これが私の生きる道

こむずかしいことやきれいごとは
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「終わり」と「はじまり」

2009年12月29日 19時22分33秒 | 思うこと
今日は起きてすぐに散髪に行ってきました。
今月初めから行こう行こうと思っていたら
結果こんな遅くになってしまい過去最高の長さになってしまいました。
女性のほとんどの方がこれ以上長いわけで
シャンプーやその他日常でよく邪魔に感じないなぁと不思議です。
その散髪屋のご主人からもう70歳になると聞かされました。
てっきりまだ60歳前後かと思っていたので大そうびっくりしました。
申し訳ないですが70歳っていったら、
もう完全なおじいちゃんな年齢と思っていました。
まぁ自分もこの歳で全くしっかりしていないので人のことは言えませんが。

一昔前は年末となると髪を切る人が増えるので
待ち時間を我慢できない子供たちは27日より前に来店して下さい、
って貼り紙をするほどだったそうです。
自分が子供の頃に比べて完全に年末らしさというのは無くなっています。
それは季節の変わり目も同様ですが、
個人的にはそういうのはきっちりしている方が好きです。
たぶんそれは「終わり」と「始まり」というものに惹かれているからです。

どちらかというと一日一日ルーティンで過ぎていく方が好きなのですが
心のどこかでそれが終わることを切望している部分もあります。
例えば、学校を卒業することはそれまでの何年間当たり前のように
会っていた人達と会えなくなることを意味します。
それはすごく悲しくて切なくてこれがずっと続いてくれればいいのに、と
人一倍感じます。
でもその感情が高まれば高まるほどその別れがより思い出深いものになり、
自分の中にいいようのない感動が生まれます。
それにものすごく惹かれるのです。

過去数回仕事を辞めることがあってその中の数回は
最後にお別れ会的なことを開いてもらったことがあって
自分の都合だけで辞めていくのにそこまでしてもらえて
とても嬉しくて忘れられない出来事で
どこかでまたそれを求めている自分が確かにいます。
まぁ今の職場はそこまでしてくれる雰囲気じゃないからしないけれど。

だからその代償をライブに行く事で昇華させているのかもしれません。
ライブ中はもちろん楽しくて、その分終わると淋しくて
そこらへんのコントラストがくっきりでて
感情の落差が激しいのが快感となって依存性になっているのだと思います。

最大の終わりはもちろん「死」なわけですが、
その人の人生は一度しかないわけで、
それはこの世に輝かしい偉業を達成した人でも
そうでない人でも同様のことであり
「死」の前では皆が平等です。
だからといって死ぬのが怖くないわけじゃないけど
その日まで一生懸命生きていくのが
最高の「終わり」を迎える唯一の方法なのでしょうか。

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