「夜明けの口笛吹き」で鮮烈なデビューを飾ったピンク・フロイドであったが、この作品は英国サイケデリックロック音楽の象徴であり、それは言い方を変えればただ単にプログレッシブ・ロック・バンドとしての序章に過ぎなかった。フロイドは自他共に認めるプログレの雄であり、だからデビュー作はフロイドの作品ではなく、シド・パレットの作品だと言って良い。というか、そうとでも言わない限り、フロイドのメンバーは、後々の大成功も、シドを切り捨てたという自責の念に捉われさせてしまい気の毒である。
そもそも精神的に不安のあったシドの病状はこのころ既にかなり悪くなっていた。そりはこのアルバム収録曲の作者をみれば明白で、なんとシド・パレットの作品は1作しかない。シドの容態が良くならないまま途方に暮れていたメンバーに明るい兆しをもたらしたのは、言うまでもなくギタリスト、デイブ・ギルモアの加入である。そもそもデイブはシド、並びにフロイドのメンバーとは旧知の仲であり、シド自体もライヴの有能な助っ人としてデイブに声をかけていたが、デビュー作のレパートリーはテクニシャン、デイブには腕に余るギターフレーズであった。しかし、この後のフロイド音楽を聴けば分かるようにデイブの存在は、フロイドに取ってなくてはならないものであり、確かに、ロジャー・ウォータースのシドなきあとの活躍や統率力は素晴らしいものの、それはシドの持っていたカリスマ性は全く異なり、ベース&ヴォーカルという立場からバンドのオトを纏める役割だったに過ぎず、デイブを除く他のメンバーのテクニックは、他のプログレバンドとは比較にもならないくらいお粗末である。だが、なぜ、そんなフロイドがプログレの代表格ににったかというと、それはバンド・メンバーの持つコンセプトの組み立てにある。その部分がプログレスしているのであって、他のプログレバンドの演奏技術が高いこと、即ち、音楽的なプログレスであるという時代に、兎に角、コンセプトだけで勝負してきたのである。しかし、実は、その卓越した芸術センスと、世情を痛烈に比喩するコンセプトという部分がプログレスとされたのであって、それが後々のプログレ音楽の幕開けとなるというのが定説である。つまり、フロイドの進化が、プログレの進化であり、また、ロック・シーンの牽引であったのは事実である。特にフロイドは一時期、「種と仕掛けだらけのロックショウ」とそのコンサートを批判されたように、楽器で音楽を奏でるというのでなく、如何に、録音や脚色の技術で、新しくそして広大なロックの世界を構築していった。この「神秘」という作品は、まさにその先駆けで、特にインストルメンタル曲でシドの参加していない「神秘」や、名曲「太陽讃歌」が誕生し、それらはフロイドの進むべき道を明確に記していたのである。果たしてシドのこのバンドでの役割は何だったのだろうかと思うと、確かにこの作品にはシドが作った曲が2曲入ってはいるものの、違和感は払拭できない。つまりは、シドの存在が余りにも大きかったために、ファーストアルバムがあったから、フロイドの母体が築けたという見方をする人もいるが、私は全く違う。最初はシド・バット&ピンク・フロイドであり、フロイドのオリジナリティということで言えば、この作品が我々の知っているフロイドのデビューであると言って良いのではないか。
また、このアルバムジャケットはデザイン集団ヒプノシスが初めてジャケットにも携わったとして有名である。アルバムジャケットという世界に数々の新提案をしてきた、そういう意味では、まさにデザイン界のプログレス集団として様々な世界観を提供したヒプノシスも、フロイドを始め、色々なバンドの作品の顔を手掛けたということでは、共に、芸術のプログレスを牽引していく存在だったのである。
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