夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

急逝

2012-07-15 09:38:21 | つれづれなるままに
7月8日(日)⇒7月10日(火)

 野田村旅行に行く前の日、東京の職場で一緒だった友人の奥さんが急逝したとの報が入った。家内の大学時代の同級生であり、これまで30年以上の家族づき合いもしてきた。二年ほど前から酸素ボンベを引きながら通院していたと聞いた。
 家内が旅行をキャンセルし、私は火葬には間に合わなかった。
 久しぶりにノクターンという夜行バスに乗った。片道9,900円。でも1時間前に出るパンダ号は5,000円だという。そちらのバスはほぼ満員だったが、何も知らない私の方のバスは6人しか乗っていなかった。
 いくら座席を倒しても、結局足が下になっていると翌日浮腫んで、結局靴が入らないことがあって、お客が少ないことをいいことに両足を前の座席の上に上げていた。それでも結局何度も夜中に目覚めては、何度も寝返りを打った。
 翌朝5時30分には目覚め、お日様も明るく快晴の東京。写真のスカイツリーが突然道路からニョキッと立っている姿があった。思わず写真をとった。
 東京駅で朝食をとり、友人の家を目指した。途中事故があったのか、電車が遅れていた。

 東京ではいつも定宿にさせてもらっている先輩のお嬢さんと先行の家内が駅に迎えに来てくれた。Kさんのお宅まで乗せてもらって、友人宅を弔問した。
 密葬を望んだ奥さんらしく、葬儀はなかった。友人はクリスチャンでもあり、子供たちも3人それぞれ福祉や医療関係の仕事についているという。友人も千葉県の施設で施設長を続けている。
 お線香をあげさせてもらって、少し奥さんの病状や亡くなるまでを聞いた。彼も家族もみなこんなに早く逝くとは思っていなかったらしい。急逝肺気腫という病に苦しんでいたらしい。
 友人と私はこれまで距離もあって、彼がその後どんな経過で今日にあるのかわからなかったが、思想上のことなのかかつての職場のメンバーとは断絶状態であったらしい。だからか、近郊に棲む仲間たちには知らせはなく、青森に知らせが届いた。これは家内と奥さんの関係での娘さんへの遺言だという。亡くなることを覚悟していたのか、なくなったら家内には連絡して欲しいと言い置いていたという。
 そういうことなど想像もしていなかった私は、昔のメンバーにどうなっているのかを聞いたが、誰も知らなかった。結果、メンバーのうち比較的関係に頓着しない連中が商工に弔問した。それが良かったのかどうかは分からないが、そういう複雑な人間関係は、誰にでもあることを改めて思った。

 先輩夫婦のお宅におじゃまして、久しぶりに再会を懐かしんだ。先輩のお嬢さんが出産していたことは、気づかずにいた。初めてお子さんを抱かせてもらったが、結構重たかった。

 あっという間に別れの朝が来て、家内と新幹線の人となった。ホームで新幹線の車体に、ご当地コマーシャルが描かれていたので、写真をとった。
 

 車中家内も連日徹夜で先輩や友人たちと話した疲れか爆睡していた。私は先輩からお借りした、かつて同じ職場にいたことのあるKさんという方の出版された書籍を読みふけった。施設職員をされた後で養護学校教諭に転職して、障害児教育に携わった30数年間を振り返った貴重な記録だった。
 都教委が関与して管理強化していくさまなど、日本の教育のあり方についても考えさせられるものがあった。私の職場でまだ手を付けていないジャンルの貴重な実践には、思わず敬服していた。
 先輩のお宅の二階からは、夜になると、すぐそばの沢を見るとちょうどホタルがたくさん舞う季節だったことも驚きと感動のひとときだった。
 青森に到着する前に書籍を完読した。子供たちを雑木林に例えていた本だったが、金子みすずの「みんなちがってみんないい」も同じことのように思った。



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