しかった。
何と1685年創業とか。
広大な敷地でピクニック気分の試飲はとても魅力的ですが今日のドライブは先が長いのでワインは断念。


気分だけ。
フランシュフックはその名の通りフランス人が手掛けた町。
ワインを最初に持ち込んだのはケープに入植したオランダ人でした。
17世紀後半にフランスの宗教戦争に負けた改革派のユグノー教徒が入ってきた。
彼らがロワールから持ち込んだシェナン・ブランは南アの白ワイン代表品種の一つでもあります。
南アの食事が結構なのはフランス人の影響もあるのでしょうね。


さて、ワイン・ランドの中心地ステレンボッシュ。
可愛い観光都市です。
ここでまたアフリカン・テイストの小物をいろいろゲット。
ケープでは2-3か所で買ったものを一つのお店で段ボール箱に詰めてEMSで送ってもらいました。
ステレンボシュ以降の小物達はプレッテンベルグの郵便局から発送。
配送料はそれぞれ1万円位だったかな。
300以上もあるワイナリー訪問は断念。


絹を紡ぐおばさんたち。
お土産屋さんのデモンストレーションです。


ステレンボッシュから南下。
一時間半くらいのドライブで来ましたハマナス。
地中海の避暑地と言った感じであまりアフリカっぽくない。
クジラで有名なハマナスは南アのお金持ちがリタイアして住みたいまち。

ケープのレストランで飲んだピノがハマナス産でとても良かった。
南アのロマネコンチと言われる作り手もあるそうで行ってみたかったけど、ぐっと我慢。


海辺のテラスで軽食。


今日の宿泊先であるハイデルベルグ近郊のファーム・ハウスまで200キロのドライブ。
荒涼たる土漠の中をどこまでも真っ直ぐ続く道。


ここはまだ鉄条網があって人間の気配がした。



メインロードを外れ未舗装の道をしばらく行ったところにあるスケイディング・ゲスト・ファーム

陽気なニールさんとアンネさん夫婦がやっている農場の中にあるBB。
子供たちは巣立ち今は夫婦が人を使って切り盛りしています。
娘さんが今ケープで料理の修行中。
BBを継いでくれそうだと嬉しそうなご夫妻でした。


牧場にあるBB。
この手前にニールさん専用のパー3のホールが一つ。


可愛らしい建物です。


質素な部屋はそれなりにコンフォタブル。
南アに住むイギリス人の友人が予約してくれました。
と言っても彼女、自分では来たいと思っていたがチャンスがまだなかった。
下見を仰せつかったわけです。


午後の紅茶。


羊とオストリッチが主要な生産物。
朝食ビュッフェにはオストリッチのサラミも出ました。
なかなか行けます。
ハンドバックは高級品ですね。
今回の旅行ではバッグは買わず、卵で作ったランプをゲット(安い)。


宿泊者が集うリビングルーム。


我々のほかに二組のご夫婦が泊まっていた。
イングランドから旅行で訪れている60代の元校長先生夫婦。
それにケープから自分で運転してきた90歳のおじいさんと80代のおばあさん。
このおじいさん(特に)、会話がウイットに富んでいてとても楽しい夕食になりました。
BBならではのひと時です。


とてもおとなしいジェシー。
食事中には皆の膝の上に順番に顎をのせて、何かくれないかな、との静かなアピール。
あまりにも可愛すぎて何とかしてあげたいと思っちゃいましたが、イギリス人も南ア人も完全無視。
人間と動物は違うのね。
輪廻とか考えちゃう我々と違います。


朝にはファーム・ツアーもありましたが、先を急ぐ我々は次の目的地に向け出発。
すると目の前の道をふさいだのが羊の群れ。
車も羊もしばらく無言で立ち止まる。
しかしシープドッグに追われる羊たちは車の左右を川の流れのように過ぎ去っていきました。


バイバイ。

続く







南アフリカに行ってきました(3)ワインランド 

2013-03-13 16:44:03 | 旅行


ケープタウンを出て向かったのがワインランドと言われる一帯。
西ケープ州がワイン生産の中心地ですがその中のコースタルというリージョン。
南アワイン生産の中心地です。

思いっきりアバウトな地図ですが、ケープの東、車で一時間くらいのところです。
本当はケープのすぐ東ですね。
コスパの良さで近年注目を集めている南アワイン。

まだまだ日本での知名度は低いですよね。
18世紀末からヨーロッパへの輸出は始まっていたようですが。
脚光を浴びだしたのはアパルトヘイトが終わりネルソンマンデラ政権で経済制裁が解除された1994年ころから。

国内に600以上のワイナリーがあり、増え続けていますが、最初に注目を浴びたのがこのケープの東側一帯。
気候的には地中海みたいな感じですね。
ワインの生育にはうってつけではないでしょうか。
土壌も古いらしいです。
それに南東からの風が葡萄を乾燥とウドンコ病から守るらしい。

ワインランドの北側にあるパール。
そこが短いワインランド訪問の拠点になりました。
Paarlと書きますがオランダ語で真珠のこと。
80件のワイナリーが軒を連ね、主に赤ワインを生産しています。



パールの町からすぐ近くのフェアヴューというワイナリー。
ここではワインの試飲とチーズの試食ができます。


これがチーズの原料のヤギさんたち。
牛系のチーズも何でもあります。


ワイン試飲のお手伝いをしてくれたカエサル君。
この後のシフトはカルメンさんだそうです(笑)。
豪華メンバー。

ワイン6種類、チーズ10種類の試飲試食で250円。
まじすか。


ステンレスタンクの前で記念撮影。
日本のワイナリーのような工場ツアーはここではありません。



南アではカリフォルニアやオーストラリア、チリなどのように単一品種が殆どです。
特に気に入ったのが白ではシェナン・ブラン。
フレッシュなすっきり辛口ですね。

赤はピノノアが気に入りました。
他にもピノタージュ(ピノとサンソーの交配種)、カベルネ・ソービニョン、グルナッシュもそれぞれ元気です。
早速テラスに陣取ってワインと遅めのランチ。
暑い日ですが、日蔭はドライでとても爽やか。


いいですよね。
この感じ。

そういえばウイーンでもベートーベンの生家の近くにあるテラスで、昼から夕方まで飲み続けたこともありました。
あれは2011年9月。
旅行中の至福の時間です。
翌日汽車でプラハに着いたら皆さんテレビにくぎ付け。
911の日だったんですね。


地物のオリーブとピノ。
もうこれで、わたしゃ幸せ。


少しはお腹に入れないと。
価格は忘れましたが安い。
ワインも食事もとても安い国です。
クオリティーはいいですよ。
あ、白も飲んでたんだ。


ホテルへのアプローチ。
この後、あちこちで見たハリダという鳥かな?


今夜の宿泊先はグランド・ロシェ・ホテル。
南アフリカ、リピーターの友人の一押し。
とても気に入りました。


これがレセプションやレストランがあるメインの建物。
ケープ・ダッチ様式って言うんでしょうか?
白い壁と曲線。
素敵です。


建物はヨーロッパ的ですが気候はトロピカル。
いい組合わせだわな。


日本でもよく見かけるアガパンサス。
紫君子蘭とも呼ばれます。
南アの原産だったのですね。
その他、いろいろ日本で見かける花がありました。
日本に取っては遠いアフリカですが、植物では縁が深かったんだ。


建物の前に広がるワイン畑。
元気な若木です。


客室は英国的な茅葺のコテージ風長屋。


広々とした室内。
12日間の旅行でギターに触らないと不安なので、持って行った組み立て式のヤマハ・サイレント・ギター。
単なるおまじないです。


茅葺の天井はこうなっていた。


ディナーはメイン・ビル前のガーデン・レストランで。
雰囲気も料理も上々。
客は殆どがリタイアしたヨーロッパからの観光客(らしき人たち)。
今度の旅行では英語のほかにはドイツ語が一番聞こえてきました。

ワインリストは辞書のように厚くてとても選べない。
パッと開いて指差したピノにしました。

続く


南アフリカに行ってきました(2)ケープタウン

2013-03-02 11:54:31 | 旅行

(ケープタウンのシンボル、テーブル・マウンテン)

シンガポールから12時間余り、ケープタウンに到着。
暑い。
地元の人もびっくりする猛暑日にあたってしまいました。
でもカラッとしてます。

レンタカーをピックアップして出発しようとしたら、ナビがない。
オフィスに戻って聞いたらナビは別にレンタルするらしい。
いろいろ国によって違うんですね。

よし、オールセット。
取り敢えずテーブルマウンテンまでレンタカーを走らせる。
おお、この急勾配。
登ってみたくなりますよね。



ところが、ケーブルカーは長蛇の列。
南アは真夏のツーリスト・ピーク・シーズンなんですね。
待つこと45分。
殺人的に強い日差し。
実はここに来る間、ケープの空港から街に入る道が事故渋滞。
そして炎天下の45分待ち。
幸先悪いなあ。
でも、これが今回の旅行のどん底でした。
短い。



このケーブルカー、片道行くうちに360度回転する。
絶景を堪能。
眼下に見えるライオンズ・ヘッド。
市街地を一望できます。
人口300万人のこの都市には南アフリカの立法府が置かれているそうです。
船舶の中継基地以外にはこれと言った産業はなく、リゾート地といった感じでしょうか。
高層建築はあまりありません。
美しい街です。

17世紀にオランダ東インド会社が持った南アフリカで最初の植民地でした。
ここにオランダ系の農民、ボーア人がどっと入植しました。



テーブル・マウンテンの頂上。
逆の方向には喜望峰も見えました。

南アは山だらけの国。
海底が隆起したのでしょう。
海岸沿いに絶壁が並び立ちます。
その上には裕福な白人の家や、外国人の別荘が見られます。

テーブルマウンテンはケープにあるからシンボルですが、この手に山はごろごろ転がってます。



さて2時間ほど南下して、はるばる来たぜ、喜望峰。
大西洋とインド洋が交わるところ。
15世紀にポルトガルのディアスが発見。
ポルトガルの影響も多少残っているようです。
喜望峰、インドのゴアそしてマレイシアのマラッカ、さらにはマカオ。
ポルトガル海上帝国ですね。
そのせいでマレイシア料理店もケープには多いとか。

南アフリカを最初に植民地にしたのはオランダで、二度のボーア戦争を経て完全にイギリスのものとなりました。
現在もイギリス連邦加盟国です。



行きは東海岸を南下しましたが、帰りはナビもあきれて沈黙するほど思いっきり西海岸沿いをドライブ(地図の左側)。
道は概して非常にいいです。
左側通行だから気が楽。
標識も英語だし。



この西海岸ドライブが素晴らしい。
チャップマンズ・ピーク・ドライブを経てハウト湾。
絶景の連続です。
この辺から、眠気も取れてテンション急上昇。



夕方に近いとあって、人々が夕日の見えるスポットに集まり始めていました。
しまった、ケープタウンでなくて海岸線に泊まるべきでした。



そうこうしているうちにケープタウン帰着。
お宿はマウントネルソンホテル。
今回の旅行では一番部屋代が高かった。
でもびっくりするほどではないです。
コスパは非常に高い。



ホテルのプラネットというレストラン。
立派な作りで広々としている。
あまり期待していなかった南アの食事ですが、今回の旅行では意外と美味しいものに出合いえました。
さすがワインの国。
食文化もなかなかのものです。
中年のウエイターたちのサービスもフレンドリーでユーモアにあふれていました。
西欧と同じですね。
東洋にはあまりない。
日本のサービスは丁寧だがマニュアルっぽくって退屈ですね。
給仕人が若くて会話も未熟です。

当地ではホテルの黒人ポーターたちも楽しかった。
着いたときのチップは少なすぎると言われ、帰るときに奮発したら多すぎると言われた。
なんでも冗談にしてしまうんですね。
失業に悩み、人口の12%しか税金を払っていない国らしいけど、明るいなあ。



選んだのはスプリング・ボックというガゼル。
脂身の少ないヘルシーな肉ですが柔らかくて味もいい。
ハマナスのピノ・ノアールとの相性も良かったです。
後日、ゲーム・リザーブで見かけたスプリング・ボック君。
ごめん。

繁殖力が強く、いろいろな動物の餌となる様です(言い訳)。



ホテルは低層。
部屋から見るプール。



朝食はガーデンレストラン。
花が咲き乱れ、美しいことこの上ない。



ゆっくりと満喫。
旅ならではのいい時間です。



食事後はホテル内を散策。
このホテル、もとは植物園だったそうで広大な敷地です。



出発前にショッピングセンターが立ち並ぶウオーターフロントへ。
今回の旅行ではあまり買い物に付き合わされなかった。



アフリカン・テイストのお土産を物色。



名残惜しいがワインランドに向け出発です。

続く。







南アフリカに行ってきました(1)

2013-02-25 03:07:11 | 旅行


南ア・ガーデンルート。
風光明媚で治安もいいという。
ケープタウンから南の海岸を800キロほどドライブしました。
ジョージという町から国内線でヨハネスブルグまで飛び国際線に乗り継ぐという旅です。

日本からは近くないですね。
南アでの9日間、日本人は全く見かけなかった。
一人も。
中国、韓国の人も殆ど見なかったです。
(ヨハネスブルグはビジネス・タウンらしくここで降りる東洋人はたくさんいました)。

でもツーリズムが一番大きな産業。
今はまだ夏のいい時期で、ヨーロッパからの避寒の人が殆どかな。
ピークシーズンでした。



羽田空港内の両替所。
少しランドを仕入れるかと思って見てみたら、7.42円で買って13.6円で売ってくれるそうな。
有難いが、結構です(笑)。
南アではどんな小さな買い物でもクレジット・カードの支払でオッケー。
チップ用など小銭を現地のATMで下して持っている、という感じです。



今回の全旅程がツーリスト・チケット。

ゴルフバッグ持参の旅で荷物は重量超過。
羽田のシンガポール航空カウンターではスターア・ライアンス・グループのANAの御嬢さんがおまけしてくれたものの、
数千円のオーバレージを支払うことになりました。
ただシンガポール以降は全く問題なく、南アの国内線では重量も量らなかった(笑)。
日本人は几帳面ですね。

南アは遠いのでシンガポールで14時間のストップ・オーバー。
昔の仕事の同僚のOさんが豪邸の一室を使わせてくれた。
大きなスイミング・プールに面したバスタブ付きの素晴らしいゲスト・ルーム(上)。



奥様のYさんは去年、南アのサファリに行かれた。
素敵なキリンの置物。



現地の友人のNさんがシェラトンタワーのリーバイという人気中華レストランでご馳走してくれた。
大好きな店です。

もうチャイニーズ・ニューイヤーは終わったと思っていましたが、中国人は15日間お祝いするとかで、予約は大変だったらしいです。
街も車で溢れ、タクシーは長蛇の列でした。



皮に卵が入った北京ダック。
美味。



仏陀がびっくりして壁を飛び越えた、というネーミングの豪華スープ。
フカヒレの姿煮、丸ごとのアワビの煮物など具がすごい。
全部の料理の軽く半分以上でしょうね、価格的には。



バンブー・クラム。
ニンニクたっぷり。



いろいろ出てきた最後のシメはロブスター・ヌードル。
なんと贅沢な。
時差でこれを書いている今は午前三時。
強烈にお腹がすいてきた(笑)。



冷えたピュリニー・モンラッシュも持ってきてくれた。
至れり尽くせり。
申し訳ない。

羽田出発が朝の6:30、シンガポールからヨハネスブルグ経由ケープタウンに向かう便が02:30発。
両方とも乗継でもないのに変な時間。

羽田には自分の車で行って12日間止めておきました。
14000円だから悪くないです。
前、夜中にタクシーで帰ったら世田谷まで一万円近かった。

たっぷり余裕をもって空港に。

シンガポール空港のターミナルではどこでも無料でWIFIが使える。
柱には掃除用のコンセントも。
そこに陣取ってネット三昧であっという間に時間が来た。

さてと、ケープまで12時間の旅です。

(続く)


初めての高知3(幡多から高知・安芸・室戸そして帰京)

2012-10-22 01:00:00 | 旅行

美味しい朝食後、星羅を出発。
四万十川の屋形船ライド。


連休明けですいていた。
後ろに見えるのが沈下橋。
増水時には水面より下になる。
平常時限定使用で、建設費は安くなる。
水の抵抗をなくすため欄干がない。
高所恐怖症にはムリ(汗)。
最近も落下した車があったとか。


網の手入れをする四万十の漁師さん。
200種以上の魚が生息する。
冬のうなぎ稚魚漁に始まり春のゴリ、夏の天然ウナギ、そして鮎と一年中漁が続く。


四万十トンボ自然公園。
トンボはあまりいなかったが四万十の魚がたくさん見られた。


神武天皇が言った「秋津州(しま)」はトンボ=あきつのこととか。
小高い丘から見て日本はトンボが交尾しているような形の国だなと。
エロい天皇さんだな。


土佐に戻り仁淀川。
四万十に劣らぬ雄大な大河だ。
水はこちらの方が透明らしい。


仁淀川沿いの土佐和紙工芸村「くらうど」。
なかなかオサレなたたずまいだった。
宿泊、レストラン、SPAもあるらしい。


高知市に戻った。
今夜のお宿は城西館。
日本旅館に泊まるのは久しぶりだ。
八階にある大浴場は露天風呂もありそこからの夜景がきれいだった。
サービスもさすが。
こじゃれた若者向きのリゾートの、丁寧だがマニュアル的対応に違和感を感じるワタシ。
こうるさいねえ。


こんなに食えんぜよ(この後、まだまだ出てくる)。
と言いながらいつの間にか完食。
今夜も栗焼酎。


翌日は安芸にあるkochi黒潮カントリークラブ。
36ホールの雄大なチャンピオンコースだ。
月末には高額賞金で有名なカシオ・オープンが開催される。
キャディーをしてくれた堀川ケイタ君もハウス・キャディーとして参戦する。
気持ちのいいコースです。


安芸の偉人、岩崎弥太郎の生家。
おじいさんが建てた立派な家です。
香川照之演じる弥太郎は極貧でやたら薄汚かったがあれは作り話。
藩の鰹節や樟脳、繭を配給されそれを大阪で売って儲けた。
更には国の造船事業などの用地を事前に買収して高値で売るという。
政商ですな。
今で言うインサイダー取引。
まあ、そんなことでもしないと短期間に日本国のオーナーと言われるほどの成功はありえないということです。
当時は犯罪ではないしね。


銀座の高知アンテナショップが事前に予約してくれたボランティア・ガイドの小松征二さん。
お世話になりました。


宿泊は室戸岬。
こじゃれた(笑)星野リゾート、ウトコオーベルジュ&スパというちょっと恥ずかしくなるようなネーミングのホテル。
夕食のイタリアンディナーはなかなか美味しかった。
ワインも悪くない。
朝食もグッド。
スパ施設があって若いカップルや女性同士がのんびりと過ごせる。
おじさんにはムリ。
まあ、白ワインかシャンパンのボトルとオリーブでもあればそっちのモードにも切り替え可能ですが。

夜明け前の星と月。


新しい日本の夜明けぜよ。

フロントの感じのいい女性は地元出身。
いいところですねえ、と話しかけるとちょっと恥ずかしそうに「何もないところで」と。
そういえば高知ではどこに行っても同じセリフを聞いたような。
いやいや、豊富な自然と食材、歴史があります。


ウトコは地質学的には大変興味深い(らしい)室戸岬ジオパークのなかにある。
先を急ぐので写真撮影のみ。
日ごとにポッコリお腹になる高知のワタシ。


二時間かけて高知市内に戻る。
大橋通り市場で食材チェック。
新高梨のシーズンだ。
水晶文旦もある。
「うちはちょっと高いです」と自信満々の松田果実。
皇后陛下のお誕生日には毎年特大の新高梨、一個8400円を二個送るのだと。
消費税込です(笑)。
親切な人で、野菜、ヒモノ、蒲鉾などの美味しい店を紹介してくれた。


旅の終わりは桂浜。
大きな坂本龍馬像がある観光名所だ(いかにも、な)。
空港へは30分程。
吉村さんが昼食に予約してくれた「ふくみみ」は景色のいい割烹旅館。
最後まで満腹だ。
残念ながら女将さんにはお会いできなかったが、妹さんとその娘さんに接客していただいた。


桂浜散策と龍馬記念館見学。
ここも吉村さんの名刺があれば無料でした。

ちょっと駆け足だったが充実した楽しい旅でした。
感謝、感謝。

また行くだろうな、高知。
ヨサコイですね、きっと。

初めての高知2(都佐=土佐から波多=幡多の国、ルーツを辿る旅)

2012-10-18 01:00:00 | 旅行
二日目は高知市から西に向かう。


朝、テレビをつけると火野正平が全国を自転車で回るNHKの旅番組。
今日は高知市から西に向かうんだと。
一緒じゃん。
何たる偶然。
しかし収録は一週間前。
遭遇するチャンスはなかった。
残念。


高速で中土佐までスイスイ。
最初の休憩地に指定してくれた窪川の道の駅。
「国交省の天下り先だろ」といつもなら毒舌がでるところだがのんびり旅、気持ちも緩んでいる。
バカンスですな。
いつも休みですが。


窪川を過ぎると眼下に太平洋を望む絶景ドライブ。


さて、今回の旅の目的の一つでもある祖父の足跡探索。
約100年前に単身東京に出てきた農家(多分)の二男坊の本籍は幡多郡山奈村大字山田。
現在の宿毛市山奈町山田だ。
カーナビで一発で到着。
後ろの家が当該番地。
今は所縁のない人が住んでおられるようだ。
地元の名家でもないので100年もたてば跡形もなくても当然だろうな。

山田の女性はこのあたりでも特に働き者で「嫁に貰うなら山田から」と言われたそうだ(宿毛市役所谷本さん)。
ハチキン以上のジュッキン(2X5人)だろうか(笑)。
また下ネタですみません。


近くの川。
幼少期の河野来吉少年が遊んだのだろう。
明るくて、人懐っこくて、エメルギーがあって話し上手。
人の心を掴むのがうまかった。
そんな祖父が好きだった。
ここから上京したんだ。
今私が都会っ子をやってられるのも来吉さんのおかげだ。


初台時代の祖父一家。
学生服が私のオヤジ。
祖父以外は全員東京生まれの東京育ち。


近所の方に声をかけた。
岩本さん。
私と同年輩で生まれた時からこの地に住んでいるとか。
来吉さんがこの地に留まれば私と幼馴染だったかも。


宿毛市の歴史館に寄る。
市役所の谷本さんという女性に事前に紹介していただいた矢木さんに話を伺う。
都佐(土佐)と波多(幡多)とはもともと別の国。
奈良・京都の文化は淡路島を通り四国は阿波の国に上陸。
西に讃岐、伊予と進みそこから南下して波多に。
そして波多から東に土佐へと伝わった。

               淡路
                |
                v
伊予 <- 讃岐 <-    阿波
 |
 v

幡多 ―> 土佐 

 
           
やがて讃岐から土佐へ南下する直接ルートができ、波多は高知の主流でなくなった。
最初の国造は渡来人であったようだ。

土佐とは言葉も違う。
万葉の名残があるとも言われる。
公家の名門でありながら幡多の地を開拓しそのまま戦国大名となった一条教房は中村(現在の四万十市)で京都を模した町づくりをした。

そういえば祖父には土佐弁(高知はカワチ?)のアクセントはなかったような。
言語学的に日本には東京式と京阪式の二種類しかアクセントがない。
土佐は京阪、波多は東京式らしい。
え、なんで東京?
なんだか訳が分からなくなってきた(笑)。

関西や九州への海路がありそちらとの交流は盛んだった。
宿毛市は愛媛県との県境。
愛媛県南部との繋がりが強く、高知市民からは「不入山の向こうは土佐ではない」とも言われているとか。
河野家の祖先は愛媛の海賊らしい。

祖父はおそらく山奈から愛媛の宇和島に出て海路大阪に向かいそこから汽車で東京に出たのではないか、と矢木さん。
ますます高知の歴史に興味が湧いてきた。
いろいろと相談に乗ってくれた市役所の市民課谷本さんにご挨拶をして移動。


宿毛から南回りで四国の最南端足摺岬へ。
絶景です。
でもまた寝汗が。


四万十川上流の星羅に着いたのは午後7時近くで辺りは真っ暗。
途中、一車線でもところどころにすれ違いゾーンのある道はそれほど苦にはならなかった。
しかし目的地まであと少しというところで左折して橋を渡るべきなのにナビが直進しろと(理由は地元の人もわからない)。
行ったところが、細い山道で左はガードレイルもない断崖。
後戻りもできない。
ナビを設定し直したところ、そのまま直進しろと。
暗闇の中、スリル満点のドライブを更に10分程したところで広い道に出られた。
疲れました。
寝汗倍増。

今日もご馳走で栗焼酎が旨い。
高知は太ります。

(続く)




初めての高知(土佐の国編)

2012-10-15 01:00:00 | 旅行
初めての高知県。
実は祖父が高知の出。
前々から訪れたいと思いつつ、還暦を過ぎてしまった。

商社時代の先輩吉村さんが高知の観光大使をされているということで、旅行のプランをお願いしました。
いたせりつくせりの旅行プランが東京銀座の高知アンテナショップのご協力でできあがった。
レンタカーから宿泊など全て手配していただき、後は行くだけの楽ちん旅です。


高知龍馬空港到着。
「リョウーマの休日」の始まり。


レンタカーをピックアップして、空港から東北方面へ。
最終日の空港まで同じ車で移動する。
香美市の見どころは龍河洞。
私の先祖はこんな感じでしょうか。


驚くべき自然の造形。
100年に1センチという気の遠くなる時間を経て作られた。
岩手の龍泉同、山口の秋芳洞と並ぶ日本三大鍾乳洞。


ライトアップされた洞内の幽玄。


信じられない薄さの石灰岩の芸術。
このカーテン、すごくね?


出口近くは2000年前弥生時代の居住区だそうです。


洞窟を出てお土産屋さんで軽くランチ。
美味しい水晶文旦をデザートに。
実にうまい。
お店のおかみさんがとても饒舌で商売熱心。
ここの文旦が最高だと売り込みトーク。
あまりの力説ぶりに買わずに店をでる(笑)

高知の女性は皆さん元気がいいですね。
はっきりしていて率直で滑舌がおそろしくいい。
酒飲みで遊び好きと言われる高知の男性。
吉村さんに聞いた話では、4人(2個X4)の男をを食わせる程の働き者でハチキンというらしい。
下ネタです。


北に数キロ言ったところが美良布。
吉村さんのご両親は健在でここに住まわれているとか。
漫画家のやなせたかしさんの出身地でもあり市営のアンパンマン・ミュージアムがある。
すごいですねえ、アンパンマン。
孫やその友達を見ていると2才から3才の子供たちは全員見事にハマります。
なんでだ。
研究の価値ありかも、です。


香美を後にして高知に向かいます。
途中で人生をリセット。
すんませんでした。


高知到着。
土佐20万石、山内家の居城である高知城。
立派なお城です。
ここは観光大使吉村さんの名刺を提示すると入館無料でした。


天守閣から見る高知市内。
中央右の学校が吉村さんの出身校である名門土佐高(だったか?)。


高所恐怖症のくせに覗きたがるワタシ。
この夜は悪い夢を見て寝汗。


南海トラフ大地震だった宝永の地震。
高知でも被害甚大。
大津波で城下は洗い流された。
土佐の様子は『万変記』にあるという。
「朝より風少もふかず、一天晴渡りて雲見えず、其暑きこと極暑の如く、未ノ刻ばかり、東南の方おびただしく鳴て、大地ふるひいづ、其ゆりわたる事、天地も一ツに成かとおもはる、大地二三尺に割、水湧出、山崩、人家潰事、将棋倒を見るが如し」。
伊方原発大丈夫か。
やめてくれ。


山内家の家紋は三つ柏。
岩崎弥太郎はこれをもとに三菱マークを考案したんですね。



高知の庶民的な楽しみが詰まったひろめ市場。
楽しいですよ。
夕食はここでも良かったか。


高知の台所、大橋通り市場。
なかなかの品ぞろえとみましたね。
魚、肉、野菜、果物。
美味いものがそろっている高知県。
太るぜよ。


坊さんが簪を買ったはりまや橋。


一日目の締めくくりは土佐料理「司」。
個室を用意していただいた。
塩カツオに珍しい(我々には)チャンバラ貝。
白身は鯛だったか。
美味しいです。
青さのりの天婦羅に焼きサバ寿司。
土佐鶴や栗焼酎ダバダのすすむ夜は更けゆく。

(続く)


済州島再訪

2012-06-04 01:00:00 | 旅行
完成して2年になる旧友JB LEEのポロクラブを見に行ってきた。

最初の2泊はPODOホテル泊。


在日の建築家伊丹潤さんの作品。
伊丹さんは昨年亡くなった(合掌)。

自然の中で癒される時間。
しかし自然以外何もない。

ホテルにあるのはとてもプライベートな客室とレストランが一つ。
朝、昼、晩とここで食事。

朝からキムチ(韓国語で言うとアサカラ・キムチダww)。


済州島名物太刀魚料理は美味です。



隣接するPINXでワン・ラウンド。
距離は長くないがバンカーがいいところにあって(笑)今日も苦戦。



オンドルタイプの客室。


外から見る客室。


ヒノキの風呂には白濁した炭酸泉がふんだんに供給されている。



済州島では女性が働いているのが目につく。
男は漁に?
ああ、海女さんもたくさん見た。

済州島の人たちはとても親切。
200年間統治したモンゴル人が一番嫌われていて日本人はブービー?
モンゴル・ノマ(モンゴル人みたいな奴)、が一番の悪口だそうだ。

三日目にポロクラブへ移動。


大谷君も到着。

(右。左がJB夫妻)

なんと贅沢な遊びか。



サッカー場6面分のアリーナを敵味方8人がプレイ。
7分間のチャッカーを数回闘うが、連続して同じ馬には乗れない。
3-4頭を各選手が使用。
8人で24-32頭必要になる。

もともとペルシャあたりで発祥したものらしいが、イギリス人がルールを決め競技化した。
ルールを作りまたそのルールを都合のいい様に変えるのがイギリス流(笑)。
そのDNAを受け継いだ覇権国アメリカは、なんと”グローバリズム”という名の勝手なルールを押し付け世界を混乱に陥れている。
TPPはそのミニ版だ。
気を付けよう(笑)。

時間とカネがいるこのスポーツ。
ここが韓国で唯一のポロクラブ。
日本にはない。

時間とカネはなかなか両立しない。
日本の老人は両方持ち合わせているが若さはない、残念ながら。


(アルゼンチンから来たプロと練習するメンバー)


若さも持ち合わせるとなると、御曹司か犯罪者(笑)。
貴族のスポーツだ。
高級車に飽きたお金持ちが持ちたがるのが馬。
結構だが長続きさせるのは簡単ではない。

(目指せ、カネ、暇、若さ)

クラブハウスはPODOと同じく伊丹潤さん設計。
遺作だ。
晴れた日には後ろに済州島のシンボルであるハラ山が見える。
設計のコンセプトがハラ山との調和だそうだ。



分譲住宅。
これも伊丹作品。
一番大きい建坪200坪がJBの家。


そして家の中。
日本からくると別世界だが世界ではよく見る光景。



タウンハウスはこれから分譲するものもある。



済州島は美味しい。
ベトナムでも思ったがアジアは美味しい。
なかなか日本のスタンダード、というわけにはいかないが食べるものに困らない。

昼の参鶏湯の中からはアワビが2個出てきた。


フグの刺身。



サザエの肝うどん(マウイ)。


刺身の盛り合わせ。
ええ、またアワビかあ(笑)。
安い。



黒豚がこれまた旨い。



帰る前にちょっと市内へ。
ディスカウント・ショップは「偽物屋さん」のことだった。
しんちゃん(笑)。
「このエルメスのバック5千円。日本で買ったら40万円よ。どう?」


お世話になりました。
また来ていい?
タウンハウス買わないけど(笑)


実は2月も束の間の南国、帰ってきた成田は雪だった(ホーチミン)

2012-03-09 01:00:00 | 旅行

成田発の夕方便は深夜にホーチミン到着。
JTBのパック旅行で送迎付きだが、お友達のコシバさんがわざわざ空港まで来てくれた。

現在、大手商社のホーチミン駐在員のコシバさんはシンガポール時代のオヤジバンド仲間。
彼、ギターも歌も滅茶苦茶うまい。

ロッテファンの彼とは帰国後も一緒に野球を見に行っていた仲間。
ロッテ対ヤクルト、ロッテ対日ハム、慶應対早稲田、いつも贔屓チームは違う。
でも勝っても負けても楽しそうに野球を観るコシバさんといると、とても居心地がいい。
小生も騒がず嘆かず観ている。
同じチームのファン仲間で行くときは一喜一憂大騒ぎ、それも楽しい。

サイゴン川沿いのレジェンド・ホテル。
朝のビュッフェにフォーがあったのが嬉しかった。
運搬手段はトラックに取って代わられつつあるホーチミンだが、今でも頻繁に水上交通が利用されている。


ベトナムというと最初に思い浮かぶのはあの戦争。
サイゴン陥落。


ミグ戦闘機。


南ベトナム軍の地下司令部、通信室。


現地の日本語ガイド。
歴史は勿論、経済のこと、政治のこと、何を質問してもちゃんとした答えが帰ってくる。
高学歴なのだろう。

開放政策後離陸の期待が大きかったベトナム。
所々に巨大なビルがそびえ立つ。
世界的なカネ余りの影響でここでも不動産バブルが。
しかしすぐにインフレが昂進し金利が18%に跳ね上がったそうだ。

途端に束の間のバブル崩壊だ。


生活水準は低い。
街なかはこんな感じ。


市民の交通手段はバイク。
朝夕ラッシュ時のバイクの流れは壮観だ。


おっ、ヴィトンか。


お陰で空気は汚れているし埃っぽい。
小児喘息も多いらしい。
この都市に一番必要なのは地下鉄だな。


バイクや車の波の中を突っ走る自転車タクシー、シクロはスリリングだ。


あちこちでハンモックに寝そべる人達を見かける。
エアコンの無い時代、昼間の労働生産性が極端に落ちる南国は経済発展で遅れを取ってきた。


路上営業の散髪屋さん。
昔のアジアでは女性の理容師が怪しげなサービスもするヨンパツヤというのもあったと聞いたことがある(笑)。


路上で楽しそうに食事をする人達。
イスがやたら小さい。
移動レストランだ。


初めてなのに何故か懐かしい感じがするベトナム。


日本の女性に人気のベトナム。
お目当ては可愛い雑貨類。
至る所に雑貨屋さんが並ぶ。
入ると日本女子が「ちょっとお、これ可愛くない?」とやっている。
目利きの彼らを満足させるのだからセンスはいのだろう。
日本人は圧倒的に女性同士が多い。
買い物嫌いの男子には辛いだろう。
カップル破局のレシピだ。


漆器専門店「サイゴン・クラフト」。
なかなかイイものがあるようだ。


食べ物はかなり美味しい。
偶々出会った現地駐在員夫人に教えて貰った洒落たベト飯屋さん。


地ビールも旨い。
ビール消費量が世界一とか言われるベトナム。
フランスの植民地だったのでワインかと思ったが。
シンガポールのタイガー・ビールやハイネッケンそれに日本のビールも現地生産しているとか。
タイガーがお薦め。
この後、昼夜・昼夜、タイガー・タイガー。


コシバさんが連れて行ってくれた洒落た中華系ベトナムレストランTIB.
コシバさんにはほぼ毎晩お世話になってしまった。


冬瓜をくり抜いたシーフードスープは香港に行くと必ず食べたものだ。
ベトナム・バージョンはココナッツだ。
どうやらこの国の人たち、食べ物にはかなり熱心なようだ。
よしよし。


これは別の日に連れって行って頂いた「レモングラス」で。
タイのパイナップル・ライスにも似たココナッツライス。
結構でした。
ヤムヤム。


コシバさんは現在奥様が第二子出産の準備で帰国中。
結婚式で「子孫繁栄に尽くします」と宣言された奥さん。
有言実行。


ブラっと入ったタイ料理も旨かった。


日本人居住区付近には邦人相手の店が並ぶ。
しかし今では韓国パワーに圧倒されっぱなしとか。


雑踏の中を小一時間。
ゴルフ場は別世界だ。
ここでも韓国マダムが目立った。



キャディーのアンさんは27歳独身。
最近は彼氏は面倒くさくて欲しくないと。
皆さんiPhoneもどきを触っている。
中国製かな。

まだまだ寒い昨今、南国が懐かしい。