チキンラーメンを初めて食べたのは、小学校3年生くらいだったのかもしれない。どんぶりにチキンラーメンを入れ、お湯を注ぎ、お皿をかぶせて3分待つだけで、もう誰にでも食べられる料理らしくない形での食品。感動したものだった。そのチキンラーメンを発明した安藤 百福(ももふく)さんが96歳で亡くなった。昭和33年(1958年)にチキンラーメンが世に出たのだという。
両親が共稼ぎ時代のこと。「鍵っ子」がその時代の流行でもあった。皆首から鍵をぶら下げていたような気がする。家に帰っても「ハイおやつ」なんて出してくれる家がうらやましかった。仕方なく、野山を駆け巡って柿やいちご、きゅうりやトマトを失敬して空腹を満たしていた時代である。あの懐かしいにおいが忘れられない。生卵を麺の上に落とすなどすれば、それは最高のご馳走だった。大学に入って仕送りが来れば最初にやるのが、このチキンラーメンなどを箱で買って、袋に1から30までの日付を入れる。そして誰かにご馳走をしてもらったりすると、それが次の月の常備食になる。台所などなくてもお湯さえ沸かせれば、手軽にできるのがこのチキンラーメンの良さだった。そういう恩恵をずっと受けてきたことの思い出と一緒に、この時代を先駆け失敗を繰り返しながらもその苦労の花開かせた48歳の時。それからこの即席麺は爆発的に世界に広がって、年間消費量は850億食だという。ノーベル賞を上げても良いくらいの数字ではないだろうか?
「食足世平」という氏の造語は、「食が足りてこそ世の中が平和になる」という願いがあったのだという。偉人の人生に対する畏敬と、その死を悼まずに入られない。合掌。
両親が共稼ぎ時代のこと。「鍵っ子」がその時代の流行でもあった。皆首から鍵をぶら下げていたような気がする。家に帰っても「ハイおやつ」なんて出してくれる家がうらやましかった。仕方なく、野山を駆け巡って柿やいちご、きゅうりやトマトを失敬して空腹を満たしていた時代である。あの懐かしいにおいが忘れられない。生卵を麺の上に落とすなどすれば、それは最高のご馳走だった。大学に入って仕送りが来れば最初にやるのが、このチキンラーメンなどを箱で買って、袋に1から30までの日付を入れる。そして誰かにご馳走をしてもらったりすると、それが次の月の常備食になる。台所などなくてもお湯さえ沸かせれば、手軽にできるのがこのチキンラーメンの良さだった。そういう恩恵をずっと受けてきたことの思い出と一緒に、この時代を先駆け失敗を繰り返しながらもその苦労の花開かせた48歳の時。それからこの即席麺は爆発的に世界に広がって、年間消費量は850億食だという。ノーベル賞を上げても良いくらいの数字ではないだろうか?
「食足世平」という氏の造語は、「食が足りてこそ世の中が平和になる」という願いがあったのだという。偉人の人生に対する畏敬と、その死を悼まずに入られない。合掌。
今は多くいろいろな味のものがありますが、
子供の頃、初めて食べたチキンラーメンが
一番美味しいと感じるのは、思い出と一緒になつた
味なのだと私は思っていて、
それはそれは懐かしいチキンラーメンですね。
匂いまでレトロだなと思わされます。
少年期の涙があの匂いとともによみがえ
ってきます。
飽食という時代は、子ども達にとって
本当に良い時代といえるのか疑問に思います。
ご飯の偏食、食べ残しなど見ていると
腹が立ってきますね。