音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

弦楽四重奏曲第77番ハ長調「皇帝」 (フランツ・ヨーゼフ・ハイドン)

2010-04-07 | クラシック (室内音楽)


ハイドンの作品も私にとっては「食わず嫌い」だった。そもそもが私はリスナーとしてのクラシック音楽は、以前にも書いているようにベートーヴェンがきっかけである。つまり、ベートーヴェンより前の音楽家というのは、たまたま聴いた有名な曲をきっかけにその音楽家と真摯に向き合う時間があった人だけ、色々し作品の幅が広がっていく。最も顕著なのは当然モーツァルトで、彼はそれだけ入り口が多い。バッハも同様であるが、逆にヘンデルなどは「水上の音楽」、「王宮の花火音楽」、「メサイヤ」くらいしか知らなかったし、ハイドンもたまたま交響曲を沢山書いているから知っているものの、やはりモーツァルトと同世代の人だから、それ以外のジャンルは全部モーツァルトで間に合ってしまうのである。

名曲とは面白いもので、この「皇帝」という作品に私は三度出会っている。最初は小学校時代の「賛美歌」である。ミッション・スクールであった私は毎朝校庭で行われる朝礼で必ず賛美歌を歌い、また、土曜日のミサでは賛美歌を3曲歌った。礼拝というのは、1年間をイエスの生涯の記念日とリンクした「教会暦」があって、例えばイースターの「復活節」などは一般にも知られているし、勿論、クリスマスは降誕節である。そういう暦にちなんだ曲を歌うのであるが、その中で「栄にみちたる神の都は~」という歌い出しの名曲があった。ところが1972年、ミュンヘン五輪にたまたま医学研修で訪れた父が五輪の開会式をスタンドから見る予定だったが、このときテロがあり、世界中を震撼させたので私も家族で心配してテレビを見ていたが、このときドイツ国歌としてこの賛美歌のメロディが流れた。ああ、あの賛美歌はハイドンが作曲したのかという経験だった。そして三度目は今度が自分でドイツに留学した際に、政府のコネクションで当時は中々入れなかった東ドイツにベルリンから入って、ブランデンブルグ門の付近を訪れたとき、たまたまこの音色が流れたが、カルテットの練習をしている人たちだった。そのときに初めてこの「ハイドンの作った賛美歌」が名曲と謳われていた「弦楽四重奏曲の皇帝」の第二楽章であることを知った。当時、東ベルリンでハイドンを、しかも「皇帝」という副題のついている楽曲を練習しているなんて奇跡に近かったが、名曲との出会いとはそういうものなのであろう。つまり私はこの曲に三度、出会っているのである。もっとも、この副題は、この第二楽章が「オーストリア国家及び皇帝を賛える歌」の変奏曲になっていることから由来している。

この曲が作曲された推定年は1797年。つまりあのモーツァルトは既にこの世界からいない。この時代の弦楽四重奏曲はモーツァルトとハイドンの聴き分けが難しいと言われるが、それほど両者の音楽は近かったという言い方ができる。特にこの楽曲の第3楽章のメヌエットなどはモーツァルトが書いたといっても(ハイドン・ファンにはばれてしまうが)、殆どのモーツァルトファンは気がつかないだろう。因みに私のデジタルプレーヤーはこの楽曲の後に、モーツァルトのハイドンセットが入っているが、電車で読書 に夢中になって弾きだしを聴いていないと、そのままハイドンが流れているのかと勘違いしてしまうほどである。

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