夢発電所

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叔父からの手紙

2013-05-16 06:35:31 | つれづれなるままに
 叔父からいつもの楷書の書体で宛名が書かれた、青い万年筆の美しい文字が封筒に並んだ手紙が届いた。
 T叔父は母のすぐ下の弟で私達にとっては叔父に当たるのだが、年は12歳ほど上にしか過ぎない。だから叔父と呼ぶなと言われたことがあった。
 母の兄弟はH男、A女、母、T男、TD男、TK男で、幼い頃に病死した母の姉がいて、全部で6人ということになる。しかしその兄弟姉妹は今は母とT叔父の二人だけになった。

 母とこの叔父、そして昨年2月に癌で亡くなったTK叔父は兄弟の中でも特に仲良く、いつも実家よりも母のいる場所に身を寄せているかのようでもあった。それは家がことさらに困窮した時代に、母が弟二人の進学が重なっていた。母は助教であったが、彼らを密かに経済的援助をしていたことも、心理的な結びつきを強くしていたのではないだろうか。
 母の病臥によって、実家に年に数回自家用車でやってきて一週間ほど寝泊まりをして、その間に私や妹へのジャガイモやサツマイモなどを畑につけて送ってくれるのがしばらく続いた。叔父は後年関節リュウマチという男にしては珍しい病気を発病したり、膝を病んで歩いたり立ち座りにも苦しんでいた。
 昨年の2月に慕っていた弟の病死は殊の外T叔父にはショックだったようで、葬儀には小母が参列してT叔父の姿はなかった。

 手紙を書けば必ず律儀な返事を書いてくれルのだったが、昨年は遂に一通も来なかった。気にしながらも、日々が過ぎていった。そうした中、先日その叔父から久しぶりの封書が届いた。
 昨年なくなったTK叔父の死がやはり応えたらしく、鬱鬱とした日々を過ごしていることが面々と書かれていた。そういえばTK叔父が亡くなる前の年には、二人が揃って母の元に集まって、畑仕事をしていったと聞いた。T叔父は弟とこれからは二人で母のもとで、ゆったりと畑で汗を流しながら母を見送ろうと話したばかりだったと書かれていた。
 突然の弟の死は、T叔父にとってその気力を奪ったのかもしれない。
 
 私もその手紙を見てからは、まだ返事がかけないでいる。