音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

弦楽四重奏曲第16番変ホ長調 (ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト)

2009-10-29 | クラシック (室内音楽)


久しぶりにモーツァルトの鑑賞文を書く。そうそう、ハイドン・セットが途中で止まってしまったまま入院をしてしまったので。でも、病室で最低2回はこの曲を聴いたと思う。なんといっても本当に退屈な日々であったから。だが、自宅にいるのと違い、モーツァルトに関する文献や譜面が直ぐに手に入る訳ではないから、結構聴きっ放しで消化不良な部分もあった。それでも、ハイドン・セットとか、モーツァルトのピアノコンチェルトなどは、聴きっ放しでも済んでしまうところが流石だなぁと感心した。少なくとも、ベートーヴェンやブラームスではそんな訳には行かなくて、絶対何箇所か(プロの演奏家でもあるまいに・・・)譜面で気になってしまうところがあり、解決しないと睡眠も妨げるが、流石にモーツァルトはそんな心配はしなくて済んだ。入院して、彼を再発見できたのだと思うと、有意義な35日間であった。

改めて、この曲は楽章構成が変化に富んでいることを確認した。特に、最初の2楽章では半音階書法がそれまでの楽曲よりもさらに発展している。第1楽章の第1主題がユニゾンで始まっていて、何か不安定な調性であるが、第2主題を経て展開部ではこの両主題の動機を効果的に発展している。それで、気がついたのだが、これって、ベートーヴェンかお得意の手法では無いかということで、そう、モーツァルトは既にこの手法を先取りしていたのであった。今まで迂闊にも全く気がつかなかったがこれも入院のお陰だろうか。第2楽章も面白く、半音進行による複雑なハーモニーが優れている。また、第3、第4楽章では、この当時モーツァルトも影響を受けた民族的な風潮を見事に取り入れていて、第3楽章のアレグロのメヌエットといい、第4楽章のロンド形式であるが、古いドイツ民謡を思わせるフィナーレに向けての展開と構成は実に聴き応えのある内容である。

この16番と次の17番には逸話があり、作曲の順番が逆ではないかという説があった。第17番は「変ロ長調」で書かれており、15番から並べると。ニ短調-変ロ長調-変ホ長調と、フラットがひとつずつ増えていく並びになるからであるが、これはあくまでも出版社の方針で、作風的にいうと、やはりこの順番は現在、一般的に並べられている順番で間違いないと思う。というのも、この第16番はハイドン・セットの中でも、また、弦楽四重奏曲全23曲の中でも大きな転機になっている曲で、これからの後の楽曲は実にモーツァルトの拘りが強く出されてくるからである。と同時に、ハイドン・セットの中でも、この曲が一番演奏が難しいと言われている。友人の演奏家によると、モーツァルトには珍しく、この曲は手が込んでいて、何度か書き直しているのではないかと言っている。自身でも大きな展開期の楽曲だったに違いないし、これが、「狩」と愛称がついている名曲の17番に繋がっているのだから。


こちらから試聴できます。


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