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これが私の生きる道

こむずかしいことやきれいごとは
書いてありません。
読みやすさを心がけて書いています。
読んでみてください!!

さよなら、でんこちゃん

2011年03月26日 20時49分52秒 | 思うこと
現在は除外されている東京23区(一部は今も実施されている)内も
夏場になれば、計画停電の対象になることは間違いなく
今からその対策を立てなければなりません。
たしか家のマンションは水道直結で
上階に上げるのにポンプを使っているはずで
それが正しければ4階位なら
水圧は落ちるけど断水にはならないはずですが
3~4時間、水が出なくてもそんなに困りません。

一番問題になりそうなのが
夜の照明で、乾電池では電圧が低いので
そうそう照度は期待できません。
明かりさえ確保できれば
本を読んで過ごすことができるので
逆に読書に集中できるチャンスですが
もう少し流通が落ち着いたら
いい照明器具を探しに行こうと思っています。

本の他にはウォークマンは充電しておけば
数時間はもつのでこれを聴くのもいいかもしれません。
音楽だけでなく過去のポッドキャストも相当あるので
これを聞いていても退屈しなそうです。
もう少し前向きなものとしては
筋トレでもしようかと思っています。
腕立てと腹筋と背筋で体幹を鍛えて
しっかりした身体を取り戻すことができるかもしれません。

一般家庭はともかく、
商売をしている人は停電したら休業する他なく
それはすなわち収入が入ってこないことにつながります。
よく行く温泉も計画停電がないときでも
休憩所が休止していて
それじゃ行ってもしょうがないかと他の温泉に行きました。
それに休みの日でも、いきなり停まったら嫌だから
電車で出かけることが少なくなったし
何より何かを買おうという意欲が湧いてきません。

もちろん今は節電一色で
でも普段大量に電力を消費している人に限って
節電、節電言っているような気がして
それはそれで不快なものです。
待機電力が無駄だからと使わない電気機器の電源コードを
コンセントから外したって言ってましたが
エアコンを切った方がそれの何倍も
省エネになるんですけど・・・
あと冷蔵庫に温度調節を「強」から「中」にして下さい、
って何かの注意書きに書いてあったけど
元々「弱」にしてあったし
そんなの今更言うことかと。

個人的な意見としては、
公式なお願いとして、夏場はエアコンを使わないで下さい、って
言ってしまってもいいと思う。
窓の開かないオフィスビルやお店はしょうがないとしても
一般住宅は無くても何とかなるし
室外機の熱風がない分、外は涼しくなるはずです。
設定温度を下げて下さい程度では
とてもじゃないけど乗り切れないのは目に見えています。

今回の電力危機は、俯瞰で捉えると
電力バブルがはじけたような状態ではないでしょうか、
膨らみ続けた電力消費がついに弾けてしまったと。
バブルが弾けた後、消費を見直したのと同様に
電力についても抜本から見直す機会になりそうです。
24時間営業するのが当たり前になった
コンビニをはじめとする小売業、
見てくれを重視した昼間なのに明るすぎる照明、
夏は寒すぎ、冬は暑すぎる過剰な空調、
あるのが当たり前と思っているエスカレーターやエレベーター
数え上げればきりがありません。

実際、今、あらゆる場所が間引き照明になっていても
エスカレーターが停まっていても
それほど不便さを感じません。
要はこれを受け入れられるかどうかの問題でしかないのです。

でも東京電力は今後数年間は大変厳しい時代を
迎えるのは間違いないでしょう。
「オール電化」が衰退するのは確実で
もう本上まなみのあのCMもお蔵入りで二度と見れないし
「でんこちゃん」ももう見れないんだろうなぁ。

自分は自分でしかない

2011年03月25日 19時04分02秒 | 思うこと
この先、かなり極端な意見が書かれています。
常識を重んじる方にはおそらく合わない話だと思います。

来週の北海道公演から
ミスチルのツアーが再開されるとのことで
個人的には大変喜ばしい限りです。
毎度毎度書いているのであまり真実味はありませんが
今回のライブはそれはもうすごくいい内容なので
中止にするには惜しすぎるものです。

はっきりいってこのライブを通じて
被災者の方々に勇気を与えるとか
そんなことはないし、
詭弁に過ぎないと思います。
逆にそんなことしているばあいか、
って妬む人の方が多いでしょう。

もし自分が被災した立場なら
「絶対に大丈夫」とか「頑張れ」とか言われたくないし
そう思っている気持ちは嘘でないにしろ
所詮は、安全で守られている立ち位置から言うことは
被災者の為というより自分たちの為に言っているように
感じるのです。

これから野球が始まったら
「東北の人、頑張って」と言った内容のプラカードを持った
観客席が映し出されるのが予想されますけど
それを避難所のテレビで見れたとして
「よし、頑張ろう」ってモチベーションの上がる人なんて
いるとは思えないし
そう思うなら野球なんて観に行ってんじゃないよ、
って自分なら絶対そういう感想を持ちます。

コミュの書き込みをみても
こんな状態でライブに行っても楽しめない、って意見も多いけど
自分の親族や知り合いが被災しているならともかく
それじゃこの前のニュージーランド地震で
日本人が被災したときは何で平気だったのか、って
そう思います。

悲しいけど自分以外の人が感じている辛さ、痛み、苦しみは
想像することはできるけど
完全に自分の中で再現することはできません。
だから分かった気になって
安易にとやかく言うのは
どんな状況においても意味はないし
逆に失礼なことにも感じます。

失う怖さ

2011年03月22日 21時49分53秒 | 思うこと
今さらですが、震災で亡くなられた方々は
その日に自分がそんなことになるなんて
全く想像もしていなかったし
人によっては何が何だか分からないまま
この世を旅立った方も多数いらっしゃたでしょう。
天災だけでなく交通事故でも事件に巻き込まれるでもそうですが
この予期していないことに
巻き込まれる恐怖というのは
相当ショックなものです。

いくらそれまで人一倍賢明に生きていようが
注意深く過ごそうが
社会生活を営む限り、
それに遭わない保証はどこにもありません。
ここまで生きてきたのは半ば当然のように思えるけど
実はこれはこれで相当運がいいのではないかと
捉えることもできます。

さきほどニュースで見ましたが
家が流された方は
もちろんその家は使えないし
この先、復興が進んでも同じ場所に家を建てる気には
中々なれないでしょう。
そこで土地を売るにしても
そのような場所だったら高く売れないし
現実的にとても大変な状況です。

今回の震災で、親・兄弟、果ては伴侶やお子さんを
亡くされた方も少なからずいるでしょう。
避難生活ももちろん大変でしょうが
それよりこの空いてしまった心の穴を埋める
手立てはあるのでしょうか。
もし自分が奥さんや子供がいて
いなくなってしまったら
生きる気力を無くしてしまうと思います。
間違いなく何を糧に生きていけばいいか
途方に暮れてしまいます。

そんなことを考えると
元々それらを持たない方がいいのかなぁとさえ思ってしまいます。
物やお金は取り返せても
この喪失感には敵いません。
でもそんなに大切に思えるものなのだから
持てたらどんなに素晴らしいことなのかなぁとも
逆説的に思ったりもします。

それでも日本は他の国よりは治安はよくて
完全に安全な社会というのは不可能なわけで
巨大な力に捕まることもあるかもしれないけど
何とかそれを上手くかわしながら
生きていくしか他に方法はないようです。

懺悔

2011年03月21日 17時53分34秒 | 思うこと
今日レンタルしたDVDを返却しに行く途中に
ゴルフの打ちっぱなし場があって
そこでカンカン、ゴルフボールを打つ姿を見て
何だか不謹慎だなぁと瞬間感じました。

でもこれが自分の興味のある、
例えば映画を見るとか舞台を見るとかだったら
こういう思いにはならないことを考慮すると
結局、自分が興味のない娯楽に対してだけ
感じるんだなぁと思いました。

テレビでのバラエティ番組や笑って話すこと、
果ては津波のシーンを見て
すごいと思うことすら
不謹慎といえば不謹慎です。
どこまでが許されてどこまでが許されないかなんてことは
イメージでしかありません。

そもそも世界中では戦争や飢餓でたくさんの方が毎日亡くなっていても
普段私たちがそれを意識することはありません。
国が違うといえばそれまでだけど
同じ地球に住む者として大きく見れば
不謹慎と取れなくもありません。

日記でこういうことを書いているのは
カタルシスとして自分の不安を緩和させるのと共に
何にもできないことに対しての
懺悔しているような気持ちがあります。

余震が続いているからまだ緊張感があるけど
これがゴールデンウィークを過ぎる頃には
この危機感に似たものが薄れてきて
被災者の方のことも忘れてしまうんじゃないかと、
そして原発の問題も生活優先で
なかったことになるんじゃないか
それを受け入れてしまう自分がいることも。

避難所ですごい寒くて食事もほとんど取れず
不安な気持ちで過ごしているに違いないのを尻目に
仕事に行くのが嫌だ、と
小さなことに憂鬱になっていること、
チケットの取れているライブは
日程通り行われるのか心配していること、
不謹慎の固まりです。
他人を無条件に思いやれる人物になれないものでしょうか。

電気のありがたさ

2011年03月20日 19時54分31秒 | 思うこと
原発も何とかなりそうな雰囲気になってきて
多少、心の動揺も収まりつつあります。
関東地方では平日は計画停電が続いており
公共の場では節電が始まっています。
駅では照明の消灯はもちろんのこと、
エスカレーターも停止している場所が多く
職場でも余計な電力を使わないよう
気を使っています。

こうなって分かったことですが
これまでいかに余計な電力を使っていたかということです。
見栄え重視の照明や
歩いても大した負荷でもないのにエスカレーターを使ったり
過剰な空調だったり
こういうものに囲まれて、
運動能力や動物の本能みたいなものを無くしていたのかもしれません。

電力が安定してきたら、またしょうこりもなく点灯しはじめるのは
目に見えています。
ほとんどの人が無駄だなぁと感じても
今回のように大義名分がないと
消灯したりエスカレーターを止めたりするのは
難しいというのも
世の中の仕組みとして分かっています。

プロ野球セリーグの開幕が25日から29日に延期になりましたが
25日にしたかったのは、
おそらくナベツネだったと思われます。
選手はもちろん、オーナー、コミッショナーでさえも
本当はやりたくなかったのではないでしょうか。
でも頂点にいる人がこうと決めたら
下のものは従わざるをえません、
だから人の上に立つ人は賢明な人物でないといけないのです。

うちは端っことはいえ東京23区内で、
今まで一度も計画停電されていません。
地域によって電気を供給している変電所が違うとかで
まのがれているようです。
非常に助かるのと同時に
他の周りの地域は停電しているわけで
やっぱり東京はひいきされているなぁと感じます。
今回の事態がある程度収まった後、
今まで以上に東京一極中心になる感じもします。

もちろん原発は恐怖の対象に違いなく
震災から1週間経っても浮き足立たせている存在なのは
間違いないのですが
直接的に多数の死傷者を出したのは
津波だということをもう一度認識しておく必要があります。
今回の規模の津波が食い止める防波堤は
計算上では可能らしいですが
コスト面など考慮すると現実的ではないらしいです。

でも地震や津波は天災で、原発は人災だから
今後、原発の方がより批判を浴びるのは
間違いないでしょう。
しかし東京電力、保安院だけを責めるだけの話ではなく
ここまで電力を使用しなければならなくなった
日本国内の生活にも問題はあるでしょう。
それが生きていく為にどうしても必要というのならともかく
無駄な贅肉のような、そんな使い方をしているのは明確で
今実施している節電の50%でも行っていれば
もしかしたら原発を使用しなくても
平気な世の中になるのでしょうか。

揺れる想い

2011年03月16日 18時09分52秒 | 思うこと
ここ数日は気持ちがとても上下して
気分が安定してません。
昨日は職場の人が今の原発の状態が
チェルノブイリとほとんど変わらないレベルだと言うのを聞いて
あぁもうお終いだなぁ、と絶望感いっぱいでいましたが
その後調べたらチェルノブイリとは
原発の方式が違うらしいので
そこまでの危険性はないということでホッとしていたら
今日になって格納容器が損傷したかもしれない、という報道を見て
これが壊れると放射能物質が流失してしまい
被害が甚大になるそうで
また下に叩きつけられました。

今まで経験したことがないので
今後もっとひどいことになるのかそうでもないのか
全く想像が付かず
もしかしたら後で振り返ってみて
3月から野球をするかどうかなんて
ノンキなこと、よく言ってられたなぁ
ってことになるのかもしれないと思うと
またまた絶望感に襲われます。

今日駅前を歩いていたら
スーツケースを転がした人数人とすれ違いました。
おそらく海外に避難するのかと思われます。
外国の人は結構もう国外に脱出しているみたいです。
自分も働いていなければ
国内でも南の方に逃避行したいところですが
現実はそうもいきません。

原発で復旧作業している方々は
ものすごい恐怖と闘っていると思います。
自分だったらとてもじゃないけど
耐え切れないでしょう。
被災地の方面は雪も降って相当寒いとのことで
特に夜は寒くて眠れないそうです。
多分自分だったら精神から病んできて
数日でダウンしてしまうことでしょう。
当面危険のない、しかも暖かい部屋で食事に困らない状況で
頑張って下さい、なんて
おこがましいことは言えません。

テレビ番組はちょこちょこ放送されはじめました。
中には不謹慎に感じる人も当然いるだろうことは
想像に難くありませんが
これを流せる位なんだから
そこまで最悪な状況ではないのだろうと思えることができるので
個人的には放送してもらいたいです。
昨日は楽しみにしていた「美しい隣人」の最終回で
感想としては、まぁまぁかなぁといったところです。
それまでの流れとしてはもうちょっとイケたと感じましたが
ハードルを上げすぎたのかもしれません。

良かったと思ったところが、
リオが駿と自転車の練習したいたときに
沙希に寝返っていたところで
彼の立ち位置が今までよく分からなかったけど
あれは意表をつかれました。
あと絵里子が「(沙希と会うまでは)自分が幸せかどうか
考えたこともなかった」というのが正にその通りだなぁ、って
人って本当に幸せなときって
自分が幸せかどうかなんて本当に考えたりしないものなんですよね、
もうそう考えはじめたときは
幸せではないということですね。

そしてラストは分かりにくくしてあったけど
沙希が自殺した後、
絵里子が一人で、おそらくあの沼だと思うんだけど
死体を処理して、
何もなかったような様子でやり直すという
最後は絵里子が一番怖かったというオチだと解釈しました。
まぁDVDにはもっと分かりやすい
解説があると思いますけど。

こんな地震が起きる前だったら
もっと集中できたと思うんですけど
終始、横と下にテロップが流れてもいましたし。
あと今日Superflyのチケットが当選したけど
やっぱりいつものようには
喜びいっぱいという気持ちにはなれなかったのが悲しいです。
いつになったらこのどんよりとした気持ちから
解き放たれるのでしょうか。

学ぶべきこと

2011年03月14日 20時08分48秒 | 思うこと
新聞やニュースを見ると
なぜか気持ちが悪くなってしまい
直視できない日々が続いています。
ものすごい負のエネルギーに呑み込まれそうになります。
今日は仕事が休みでしたから良かったですが
明日からどのような姿勢で
社会生活と向き合えばいいか
不安で仕方ありません。

あれから3日経って、近所ではパッと見
以前と変わらない様子に見えますが
その内実は大変なことになっています。
とにかくスーパーの棚にあれだけ商品がないのは
はじめての経験です。
普段、こんなに商品積んでいて
全部売れるのかなんて思っていましたが
カップラーメン、パンに関しては
もはや何も残っていない状況です。

原油高に加え、今回の一件で
物の値段は何割か増しになるのは間違いないでしょう、
需要に対して供給が全然追いついていませんから。
安定した電力の供給が
安定した物資の供給につながり
物の値段の安定をもたらしていたことに
改めて気づきました。

でもこれが落ち着いてしばらくしたら
食べきれもしないものを注文して
案の定、それを残して、
それが残飯の山となる
元通りの日常に戻るに違いありません。
見栄えだけのパーティー、宴会、会合
人が集まる所に無駄な食材ありです。

節電のおかげで計画停電は一部行われなくて済みました。
というか普段いかに無駄な電力を使用しているのか
それも証明されました。
きらびやかな夜のイルミネーション、
過剰な暖房、冷房
抑えようと思えばできるものなのです。
クリスマスシーズンになるとイルミネーションを
無邪気に喜んでいましたが
それも原発の稼動の上に成り立っていたものなんですね。

今回の一連の顛末は、
もしかしたらこれからの未来の行くべき姿を
指し示しているものなのかもしれません。
食べられる分だけ食材を用意する、
余計な電気は使わない、
24時間営業が当たり前のコンビニを見直したり
徐々に何かをそぎ落としていく
そんな時代に向かっていこうとしているように感じます。

それは何も貧弱になっていくことではなくて
その分を人と人のつながりで補っていければ
最近失いつつある何かを取り戻せる
そんな気がします。

今の本心

2011年03月13日 18時18分58秒 | 思うこと
もしかしたら不謹慎な文章もあるかもしれませんが
きれいごとを書いても仕方がないので
ありのままに書きます。
最近、震度4程度の地震が東北地方で続いていたので
そこでエネルギーが放出できていて
逆に大きな地震はないと思っていただけに
今回の大地震は意外でした。
地震というと火事のイメージが強くて
津波がこんなに恐ろしいものだったのは衝撃的でした。
今まで津波情報が流れる度に
番組が見づらくて邪魔だなぁって思っていた位で
そんなに重要なものだとも思っていませんでした。

東京では目に見えるほどの建物の倒壊などはなく
案外耐性があるんだなぁと思いました。
震度5というのは自分の記憶している限りでははじめてで
もっと道路なども陥没するものと想像していました。
落ち着いたら耐震偽造のマンションが
今回の地震でどうなったか調べてもらいたいです。

でも電車と携帯が止まってしまうだけで
こうもバタバタしてしまうものなんですね、
道路もひどい渋滞で、こういう見た目で、
余計に興奮してしまっているような感じもしました。

今何ができるか色々考えてみましたが
自分的には献血が一番いいのかなぁって思います。
実際に被災で怪我された方に必要なことも
少なからずあるでしょうし、
ありすぎて邪魔になることもないでしょう。
でも先週、献血したばかりで2週間はすることができないのは
何ともタイミングが悪いものです。
募金もいいとは思いますが
いかんせん、そのお金がどのように使われるのかがはっきりせず、
天下りのおっさん達の懐に消えてしまうんじゃないか
っていう疑心が消えません。

救援物資を贈るのは向こうが必要としているものならばいいけれど
中には自分が着なくなった防寒性の薄い夏物の服や
ゴミに出すとお金を取られるから
これ幸いにて送ってくる人もいるそうで
阪神大震災のときもそれの処分が大変だったって話があって
必ずしもいいことでもないみたいです。

ボランティアに行くというのも一つの手でしょうが
こういうことを経験している方なら役に立つでしょうが
興味本位のいわゆる使えない人がいくのは
足手まといになりかねません。
中には自分探しの延長程度の気分で
ボランティアに参加する人もいるでしょうし
そういう人にかぎって、
ワンマンでチームワークを乱したり
施しに対して感謝されなかったら
不満を漏らしたりしそうで
人選を行った方がいいように思います。

あとネット社会で情報が多すぎて
本当に必要な情報がどれなんだか
分かりにくくなっているような気がします。
テレビの報道にももちろん不備はあると思いますけど
あれはあれで仕方がないところでしょう。
リハーサルも台本もなく
ある程度、衝撃的な映像を流し続けて時間を稼いで
こんなこと必要かという情報を放送しているのは事実ですが
ならば一体どんな報道をすればいいかなんてよく分からないし
嫌なら見なければいいだけの話で
実際自分はほとんど見ていません。
見たからって被災者の方が助かるわけでもないし。

地震の余波で原発が大変なことになって
改めて自分たちは安全圏にいて
この恩恵に授かっているんだなぁと思います。
原発を無くすのが一番かもしれないけど
今の快適な生活を満たす電力を満たす為に原発はあって
そもそも火力や水力でまかなえるならば
こんな危険なものをわざわざ作らなかったはずで
原発を無くすから、エアコンは使わないで下さい、って言われたら
それをみんなが許容することはできるのでしょうか。

うちは夏も冬もエアコン使わないから平気だけど
これが例えば余計な電力を使うからと
ライブや舞台はこれから行いません、って言われたら
原発続けて下さい、って正直な所、思ってしまいます。
何とも虫のいい話ですが
原発の近辺にお住まいの方には
ものすごく税金を減らしたり
こういう事故が起きたときに
手厚い保護を受けられる施設などを
これこそ税金を投入して作ってもらいたい
というのが、偽らざる心情です。

最後に、震災が3月11日にあって
同時テロが9月11日にあって
次は6月11日に何か大きな出来事があるのではないかと
都市伝説的なことは信じていません。

まさにささやき

2011年03月10日 21時52分37秒 | 思うこと
今から100年後には
現在生きている人間の99%以上は間違いなく消えている。
いま、使いきれないほどのお金を持っている人も
これ以上ないというほど円満な家庭を築いている人も
幸せ過ぎる人も
やることなすこと上手くいかない人も
いつ死のうか迷っている人も

そんな大局的にみれば、
人間が抱く喜びや悲しみなんて
ほんと取るに足らないことで
重要なことなんて実は何もないんだと思う。
最近政治が混迷を極めているけれど
それでさえもちっちゃい出来事のように感じる。

それでも現実には些細なことに一喜一憂して
あたかも己が地球の中心のように
物事を考えてしまうのは
やはり愚かな証拠なんだろうか。

よく死ぬ間際に幸せな人生だったって
思えるような人生を過ごしたいというけれど
そんなこと考える余裕はあるのかな。
幸せな人生を送ってきた人は
もっと生きたいと願い
不幸な人生を送ってきた人は
やっと楽になれると思うのならば
死の一瞬手前で人の幸不幸は逆転するものじゃないか
と考えてもおかしくない。

死後の為に現世では修業やお布施を生きがいに
生きている人もいていいと思う。
でもそれを悪用してお金儲けの道具にしている人も
いることには目を配ってほしい。
ものすごい確率でその世界は存在しないのだから。

最近、将来設計として50歳までに5000万円貯めて
その後は週3日位、月10万円位の仕事をして
のんびり生きたいと、真剣に考えるようになりました。
田舎には興味ないけど
温泉に週1回行く位で贅沢しなければ
案外余裕で暮らしていけるんじゃないかと

大事な話は右耳で、口説きたいなら左耳に

2011年03月09日 18時58分49秒 | 思うこと
今日4ヶ月ぶりに献血に行きましたが
採血中に個別に与えられているテレビが
デジタル放送対応に切り替わったのに伴い
今まで見れていたCS放送が見れなくなっていて
これが楽しみの一つだったので
結構ショックでした。

自動販売機からも大好きだったコーンスープが消えてしまっているし
次回から他の場所に変えようか悩み中です。
新宿はそういった点で設備は揃っているんですが
取材を受ける割合が高く人気ゆえか
スタッフに慢心というかサービス精神が足りないように見えるから
また行きたい、って気にならないのが難点です。

毎週楽しみにしていた「大切なことはすべて君が教えてくれた」が
先週あたりからまさかの大失速で
かなりつまらない展開になってしまいがっかりしています。
主演の戸田恵梨香の出番を増やすに比例し
サスペンス感よりヒューマンタッチな描写が増え
悪者ぽかった修二の兄貴までいい人に変わってしまい
人物の深さが一気になくなってしまいました、
結局最後はみんないい人にしたいのね。

そんなんでダラダラ見ていたのですが
修二と夏実が両者共、携帯で通話するシーンで
右耳に携帯を当てて通話しているのを見て
あれって思いました。
固定電話でも公衆電話でも
自然と左手で受話器を取るようになっていて
それは右手でメモが取れるからだと思うんですけど
なので当然携帯も左手で持つのが当たり前でした。

試しに右手で持って携帯を使ってみましたが
やはり違和感がありました。
他の人はどうかと思って街中で観察していると
何人かは右手で携帯を持って通話している人がいました。
気になったのでネットで「右耳」「電話」で検索すると
これについて書かれたレポートがあって
脳の機能から言うと右耳で聞いた方が
利に適っているそうです。

左右に分かれた人間の脳は、左脳は言葉などの論理的分野をつかさどり、
右脳は絵画など感情的分野をつかさどり
右脳と左脳は体の各部に対してクロスしているから、
「電話で相手の話を聞く」という言葉の分野なら左脳を使う、
つまり右耳で聞くのがいいというわけです。
確かに電話で聞いた話って
上手く記憶できないなぁと思うことがあって
例えば、相手から携帯番号を伝えられても
メモがないと切った後にすぐに忘れてしまい
ただ単に記憶力がないだけかもしれませんが。

携帯っていえば会社の先輩が
今度発売されるドコモのスマートフォンを予約してきたって
話てたなぁ~。
今使っているスマートフォンも
数ヶ月前に機種変したばっかりで
ちょっと前はサイバーショット携帯があれば
他はいらないって言っていたのに・・・
もう二つ折りの普通の携帯は
なくなっていくんですかね。
月の使用料1000円の自分にとっては
どっちでもいいんですけど。

君に向かない職業

2011年03月04日 21時50分17秒 | 思うこと
近所の図書館に行ったら入り口に
「最近、マスクと眼鏡をつけて黒のジャンバーを着た不審者がいます」
と貼り紙が掲示してありました。
具体的にこの人物が何をしたかは書かれていませんでしたが
見かけたら職員まで申し出て下さい、とのことで
でもそれっぽい人って結構いるから
中々言いづらいなぁっていうのが正直なところです。
それに職員さんはほとんど派遣の人っぽいから
実際怪しい人います、って言われても困るような気もするんですが。

こういうときは男性職員って必要かなぁって感じますけど
基本的には図書館に男性って必要ないってよく思います。
本って意外に重いことはあるけど
本屋さんと違って大量の本が毎日送られてくるわけではないし
窓口業務を男性がやっていると
そんなことより汗して働け、って思ってしまいます。

あらゆるレジ業務に男性は不要ですね。
スーパーでもファストフード店でも
品出しとか調理とか裏方仕事に徹してもらいたいものです。
逆に女性でならない方がいいと思う職業は
アイドルです。
売れれば売れるほど、自分の時間はとりにくいし、恋愛も自由にできないし
とにかくプライベートの行動が制限されるのが嫌なところです。
隠し撮りなどを考えたら、露天風呂にも入れないし
お手洗いも勝手に入れないし
外歩くのに変装しなければならないで
すごくストレスが溜まりそうです。

お金稼げても太れないから好きなものばかり食べれないし
とにかく旬の時期が短いのが辛いですね。
最高の時を知っちゃうと
それとの落差が端からみたらそうでもない状況でも
自分で自分を苦しめちゃうじゃないかと。
アイドル的な要素とは別に才能(笑いや演技など)がないと
30歳を境に結婚して子持ちタレントとして
生き延びていくしかない、
そういう人が増えてきているので
そこに打算的なものすら感じてしまうのです。

自分に向かない職業は山ほどあるのですが
その一つが教師です。
それは間違いなくエコひいきしてしまうからです。
以前に外食産業で働いていたときに
自分では丸っきり自覚していなかったのですが
好意を持っていて子にだけ優しいと
陰で言われていたことを後日知って
ひどくびっくりしてものです。

それからはさすがにひいきしているときは
自覚できるようになりましたが
本質的にそれが治まったとは思いません。
好きな方はともかく、
人間的に嫌いなタイプの生徒には
たぶん冷たくなってしまうでしょう。
例えば、授業中携帯ピコピコしている子、
不良、茶髪など今じゃ当たり前な生徒でも
心を閉ざすこと間違いなしです。

未曾有の就職氷河期で
最近も就職活動がうまくいかなくて
バスハイジャックした大学生もいましたが
これだけ就職するのが難しいと言われていれば
たとえ就職できなくても仕方がないと
周りの人にも思ってもらえるし
本当に悲惨なのは
好景気で誰でも就職できる時代でも職につけない人です。
それに実際に働いている身から見ると
高望みしなければそれなりの仕事はないことはありません。

就職率よりも、個人情報や情報操作のせいで
仕事していても楽しく感じないことの方が大変な問題だと思います。
しかもこの先、それが強まる一方というのが
出口のない迷路を彷徨う感覚に強いものがあります。

孤独の方が楽

2011年03月01日 22時13分57秒 | 思うこと
11月から赴任していた職場から
本日より元の職場に戻り
やっと一日が終わろうとしていますが
何だかひどく疲れてしまいました。
肉体的にどうのこうのではなく
ものすごく騒々しく感じてしまいました。

朝、朝礼があったのですが
それが20分以上も続いてしまい
初めの頃に聞いていた内容などもちろん頭に入っていることはなく
立ちっぱなしなので早く終われということしか
思いつきませんでした。

それが終わった後も、久々に戻ってきたせいか
職場の愚痴を、来る人来る人から浴びせられ
リアクション取るのも面倒くさくなって
途中からはパソコンで夢中で仕事をしているフリをして
やり過ごしました。
何か、昨日までいたところで
一人、楽していたと思われているみたいで
「これからはビシビシ働いてもらう」とか言われて
モチベーションも下がる一方です。

一人きりの現場だったから何かあったら
全て自分で処理しなくてはならないし
楽なことはないけれど
一々それを報告していなかったので
楽園みたいに思われてたみたいです。

でも性格的に一人で何でも決められる方が向いていることは
今回、実証されました。
仕事上何かを決めるときに、上司なり周りの人に判断を仰ぐのは
何かあった場合に責任を回避できるから
楽っちゃ楽なんだけど
大概そういうときって、
お客さんに喜ばれるような結果にならないことが多いんですよね、
時間も掛るし、無難な道を選びがちだから。
それだったら問題がなさそうな範囲で
自分で決定した方が全然いいかなぁと。
それでお客さんに迷惑が掛って
責任とれ、って言われたらそれは当然とりますしね。

人が大勢いると責任逃れみたいな対応ばっかりで
ひどく肩が凝ります。
この前、土手でラジオ体操したら
右腕をあげると痛くて
帰って調べてみたら
肩甲骨が固まっている状態になっていることが分かりました。

ここの部分が柔軟じゃないと
肺にも影響して、呼吸で取り入れた酸素の量が減ってしまって
血流もわるくなって
身体にとても良くないということで
たしかに指先や足先が冷えたりするので
このせいかもしれないと合点がいきました。

とりあえず簡単な体操でほぐせるみたいなので
早速実践してみたら結構すぐに効果が現れました。
外では手袋なしじゃいられなかったのが
今日位の寒さでも平気になったし
身体全体が多少軽くなった気もします。
せっかくいい効果が出てきた矢先に
今の職場に戻ってしまって
また不健康になりそうで怖いです。

『何、逆ギレしてんの』

2011年02月25日 20時53分02秒 | 思うこと
タイトルはドラマ「美しい隣人」で
仲間由紀恵が元夫役の高知東生に
言い放ったセリフです。
今週の第7話で、
とうとう浮気相手が自分だと告白し
絵里子(壇れい)に何でわざわざ自ら告白したのか聞かれて
「その顔が見たかったのよ・・・」と
そこで壇れいの泣き顔に切り替わって
あまりの見事さに思わず笑ってしまいました。
人間って恐怖を強く感じると笑ってしまうというのは本当ですね。

この先の展開次第では、伝説になりそうなドラマになってきました。
内容自体は割と古典的ですが
じっとりねっとりした演出が
何かとあくせくした現代には逆に新鮮なのかもしれません。
先週の6話のタイトルは『地獄の快気祝い』で
キャッチコピーが『女は、苦しむ女を見るのが好き。』
なんて素晴らしいコピーでしょうか。

実際、絵里子が可哀相っていう意見より
もっといじめてほしい、という反応が多いみたいで
鬱屈した方々が多いようです。
自分は絵里子、可哀相って思うのと
もっと苦しめちゃえ~ってアンビバレントな感情が交錯してます。
それといいアクセントになっているのが
絵里子の旦那役、渡部篤郎の
枯れ具合もいい味だしてますね。

最近「リアル・シンデレラ」という本を読みました。
直木賞候補に挙がった作品で
週刊ブックレビューで紹介されていて読んでみました。
倉島泉(せん)という主人公がシンデレラにあたる人物なんですけど
童話と違い、王子様と出会えるわけでも結婚できるわけでもなく
パッと見は、不幸な人生に感じられますが
本人はそうは思ってなく、
他人の幸せが自分の幸せという
常人にはとても真似の出来ない女性です。

妹に旦那を取られても、慰謝料も請求せず
逆に自分が軌道にのせた実家の旅館も明け渡してしまい
人がいいのにも程がありますが
この所有にこだわらない姿勢というのは
現代社会でも幸せになれる要素を含んでいると思われます。
人は「無くすこと」に大変な恐怖を覚えます、
なぜ「無くす」かと言うとそれは「持っている」からで
持たなければ恐怖は感じません。

そうはいっても生きている間は
ある種のものは持たなければならないこともあるけれど
死ぬときはそれらを全て置いていかなくてはいけないことに
案外気づきません。
倉島泉は「ガラスの靴」を落としても
それが自分のものだとは決して言わない、
むしろ他の人に与えることに何のためらいもない、
といった点で童話のシンデレラとは全く違います。
作中では、シンデレラは結局は
舞踏会に行ったり、王子様の花嫁選びに名乗りでたり
自分をいじめていた継母たちと
価値観は変わらないのではないか、と分析しています。

他人と比べることによって
幸せを感じることは実際あるけど
自分に揺るぎないものがあれば
そういうことに左右されないで生きていけるんだろうなぁ、
子供に戻れるんなら、
そういうものを身につけるんだけどな。

怒らないひと

2011年02月22日 22時31分25秒 | 思うこと
「妻と罰」という深夜番組をここ2週位、見てます。
男性独身タレントが4~5人集まって
恋愛にまつわるトークする番組で
今週はウド鈴木がゲストでした。

このウドの奥さんが大層よくできた人で
ウドがデートの約束をしていたにも関わらず
寝坊してしまってデートをすっぽかした時、
「よく眠れるのは健康の証だからいいことじゃない」と、
笑って言われたそうです。
普通、約束を守らなかったことと
ないがしろにされたということで
間違いなく文句言われて仕方がないシチュエーションで
こんなこと言われたら
1万円位のプレゼントなら簡単に買ってあげちゃいます。

友達で、今回と全く同じようなケースで
その彼女は電話も何もせずに(まだ携帯がない時代です)
ただずっと待っていただけで
彼に怒ったりしなかったみたいですが
彼の方が、電話してくれればよかったのに、と言ってました。

これが惚れている弱みで、ここで怒ったら嫌われるかも、
という計算で言っていないところがミソで
(実際ウドの方が惚れていたよう)
素で言えるってすごい才能だと思うんですよね。
しかも理由が「寝てた」でしょう、
文句の一つも言いたくなる場面です。

理想のタイプって色々考えると
この「怒らない人」って言うのは結構あるのかなぁ。
人間なんで内心でどれだけ怒り狂っていてもらっても構わないんですが
それを表に出されるとやっぱり怖いのかなと。
また怒った顔っていうのが可愛くないんだよな。

付き合っているときはどちらかというと穏やかだったんですが
別れる数週間前位から、口調や態度が
「え、なんでこれ位のことでキレてるの」って感じることが増えてきて
何かおかしいなぁって思っていたんだけど
今から思えばその予兆だったんだなぁって
腑に落ちることがありました。
怒らないって言っても、共依存症で
彼氏の言うことなら何でもきいて
お金を貢いじゃうような人は困りもんですけど。

またその番組で、「女性から言われて引いた一言」というコーナーがあって
レストランの店員に「このフォーク、取り替えて」と
タメ口を話すのを聞いて引いてしまった、という話になって
チュートリアル徳井が、
店員だからって上から物を言う態度もそうだし
それを聞いた彼氏が自分のことをどう思うのか、
それに気付かないバカさ加減とダブルで良くない、
と評していて、なるほどと思いました。

でも「人から見られている私」を計算して演技されて
結婚してから本性を現される方が地獄かなぁ。
元Jリーガーの武田は、ディズニーランドで行列に並んでいて
雨がやんだらビニール傘を必要ないからと
ポイ捨てしたモデルの彼女の話をしてましたが
ある意味、この方が分かりやすくていいのかもしれません。
こういう人がモンスターペアレンツになるんだろうなぁ。

東京発のイベント

2011年02月21日 21時18分27秒 | 思うこと
今日の夕刊を読んでいたら東京マラソンの特集をしていて
今週末に行われることを知りました。
1回目のときは、勘違いかもしれませんが
それ1回きりかと思っていたのに
当たり前のように毎年恒例となり
もう5年目を迎えています。

東京には有名な青梅マラソンもあるし
土手を延々走る荒川マラソンもあるので
わざわざ都心の主要道路をつぶしてまでやる価値あるのか、
と個人的には思うし、
実際仕事で通ったりする道もあって
そういった点でもはっきりいって邪魔です。
去年まではこれに出場したい、っていうマイミクさんがいたから
書けなかったけど、いなくなったので心置きなく書くことができます。

参加費は1万円でも参加するのに倍率が10倍ほどもあるそうで
石原都知事が特別枠で多くお金を払った人を走らそうとしていたみたいだけど
反対が多くて、さすがに頓挫したみたいです。
けれどこれに関しては結構賛成だったりします。
だっていくら走りたくても当たらなきゃ走れないのは悲しいし
一回当たった人は5年間は当たらないようにするとか操作でもしなきゃ
不公平ですよね。

だからオークション形式にして
申告した金額順で当選させれば参加費もより集まるし
それを福祉にでも充ててもらえばいいじゃないですかね。
貧乏人は参加するなぁってことか、って意見も出そうだけど
貧乏ならマラソンするより働けば、って。

同じように近年、東京で毎年開催される催しものでも
「ラ・フォル・ジュルネ」は続いてもらいたいイベントです。
これは東京国際フォーラムでゴールデン・ウィークに
行われるクラシック音楽祭です。
クラシックファンなんてほとんどいないから
1年限りで終わっちゃうんじゃないかなぁって
思っていましたけど、今年で7年目になります。
フルオーケストラから独奏まで
その年のテーマの作曲家の作品を演奏し
1公演45分ほどと普通のクラシックコンサートの
ハーフサイズが特徴です。

こうやって知ったふりして書いていますが
実際に会場に足を運んだことはありません。
それはテーマになっている作曲家によります。
ベートベン・モーツァルトは特に人気があるからしょうがないとして
シューベルト・バッハ・ショパンと続き
今年こそはと期待していたら
ブラームス、リスト、ワーグナー、マーラー、ブルックナーなどの
後期ロマン派の特集になるとのことで
お目当てのチャイコフスキーは今年もおあずけです。

今ちょうどBSの「クラシック探偵 アマデウス」で
チャイコンことバイオリン協奏曲を紹介していて
改めていい曲だなぁと感じました。
あらゆる作曲家の中でも
サビの泣かせるメロディーが秀逸なんですよね。
「弦楽セレナーデ」なんてそんなに有名じゃないけど
哀愁漂っていて出だしから痺れます。
大曲も小曲もバランスよくあるから
このイベントには最適な作曲家だと思うんですけどね、
ブラームスとブルックナーは割りと好きだから
今年は行こうかと思っています。

そんなんでたまにはクラシックコンサートにも行きたいなぁって
サントリーホールの公演情報を調べたら
6月21日にその「弦楽セレナード」と
ショパン「ピアノ協奏曲 第1番」
そして一番好きな、チャイコフスキー「交響曲第5番」という
最高のセットリストのコンサートが見つかったので
絶対に行く気になってます。

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