音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

時間と言葉 (イエス/1970年)

2010-08-12 | ロック (プログレッシヴ)


イエスほどメンバー・チェンジの激しいバンドは無いと言われる。余程のファンでないと分からないと言われるが、私的にはこのメンバー編成は殆ど理解できるので、余程のファンということだ。しかし、それも実はせいぜい1980年代迄であって、その後はロック音楽自体を殆ど聴かなくなってしまったから致し方ないと思う。逆に言えば、それまでの間はたいへん納得のいくメンバー構成で、特にやめた人間の理由はとても良く理解でき、同時にイエスは、今この時点で最も辞めて欲しくない人間が辞めてしまうというジンクスがある。そして、プログレロックというのは実は。そういうミュージシャン各々の主張や方向性がとても分かりやすいから、辞めても仕方ないだろうと思ってしまう。納得なのである。

イエスは、ジョン・アンダーソンのバンドというのが定説であるが、私はそうは思わない。確かにジョンの持っている類い稀な世界観と、音楽哲学は他に例を見ないものの、だからといって、それが常に全部表現できているかというとそうでは無い。逆にもうひとりのオリジナル・メンバーである、クリス・スクワイアこそが、イエスサウンドをしっかり根底から支えていると言えよう。そしてそのことが如実に出ているのが、これだけ重要なパートがしょっちゅう代わっても、イエスというバンドの音楽性は保たれているということだ。イエスはグループの存在自体が稀なので、よくそれがイエスの世界観、ひいてはジョンの世界観だと言われるが、このバンドがそんなに統一の世界観を持っているとは全く思えなく、それは、ロジャーディーンのレコードジャケットの世界であって、イエスのものではない。寧ろ、イエスが保持している音楽性というのかずっと統一観がある。そして、一般的にそれはこの次のサード・アルバムで作られたと言われているが、そうではなくてその基礎はこのアルバムで殆ど出来上がっているのである。サードアルバムを高く評価する人たちは、スティーヴ・ハウが加入したことに重きを置いているからであり、さらに言えば、トニー・ケイが脱退する要因となったことを重視しているのだが、だとすれば、イエスの根本は4作目の「こわれもの」で出来上がったことになってしまい、話の辻褄が合わなくなってしまう。だから、トニー・ケイの脱退は頷けるものの、スティーヴ・ハウの加入は偶然なのである。このアルバムで必聴なのはなんといってもリッチー・ヘイヴンスのカバー曲「チャンスも経験もいらない」、それに「スウィート・ドリームス」と「時間と言葉」である。実は、私はこの「スウィート・ドリームス」こそが、もっともジョンらしい曲だと思っていて、しかもこの2曲を書いたのが、ジョンがイエスの前に参加していたウォーリアーズの元メンバー、デイヴィッド・フォスターなのである。つまりはそのためにウォーリアーズ色が濃く、したがって、イエスはジョンの世界観を実現するバンドなのだという言い方をされてしまっているに過ぎない。そして、このことはサード・アルバムでトニーが残した功績を考えればもっと良くわかるのであるが、それはサードのところで書く。ピーター・バンクスがこの作品でオケを多用したためにギターパートを変更され出番を削られたことに不満をもち、このアルバムを最後に脱退しているが、この人はイエスに参加する前はクリス・スクワイアとともにザ・シンから、メイベル・グリーアーズ・トイショップというバンドでジョンと合流した。一説に、このバンドのツイン・リード・ギターを担当していたクライヴ・ペリーという人がイエスの初代ギタリストだという説もあるが、後年、クリスがイエスの初代ギタリストはピーターであると力説している。

前作のサイケサウンドの微塵も残っていないこの作品は、プログレバンドイエスの礎を築いた。その中でオケともしっかり渡り合えたのは、当然のことリズム・セクションの面々で、それはクリスとビル・ブラっフォードだったのであり、彼らがイエスを作ったのだ。


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