友人Kさんと絶好の地吹雪の朝、五所川原市からのストーブ列車に乗ろうというプランで寒さを突いて出かけました。強風で思わず身を縮めなければならないような凍(しば)れです。弘前駅から五能線(五所川原経由で終着は能代までの鉄路)で途中の五所川原駅まで45分で到着。五所川原駅からは津軽鉄道に乗り換えるのですが、ストーブ列車は一日2本しかなくて、やむなく普通列車で太宰治の生誕地・斜陽館のある金木駅まで行き、4分間の乗り継ぎ時間で帰りのストーブ列車に乗り込むことにしました。津軽鉄道は五所川原駅の構内に隣接した昔ながらの小さな駅で、時刻表も昔ながらの手書き文字で懐かしさを感じました。待合室も椅子には小さな座布団が敷かれていて、ストーブが炊かれていました。駅員はおばさん一人で、旅行者の案内をしていました。
津軽鉄道線にはPM0:40乗車し、金木駅まで約35分。突風が吹くと一両のみの車輌は大揺れでした。日曜日のこの日、普通列車には乗客は観光客5名に学生2名のわずか7名です。
PM1:05金木駅に到着し、今度は反対側ホームでストーブ列車を待ちます。すると三角のラッセル用ジーゼル機関車を先頭にしたストーブ列車が入線して来ました。レトロな車輌をカメラ愛好家達が写真撮影しようと、一斉に線路に溢れてカメラのファインダーを覗き込みます。「線路に入らないでください」という駅員に注意されながらも、皆さん一生懸命です。3両編成のストーブ列車はメロス号と書かれていました。太宰治の「走れメロス」から名前をいただいたものでしょう。
先頭から2両は殆ど満杯状態で、もう一両は団体客用でした。先頭から2両も9割方は観光客だと思います。車輌にはストーブが2機前方後方に設置されていて、その上には金網が設置されており、乗客が次々にスルメを焼いて香ばしい匂いが車内を包みます。若い車掌が忙しそうに、ダルマストーブに石炭をくべながら何度も行き来します。乗客はその風情がまた珍しいのか、一斉にカメラの放列が出来ます。地吹雪が車窓に吹き付ければ、窓の隙間から雪が吹き込んで来て「うっそー、雪が入ってきた」と若いカップルが珍しそうに騒ぎます。あちこちで笑い声が響いて、地吹雪の雪原をストーブ列車は進みました。本当にこの時期の寒さと地吹雪、それにクラシックな車輌設備という時代遅れというマイナス要素であるはずのものが、すべて観光の魅力として息づいているのです。昔の思い出の何処かには、このような情景が記憶として残っているのかもしれません。
たった8駅間40分程度のストーブ列車のこの旅は、スルメの香りと寒さを土産に終わりました。
津軽鉄道線にはPM0:40乗車し、金木駅まで約35分。突風が吹くと一両のみの車輌は大揺れでした。日曜日のこの日、普通列車には乗客は観光客5名に学生2名のわずか7名です。
PM1:05金木駅に到着し、今度は反対側ホームでストーブ列車を待ちます。すると三角のラッセル用ジーゼル機関車を先頭にしたストーブ列車が入線して来ました。レトロな車輌をカメラ愛好家達が写真撮影しようと、一斉に線路に溢れてカメラのファインダーを覗き込みます。「線路に入らないでください」という駅員に注意されながらも、皆さん一生懸命です。3両編成のストーブ列車はメロス号と書かれていました。太宰治の「走れメロス」から名前をいただいたものでしょう。
先頭から2両は殆ど満杯状態で、もう一両は団体客用でした。先頭から2両も9割方は観光客だと思います。車輌にはストーブが2機前方後方に設置されていて、その上には金網が設置されており、乗客が次々にスルメを焼いて香ばしい匂いが車内を包みます。若い車掌が忙しそうに、ダルマストーブに石炭をくべながら何度も行き来します。乗客はその風情がまた珍しいのか、一斉にカメラの放列が出来ます。地吹雪が車窓に吹き付ければ、窓の隙間から雪が吹き込んで来て「うっそー、雪が入ってきた」と若いカップルが珍しそうに騒ぎます。あちこちで笑い声が響いて、地吹雪の雪原をストーブ列車は進みました。本当にこの時期の寒さと地吹雪、それにクラシックな車輌設備という時代遅れというマイナス要素であるはずのものが、すべて観光の魅力として息づいているのです。昔の思い出の何処かには、このような情景が記憶として残っているのかもしれません。
たった8駅間40分程度のストーブ列車のこの旅は、スルメの香りと寒さを土産に終わりました。