昨日青森県知的障害者福祉協会主催の「職員研修会」が八戸グランドホテルで開催されました。研修会の初めのプログラムは厚生労働省の佐藤専門官の講演でした。正直を言えば昨年からずっと厚生労働省の方があちこちの研修会でお話をされるのを何度も聞いていましたので、どの程度の話があるのかはほとんど事前に期待もなく聞くのがこのところの慣わしになっていました。しかし、この専門官のお話はいささか事情が違っていました。障害者自立支援法を起案した当事者でもあり、そういう意味で魂を入れたこともあってか、初めから吼えまくっていました。
私が感動したのは他でもなく、彼が秋田県湯沢市で障害者施設の現場からの生え抜きだったからです。そして彼が話してくれたのは、一人の青年を就職させた話でした。せっかく待機者の山の中から難関をくぐり抜けて入所させた施設なのに、その彼をまた退所させようと言うのですから、「親亡き後」を考えれば、両親はどれほど心配したか分かりません。その中で専門官が親を説得して、ようやく就職にこぎつけました。その後、専門官となった彼の元に一通の電話がありました。お父さんです。電話の向こうで初めから泣いていたそうです。「どうしたのですか?」と専門官が尋ねるとお父さんは「嬉しくて嬉しくて…」と言ったそうです」そしてその内容とは長男の就職に反対したもののお父さんは、長男が就職して初めて給料をもらって、缶ビール3つとつまみを買って帰って来て、三人で乾杯しようというのだそうです。お父さんは生まれた子どもといつかこうして一緒に酒を飲めることが夢だったそうです。しかし生まれた長男は障害を持って生まれて来たので、正直な気持ちがっかりしたのだそうです。そして子どもの行く末を考えれば、ずっと施設に面倒を見て欲しいと思って施設入所をさせたのです。そして、すっかり社会で働くなど考えもしなかった彼が、今は働いてこの喜びを持ち帰ってくれた。お父さんはお酒も強い人なのに、今夜の缶ビール一つが、胸に込み上げる喜びでいっぱいになってとても飲み干すことが出来ないのだそうです。
このお話を伺いながら私は、私も胸にこみ上げて来るものがあり、目頭が熱くなりました。これは現場にいなかったら、決して体験できない感動の話だからです。
そのお話の後、質問者がいない会場で、司会者から私に話すように指名があって、佐藤専門官に質問をしました。それがきっかけとなって、ご一緒に酒を酌み交わすことになったのですが、厚生労働省の普通ならそばに座ってお話さえはばかれると思っていた方で、2歳年下とは言え同じ時期に施設職員として一生懸命障害の青年達の幸せの何たるかを真剣に考えて、ともに実践していたことを思って、昔の同僚と一緒に酒を酌み交わし、そして思い出を語り合ったような気がしてなりませんでした。結局二次会にみんなで町に繰り出して、ホテルに帰ったのは12時30分過ぎでした。
また佐藤専門官といつか何処かでお会いできることを願いながら、熱いお別れをしました。厚生労働省に、こんな熱血漢がいたことに感動しています。忘れられない出会いがそこにありました。
私が感動したのは他でもなく、彼が秋田県湯沢市で障害者施設の現場からの生え抜きだったからです。そして彼が話してくれたのは、一人の青年を就職させた話でした。せっかく待機者の山の中から難関をくぐり抜けて入所させた施設なのに、その彼をまた退所させようと言うのですから、「親亡き後」を考えれば、両親はどれほど心配したか分かりません。その中で専門官が親を説得して、ようやく就職にこぎつけました。その後、専門官となった彼の元に一通の電話がありました。お父さんです。電話の向こうで初めから泣いていたそうです。「どうしたのですか?」と専門官が尋ねるとお父さんは「嬉しくて嬉しくて…」と言ったそうです」そしてその内容とは長男の就職に反対したもののお父さんは、長男が就職して初めて給料をもらって、缶ビール3つとつまみを買って帰って来て、三人で乾杯しようというのだそうです。お父さんは生まれた子どもといつかこうして一緒に酒を飲めることが夢だったそうです。しかし生まれた長男は障害を持って生まれて来たので、正直な気持ちがっかりしたのだそうです。そして子どもの行く末を考えれば、ずっと施設に面倒を見て欲しいと思って施設入所をさせたのです。そして、すっかり社会で働くなど考えもしなかった彼が、今は働いてこの喜びを持ち帰ってくれた。お父さんはお酒も強い人なのに、今夜の缶ビール一つが、胸に込み上げる喜びでいっぱいになってとても飲み干すことが出来ないのだそうです。
このお話を伺いながら私は、私も胸にこみ上げて来るものがあり、目頭が熱くなりました。これは現場にいなかったら、決して体験できない感動の話だからです。
そのお話の後、質問者がいない会場で、司会者から私に話すように指名があって、佐藤専門官に質問をしました。それがきっかけとなって、ご一緒に酒を酌み交わすことになったのですが、厚生労働省の普通ならそばに座ってお話さえはばかれると思っていた方で、2歳年下とは言え同じ時期に施設職員として一生懸命障害の青年達の幸せの何たるかを真剣に考えて、ともに実践していたことを思って、昔の同僚と一緒に酒を酌み交わし、そして思い出を語り合ったような気がしてなりませんでした。結局二次会にみんなで町に繰り出して、ホテルに帰ったのは12時30分過ぎでした。
また佐藤専門官といつか何処かでお会いできることを願いながら、熱いお別れをしました。厚生労働省に、こんな熱血漢がいたことに感動しています。忘れられない出会いがそこにありました。
持って対処してくださるのはとても
心強く嬉しいことですね。
いつまでもこの心を…と思わずには
いられません。
あまり相性の良くない人の
任期は長く感じますね。
でも、でも、と、いつも思うんですよ。
同じ事を担当しておりながら何故
問題がしっかり引き継がれて
解決に必死にならないかと。
娘達の学校の先生には、いつもそういう思いをして来ました。
私は問題の室によっては、直接校長に話をして来ました。そうでないと、同じ問題が繰り返されることになりますから。
お父さんの喜びが伝わってきますね、感動的です。
専門官の方と意気投合した成田さんの喜びも
自分のことのように伝わってきましたよ。
こうして直に出会うことによって、その人となりを理解し、その方々の中にも、このような人間的な人もいるのだと知った時、私も感動することがあるのかもしれませんね。骨のある人もいると私が思い、彼もまた青森に熱く燃えている人がいると、厚生労働省に伝えたいと語ってくれたようです。