新潟への帰郷をしました。ブログはその間お休みをしています。皆様お元気でしょうか?
新潟はお米の産地ですが、やはり日照不足や長期の雨などの影響で、生育の遅れがありそうです。それでも青森と比べれば田んぼによってではありますが、結構黄色くなって稲穂も垂れていました。
久しぶりの実家はそんなに大きく変わっているわけもなく、前に帰郷した折に私と妹が清掃したり整理したままといったほうがよいのかも知れません。
母は近在の老人保健施設に短期入所を繰り返しており、久しぶりに再会しています。大きな変化はなく、それでも会話の面では前よりも反応が良いなと感じました。短期入所は母にとって修行のようなもので、「話し相手が居ない」というのが率直な気持ちでした。認知症や難聴、そして意欲低下などによって、話すことのできない人が多いようでした。短期入所以外で、ディサービスを週二日、そしてそれ以外をヘルパーの派遣を受けていますが、兄も何とかそのことで生活は安定してきたように感じました。
兄は昭和24年生まれですので、今年7月の誕生日で60歳になり、9月で定年です。毎日の夜勤の生活は兄の健康を損なう要因の一つであり、早くやめてほしかった私はそれを聞いてほっとしています。
母の弟である叔父が定期的に手伝いに来てくれて、母の話し相手になっています。本当に兄弟はありがたいものだと思いました。
男やもめにうじがわくといいますが、まさにその通りであり、兄は何にもできないわけではありませんが、それでもこの大きな旧家の保守管理は、まったくといって良いほど手が回らず、跡継ぎの居ないこの家はもはや、朽ちかけ始めているような気がしています。私が元気な内に、裏の竹林に植えられた杉の木を切り倒したり、家の保守を少しでもできたらと思いました。
母は電動ベッドの上げ下げの技術はかなりマスターしていましたが、兄は車椅子への移動などは行う意志がありません。せめて私と叔父がいる間だけでも、食事はベッドではなくみんなで一緒にとらせたいと思い、車椅子を使いました。やはり車椅子で食事するだけで、母の身体の負担も少ない気がしています。何よりも一人での食事は孤立しますし、情報が少ない気がします。
毎日起こしていると、母は新聞も読もうとしています。せめて車椅子だけでも日常的に移動の自助具として、使える環境にしてあげたいと思いました。
兄が手をこまねいていた畑の草刈りをしようと、出かけてみました。畑の耕作を放棄してしまうと、本当に人も入り込めないほどの荒地になります。前には見なかった孟宗竹も、どんどん進入してきて、刈払い機ではどうにもなりません。この時期の屋外はアブに似たそれよりも小ぶりの、刺し蝿という虫が大群で襲い掛かります。慣れている農家の人は、頭からすっぽりかぶれる網を準備していますが、私はその準備がなかったために、青ざめています。長袖は着ていましたが、汗をかいていると、その上からでも刺してきます。気がついたときは既に刺された後で、小一時間で首筋や腕など7箇所も刺されていました。
しかしそれよりも私のダメージは、側溝に足を落として右足の筋を伸ばしたことでした。おおよその草刈りはできましたが、この事故で最初はなんともないだろうとたかをくくっていた右足関節付近の筋が徐々に痛み出し、ついに草刈りを断念してしまいました。湿布をして、何とか一日でクリアしました。
6月に結婚した姪(兄の娘)の結婚式・披露宴を、DVDで母や叔父に見てもらい、私の同級生が迎えに来て別れとなりました。母は車椅子で兄や叔父と見送ってくれました。
新潟はお米の産地ですが、やはり日照不足や長期の雨などの影響で、生育の遅れがありそうです。それでも青森と比べれば田んぼによってではありますが、結構黄色くなって稲穂も垂れていました。
久しぶりの実家はそんなに大きく変わっているわけもなく、前に帰郷した折に私と妹が清掃したり整理したままといったほうがよいのかも知れません。
母は近在の老人保健施設に短期入所を繰り返しており、久しぶりに再会しています。大きな変化はなく、それでも会話の面では前よりも反応が良いなと感じました。短期入所は母にとって修行のようなもので、「話し相手が居ない」というのが率直な気持ちでした。認知症や難聴、そして意欲低下などによって、話すことのできない人が多いようでした。短期入所以外で、ディサービスを週二日、そしてそれ以外をヘルパーの派遣を受けていますが、兄も何とかそのことで生活は安定してきたように感じました。
兄は昭和24年生まれですので、今年7月の誕生日で60歳になり、9月で定年です。毎日の夜勤の生活は兄の健康を損なう要因の一つであり、早くやめてほしかった私はそれを聞いてほっとしています。
母の弟である叔父が定期的に手伝いに来てくれて、母の話し相手になっています。本当に兄弟はありがたいものだと思いました。
男やもめにうじがわくといいますが、まさにその通りであり、兄は何にもできないわけではありませんが、それでもこの大きな旧家の保守管理は、まったくといって良いほど手が回らず、跡継ぎの居ないこの家はもはや、朽ちかけ始めているような気がしています。私が元気な内に、裏の竹林に植えられた杉の木を切り倒したり、家の保守を少しでもできたらと思いました。
母は電動ベッドの上げ下げの技術はかなりマスターしていましたが、兄は車椅子への移動などは行う意志がありません。せめて私と叔父がいる間だけでも、食事はベッドではなくみんなで一緒にとらせたいと思い、車椅子を使いました。やはり車椅子で食事するだけで、母の身体の負担も少ない気がしています。何よりも一人での食事は孤立しますし、情報が少ない気がします。
毎日起こしていると、母は新聞も読もうとしています。せめて車椅子だけでも日常的に移動の自助具として、使える環境にしてあげたいと思いました。
兄が手をこまねいていた畑の草刈りをしようと、出かけてみました。畑の耕作を放棄してしまうと、本当に人も入り込めないほどの荒地になります。前には見なかった孟宗竹も、どんどん進入してきて、刈払い機ではどうにもなりません。この時期の屋外はアブに似たそれよりも小ぶりの、刺し蝿という虫が大群で襲い掛かります。慣れている農家の人は、頭からすっぽりかぶれる網を準備していますが、私はその準備がなかったために、青ざめています。長袖は着ていましたが、汗をかいていると、その上からでも刺してきます。気がついたときは既に刺された後で、小一時間で首筋や腕など7箇所も刺されていました。
しかしそれよりも私のダメージは、側溝に足を落として右足の筋を伸ばしたことでした。おおよその草刈りはできましたが、この事故で最初はなんともないだろうとたかをくくっていた右足関節付近の筋が徐々に痛み出し、ついに草刈りを断念してしまいました。湿布をして、何とか一日でクリアしました。
6月に結婚した姪(兄の娘)の結婚式・披露宴を、DVDで母や叔父に見てもらい、私の同級生が迎えに来て別れとなりました。母は車椅子で兄や叔父と見送ってくれました。
お久しぶりです。
母の家での生活は、病院やホームにいるときと比べると、別人に見えます。
やっぱり長年住み慣れた家は、落ち着くのでしょうね。ラジオやテレビもあまり関心を示さなかったのですが、新聞だけは読もうとしたのでほっとしています。これもベッド離床の成果だと思いました。寝てばかりだと行けませんね。
素晴らしい事だとその部分だけが
特別輝いて見えました。
成田さんもお体お大事に。