音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

サード・アルバム (イエス/1971年)

2010-08-26 | ロック (プログレッシヴ)


イエスのバンドとしての方向性が前作で確立され、それが広く一般に認知された作品である。 「時間と言葉」のところでも書いたがもイエスは、ジョン・アンダーソンの世界観を重視したバンドだという言い方を良くされるが、それは間違いである。

前作「時間と言葉」で、9割9分方出来ていたイエス・サウンドは、遂にこのアルバムでその全貌を明らかにした。そして、それに大きく携わったのと思われたのが新加入ギタリストのステーヴ・ハウである。イエスサウンドの基本となるリズム・セクション部は、ファーストからスクワイアとブラッフォードにより2作品を経て、完全に固まっていた。特に、この二人の特徴として、単にリズムを正確に刻むということだけでなく、常に、一定の拍を保持しながら、同時にメロディ・ラインへの展開を試みている。但し、イエスのふたりは、基本がリズム・セクションであるというポジションを決して忘れない。更に言えば、このふたりはお互いがそれぞれにどういう音を求めているかということを良く理解しあっている。イエスはとても多くの音が重なり合っている曲づくりをするバンドである。というか、多くの音を求めている。まず、ジョンのヴォーカルの音程が高いから、どうしても楽器は普通は高い音程を出したがらないのだが、ジョンの場合は「声」という楽器音として他のメンバーが捉えているきらいがあり、結果、メロディ楽器も結構高いところを弾いているのが特徴である。スティーヴの加入が大きかったのは、彼はバンド内での自分の役割もさることにながら、根っからの「ギタリスト」であったということだ。極端な言い方をすれば、ロックだろうが、カントリーだろうが、勿論、プログレだろうが、そういう細かいジャンルの音がどうこうだと言う事は殆ど問題にしていない。要は自身のギタースタイルの高尚なる希求である。そういうプレイヤーだからこそイエスには最高のパートナーだったし、同時にスティーヴにとってもイエスは最高の環境だったのである。

さて、ここでもうひとつ大きな問題が持ち上がった。トニー・ケイの存在である。トニーはそもそもオーケストラにも、メロトロンやモーグの導入にも否定的だった。メロトロンは寧ろジョンが演奏することが多かった。プログレの定義のひとつに、モーグ・シンセやメロトロンを使用することがあるが、トニーはオルガンに拘った、これまた玄人の職人だった。当然クラシックピアノ出身だし、恐らく、バッハとかサン=サーンスに影響され、頑なにオルガンの素晴らしさに骨の髄まで惚れ込んでいた、音楽職人であった(そしてそのスタンスは再びイエスに戻ったときにもどこも変わっていない)。要するに、スティーヴの加入で、曲のペースになるセクションが矢鱈目立ってしまったことにある。このアルバムには、後々の彼らの名曲として伝えられる、「ユアーズ・イズ・ノー・ディスグレイス」、「スターシップ・トゥルーパー」、「パーペチュアル・チェンジ」という曲が発表されているが、不思議なことに後々のステージで、これらの曲は、所謂、「イエス・ヒット・パレード」というところらある、「ラウンド・アバウト」、「燃える朝焼け」、「シベリアン・カートゥル」というところとは全く曲調が違い、イントロでファンがスタンド・オペーションする曲ではない。しかし、1回のステージにメリハリをつけるにはとても重要な曲である。したがって、このイエス・サードの時点で、しっかりとイエスというバンドを支えていたのは、プログレスしたリズム・セクションの二人ではなく、トニー・ケイのポジションと拘りが重要だったのである。トニーは前作でもオケの使用に否定的だった。音が多くなることが即ちプログレだとも彼は考えていなかつたし、セカンドでもリズム・セクション以上に基礎部分を固めている。彼がいなかったら、前作の時点でイエスサウンドは確立していなかったし、そこにギターおたくが加入しても、恐らく、このアルバムにみられる発展し当たり前のことだが、なかった筈である。イエス・サードは決して評論家が言う様に(無論、彼の加入は大きかったが・・・)、スティーヴによって出来上がったサウンドではなく、前2作を経て方向性が定まったイエスの新しい提言であった。

大きく飛翔したイエスであるが、この次作での飛翔は、皮肉にも高すぎて、また、大きすぎてしまうのである。


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