横浜の鈴木画伯のブログで興味を持ち、井上ひさし「四千万歩の男」や「平塚らいてふ」の本と並行して読みきった。まず価値観として世界の独裁者を取り上げるという視点は面白かった。
マスコミに登場する世界の独裁者を見聞しているものとは明らかに異なった側面がそこにはあった。私の浅学的な視点でも、フセインの核爆弾探しを根拠にしたようなアメリカの辛辣な派兵は、明らかにイラクの自治や人民の生命を犠牲にした越権行為だと思った。その確信しているという証拠は、フセイン亡き後も依然として証明されていない。アメリカを始めとする強大国と呼ばれる正義は時として、戦争を生業とする国家的商売を正当化している。総てが間違っているという捉え方をすべきではないという主張を、私は最近とみに思い始めていたしそれは必要悪という言葉でくくらなければならない。多数部族を抱える地域であればさらにその必要性は強くなるだろう。フセインやカダフィという世界の嫌われ者ですら、そこに居なければ収まりのつかないものがあるのかもしれないと思った。
世界の教育環境がこれほどまでも乖離している状況下では、その価値観を同じにした考え方をすべきかどうか考えこんでしまう。かつて青森県の板柳町出身の永山則夫死刑囚が「無知の涙」という本を獄中で書いたが、まさに問題の中核がそこにあるのではないだろうか。「貧困」という政治課題がまさに世界の独裁者を生む環境を作り出しているのではないだろうか。
一ヶ月間とは言いながらも、未開の現地になんの伝手もなく取材に歩くということの危険性を考えれば、その心意気にまずは感動してしまった。
マスコミに登場する世界の独裁者を見聞しているものとは明らかに異なった側面がそこにはあった。私の浅学的な視点でも、フセインの核爆弾探しを根拠にしたようなアメリカの辛辣な派兵は、明らかにイラクの自治や人民の生命を犠牲にした越権行為だと思った。その確信しているという証拠は、フセイン亡き後も依然として証明されていない。アメリカを始めとする強大国と呼ばれる正義は時として、戦争を生業とする国家的商売を正当化している。総てが間違っているという捉え方をすべきではないという主張を、私は最近とみに思い始めていたしそれは必要悪という言葉でくくらなければならない。多数部族を抱える地域であればさらにその必要性は強くなるだろう。フセインやカダフィという世界の嫌われ者ですら、そこに居なければ収まりのつかないものがあるのかもしれないと思った。
世界の教育環境がこれほどまでも乖離している状況下では、その価値観を同じにした考え方をすべきかどうか考えこんでしまう。かつて青森県の板柳町出身の永山則夫死刑囚が「無知の涙」という本を獄中で書いたが、まさに問題の中核がそこにあるのではないだろうか。「貧困」という政治課題がまさに世界の独裁者を生む環境を作り出しているのではないだろうか。
一ヶ月間とは言いながらも、未開の現地になんの伝手もなく取材に歩くということの危険性を考えれば、その心意気にまずは感動してしまった。
最大の不幸であると思います。
生まれてきた以上、自分の命を他人を救うために活かすことが人間の人間たる所以だと思います。