朝
また朝が来てぼくは生きていた
夜の間の夢をすっかり忘れてぼくは見た
柿の木の裸の枝が風にゆれ
首輪のない犬が陽だまりに寝そべっているのを
百年前ぼくはここにいなかった
百年後ぼくはここにいないだろう
あたり前な所のようでいて
地上はきっと思いがけない場所なんだ
いつだったか子宮の中で
ぼくは小さな小さな卵だった
それから小さな小さな魚になって
それから小さな小さな鳥になって
それからやっとぼくは人間になった
十ヶ月を何千億年もかかって生きて
そんなこともぼくらは復習しなきゃ
今まで予習ばっかりしすぎたから
今朝一滴の水のすきとおった冷たさが
ぼくに人間とは何かを教える
魚たちと鳥たちとそして
ぼくを殺すかもしれぬけものとすら
その水をわかちあいたい
「空に小鳥がいなくなった日」サンリオ 1990年
谷川 俊太郎詩
さようなら
ぼくもういかなきゃなんない
すぐいかなきゃなんない
どこへいくのかわからないけど
さくらなみきのしたをとおって
おおどおりをしんごうでわたって
いつもながめてるやまをめじるしに
ひとりでいかなきゃなんない
どうしてなのかしらないけど
おかあさんごめんなさい
おとうさんにやさしくしてあげて
ぼくすききらいいわずになんでもたべる
ほんもいまよりたくさんよむとおもう
よるになったらほしをみる
ひるはいろんなひととはなしをする
そしてきっといちばんすきなものをみつける
みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる
だからとおくにいてもさびしくないよ
ぼくもういかなきゃなんない
「はだか」筑摩書房 1988年 谷川俊太郎詩
「いいよ、死」 徳永 進
「誰もが死に出会う。死に出会わずにすますことはできない。どうして?この世に生まれ、この世に生を受けたから。誰が?死に向かっている生命の持ち主が。それにもう一人、死を見る自分自身も生を受けたから。自分自身がこの世に存在しなかったら、死に出会うこともないだろうに。
死に出会うのは辛いし悲しい。だから自分は存在しないほうがいいと決心したとする。するとそこに自分の死がおこり、誰かがその死に出会わねばならなくなる。自分の死に出会う人の悲しみを思うと、自分は死なず生きて、他者の死を見続け悲しみ、見送り悲しむというのを選ぶ。それが生きる時の一つの根拠となるかもしれない。(略)」