夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

終末期

2012-02-15 07:12:02 | つれづれなるままに
 このところ終末期の話題や声が耳に滞留している。それは身の回りにそういう境遇にある人たちが現実にいて、耳が自然にそういう話題に止まりやすいのかも知れない。
 今朝のNHKラジオ深夜便の中で、「最愛の妻の死を乗り越えて」(2回)国立がんセンター名誉総長 垣添忠生氏の話は眠気の覚めるような話であった。
 たまたま昨日は癌の末期をどこで過ごしたらよいのかという話題を、施設においでになったPT(理学療法士)さんと話したこともあった。
 私が最も注目するのは、病院で週末を迎えるのか、それとも自宅か?という問いである。垣添氏は本人の強い希望もあって、奥さんの最期を年末の自宅で迎えさせたという。白いカラーで統一された病院と違って自宅は生活感が溢れ、これから仮に死ぬことになろうともその自分を納得させ得る環境がそこにあることを語っていた。病床につくまでの家族生活の記憶は、天井のシミや庭の記念樹などにも残されているのである。年末年始ということもあり、看病はご主人が一人対応した。そして下の世話もすべて対応したといっている。
 病気が悪化する前に気分転換をさせるつもりで奥さんに新調した洋服を、彼は死に装束としてなくなった後着せたという。
 死の直前奥さんがこん睡状態から目覚めて、がばっと起き上がり目を見開いてご主人と目を合わせて固く握手をした後そのまま息を引き取ったという場面は何とも壮絶でもある。言葉以上にその行為は感謝に満ち溢れた行為として、後々ご主人の精神的な支えにもなったと語っていた。