夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

ナレーション

2007-11-11 10:00:48 | 私と福祉とであいの旅
 法人役員で病院の看護師長のSさんから電話で、「社団法人青森県看護協会創立60周年記念DVD」を作成するので、ナレーターをやって欲しいという依頼だった。
 昨日その原稿を受け取って、いざ時間を計測しながら読んでみたが、12、3分でとの制約はかなり厳しいものがあった。どうしても私の読み方では、3分オーバーになってしまう。それ以上早く読んだらどんなに聞きづらいナレーションになるだろうかと思い、悩んでいる。 
 Sさんとの出会いは、恐らく12年前か、彼女の息子さんは進行性の病気で首から下が動かない障害だった。青森県重症心身障害児(者)を守る会の設立前年に、青森県ソーシャルワーカー協会と共に「社会福祉セミナー」を開催した。「重度障害者が地域で暮らし続けるために」というテーマで、シンポジウムを行なって、その中のシンポジストとして当時筑波大学在学中の学生だったS君に依頼して話をしてもらった。S君は16歳の頃に詩集を出版している詩人でもある。大学在学中、自ら運動体として自分の介護ボランティアを組織して、24時間365日の介護体制を築いた。現在は同じ筑波市で暮らし、介護事業所を運営しているという。昨年か母親と一緒に、スペインバルセロナに旅し、サッカーのワールドカップを見て来たという。
 母親のSさんとは7年前か津軽の文化交流の旅で、ドイツに一緒に旅をして親しくしていただき、以来我が法人の役員としても支えとなっていただいている。
青森県看護協会の歴史を読みながら、その歴史に思いを新たにした。
 1947年(S22年)10月「青森県看護協会」が誕生した。焼け残った青森商業学校行動で、焼け残りの紅白幕を張り、設立総会が行なわれたという。
 進駐軍のオルト大尉は「看護教育は、丸太が2本あればできる。1本には教師が、もう1本には学生が座ればよい。ナイチンゲールが学校を作った時は、わずか6名の生徒ではありませんか・・・」と語ったという。質素だが希望に満ちた船出だと書かれていた。
 当時の青森県看護協会は、看護婦357名、保健婦177名、看護婦237名、年会費は180円の時代であった。
 看護婦、保健婦、助産婦は今は男性の入る職場でもあり、看護師、保健師、助産師と名称も変更されている。看護師不足は、現在一層深刻化されている。人間の生命を守り支え、さらにその尊厳を守り、生活の質を保持するためにも、看護師を経営効率化の下に削減することは許されないことである。

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2 コメント

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ふんわりさんへ (なりたはるみ)
2007-11-12 05:21:40
 画像はススキノグリーホテル2のそばから歩き出したら、娘が思わず立ち止まって見た夜景です。

 ナレーションなども含めて、実際は能力もないくせに頼まれると断る勇気がないというのが正直な気持ちなのかもしれません。でも、何とか答えてあげたいという思いが、先行してしまいます。それって本当によいことなのかは疑問です。
 
 
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あやかりたい (ふんわり)
2007-11-11 22:00:41
画像は札幌市ですね!



ナレーターは大変ですね。だいたい5分間をゆっくり話すなら、原稿用紙4枚以内。会話等入れると、間をおくので3枚半となります。10分話すなら7~8枚程度でしょうか!頑張ってください。



なりたさんは、本当に人脈が豊かというか、その分、いろいろな事に取り組んだり人を大切にする方なのだといつも思っております。私もなりたさんのような人になりたいと、いつも思いながら子供に接しています。
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