音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

クールの誕生 (マイルス・デイヴィス/1948年)

2010-10-07 | ジャズ


マイルスを語ることはとても難しい。そもそも私はジャズに関してはきちんと体系的に聴いたことがない。モンクやドルフィー、バド、コールマン、そしてコルトレーンやブレイキーというところをまるでブッフェで好きなものだけを取るようにして聴いてきただけだ。そして、食べ物に関してはクサヤが苦手なだけで殆どの食物に「食わず嫌い」は無いが、こと、音楽に関しては実はかなりの食わず嫌いならぬ「聴かず嫌い」が存在していて現在にも至っている。例えばクラシックで言えば、長いことワーグナーとオペラが苦手だったが、最近はそれも克服した。また音楽のジャンルで言えば、今でもカントリーとかフォークというところは苦手である。アジアのミュージシャンも得意ではないし、そういえばもっとも苦手なのは日本の音楽で70年代の歌謡曲(Jポップになる前の・・・)や演歌、そして昔の軟弱なフォーク、アニソン、現在のアイドル系は殆ど聴くことがないし、申し訳ないがBGMで聞えてきても寒気がしてしまう。そんな程度の音楽ファンもどきなのである。

マイルスも長いこと「聴かず嫌い」(嫌いとは公言していなかったが・・・)であったが、モンクとの共演である伝説的アルバム「バグスグルーヴ」はちゃんと聴いたことがあるが、これはモンクを聴いていたのだし、共演のテイクは少ないから、マイルスに対しての誤解は払拭していなかった。しかし、レコード時代、一応ライブラリーには彼の名盤と言われている何枚かは持っていたが、多分、モンクのアルバムと一緒に大人買いしたものなので聴いていない作品ばかり。なんて勿体ない、というかマイルスへの冒涜である。このブログを書くようになって改めてジャズをきちんと整理して聴くことになって、やはりどうしてもマイルスを知らないと先に進めなくなってしまったのも事実。それで、何から聴こうかと悩んだ結果、この辺りと思ったのがこのアルバムである。そもそもマイルスはチャーリー・パーカーのバンドにいた。チャーリーといえばビバップの立役者である。彼はアルトサックスの地位向上も為し得たばかりでなく、数々のミュージシャンを育てたがその最高の弟子がマイルスだったと言って良い。マイルスは彼との出会いの後、すぐにジュリアード音楽院に入学している。そして、このアルバムは1948年に自身の九重奏団でニューヨークのジャズクラブに出演した。ここにはギル・エヴァンスも参加していたが、このセッションを中心にシングルレコード2枚を編集したのがこの「クールの誕生」である。このバンドしクールジャスと呼ばれ、その後もマイルスの代名詞にもなり、同時にニューヨークだけでなく、ロスの白人ミュージシャンにも影響を及ぼしていく。私が最初にこのアルバムを聴いたときの感想を率直に言うと、なんとも聴き入ることのできない楽曲なのだろうかと思ったが、実は、それはある意味でビバップからハードバップという中毒性や刺激の強いジャズに聴きなれていたせいなのかもしれない。しかし、驚いたことに、なんとこのマイルスの音楽は、聴いている状態を特定しない音楽である。つまりはハードバップは聴き入る音楽で、ある程度のこちらの精神状態によっても音楽が変わってしまう、しかしマイルスは、聴きこんでいても、また、BGMで聴いていても、常に同じ音楽を提供してくれるのである。そこには、今までと違う、均整の取れたジャズ音楽が存在しているのである。

マイルスには名盤が沢山ある。但し、マイルスの音楽を自分の言葉で紹介するのはとても難しくブログの標題通り「語るなかれ」なのだが、モーツァルトやベートーヴェンに対してすら、勝手なことを言って来たので、マイルスにも自分のスタンスで挑戦したいと思う。


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