音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

マスター・オブ・リアリティ (ブラック・サバス/1971年)

2012-09-23 | ロック (イギリス)


ヘビメタの祖、ブラック・サバスの3枚目のアルバムである。やはり、前作「パラノイド」の出来が相当良すぎたのか否か、今、こうして時を経て改めて聴いてみると前作のような興奮がない。ロック音楽とつきあいだして、早くも40年近くになろうとしているが、やはり、ヘビメタっていう一大ジャンルの定義に関しては、今だかつて良く分からないし、もうこれ以上分かろうとも思っていない。筆者としてはその創始的存在が、このサバスであるということが分かれば、それ以上は特段必要のないことであるし、だからと言って彼らの音楽を必要以上に、美化するものでもなんでもない。

この作品を聴いていて前作と違うのは、余り新しいものは感じないということだ。だが、音にはかなりの工夫が感じられる。ロックンロールというのは簡単言えば最初から最後まで同じリズムで同じコードの繰返しである。しかしその間に、例えば、ギターのリードで工夫があったり、ヴォーカルのサビがあったり、弦楽器と鍵盤楽器がユニゾンで演奏してみたり。そんな工夫の積み重ねが音を広げると共にファン層を拡大してきたんだと。そういう意味で、サバスは革新的な活動はしなかったものの、一本筋が通っていたのだと思う。サバスに比べると、例えばパープルなんかはちょっと軽い。音も軽いが、それよりもロックを貫くという意志が軽い、いや、多分そんなことはないのだろうがそんな風に聴こえてしまう。あれもやろう、こんなのはどうだって感じ。ユーライア・ヒープに至ってはサバスからみたら完全にプログレの域であろう。ただ、ツェッペリンはかなり意識していたんだと思う。それが証拠にこの作品ではかなり「静」が増えてきている。しかし、違うにはツェッペリンは全くロックという枠の中だけでなく「静」を演出した。それは例えばそもそもアメリカにあった素朴なギターサウンドを母体にしたのに対して、サバスは、まったくもって重厚なロックという定義の中で「静」を演じてみせた。このアルバムにもある"Lord Of This World"などはまさにそういう音である。それ以外にもこの作品では、イントロ、リードのフレーズ、リズム構成のどれもそんなにめったに難しいことでもなく、なんといっても、ロック音楽以外の部分での説明を要しない。でも実は、そこがいいんだ。これがロックなんだっていってる、これが王道なんだって。ロックはこれでいいんだって自信をもって言っている。だからこそ、実は後々にヘビメタの祖とされ、崇められたのだろう。それはきちんとロックという定義の中に収まっていたから。だから、ここから多くのバンドが学んだ。そして、一ジャンルを築き上げたのだと。そういえば不思議なことがある。私のバンド繋がりでも、サバスのコピーをやった連中は一人もいなかった。何故やらなかったのか? 難しかったんじゃない、多分、当時はこの良さに気付かなかったのである。だから、この良さに気づいた者、継承した者だけがプロとして銭を稼ぎ、名声を得て、ファンに支持された。そうそれがヘヴィメタルなのである。

作品冒頭の咳こみが、ギタリストのトニー・アイオミがマリワナを水パイプで吸引したときの音にエフェクターをかけたものだと知ったのも実は最近である。考えてみればサバスはこの後、ドラッグに溺れていってしまうのである。だから筆者にとってサバスは、この2枚に、ファーストと、せいぜいこの次のアルバムまでだ。この作品のラストで、ツェッペリンの名曲と同じフレーズを爪弾いているが、一体あれはなに? ツェッペリンへの憧憬という本音がちらついたのであろう??


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