ダイエーの創業者、中内功を書いた「流通王」を読みました。今日はその感想を書きます。
この本は、ダイエーを日本一の売上の総合スーパーにした中内功の人物論です。著者は「中内功200時間語り下ろし(全3巻)を」を書いた数少ない中内功が信頼していたジャーナリスト大塚英樹です。
この本は、中内の創業から書き起こし、本のサブタイトルになっているように、中内功は何者だったかを書いています。私は中内功については、ノンフィクション作家佐野眞一が書いた「カリスマ」という本を読んだことがありました。佐野の本が出版された頃は、まだ中内功がCEOの時で本の内容が事実無根と佐野が訴えられたことを記憶しています。佐野の本は、中内功を通して戦後日本の歩みを振り返る内容っだと思います。今回読んだ本は、中内功を戦後流通業の革命者として書かれています。
わたしは、この本の見開きに書かれている「いかがわしさに成功の秘訣あり」になるほどな思いました。私の中内の印象は、バイタリティー溢れるワンマン、傲慢、短気のいかがわしい人です。自社のスーパーに社長として店舗視察した時、売り場がなっていないので、店長に頭からモヤシの山をかけた逸話を読んだことがありました。闇市からスタートしたたたき上げの中内には、売り場のなにが問題かが瞬時にわかったのでしょう。また中内は、宿泊したホテルのタオルや、シャンプーなどのすべてを持ち帰ってコレクションする人物と本(佐野のカリスマ)で読んだことがあります。
中内が創業したダイエー、伊藤が創業したイトーヨーカ堂などの総合スーパーもかつてはエスタブリッシュの三越などの百貨店と比べると、商品に「安かろう悪かろう」のイメージがあり「いかがわしさ」がありました。ダイエー所属の選手にオリンピック2回出場して4位2度のマラソンの中山選手がいました。この選手など「たたき上げ」というダイエーの企業イメージにぴったりの選手でした。中山はエスタブリッシュの瀬古選手などと違いパンチパーマでまさに「いかがわしさ」の魅力ある選手でした。
「文化とうものは、いかがわしさから生まれる。歌舞伎も浄瑠璃も常磐津も端唄も、みんないかがわしさが発祥地だ」とよく中内は言っていたそうです。中内の商売のスタートは闇市で、そこでは人々が本当に欲するものしか売れない場でした。「人間の欲の原点」がそこにはあり、中内はいかがわしいものこそ、人をひきつけると確信していたようです。
「新しいものは、従来の考えからすればいかがわしいものだ。それがないと、文化や文明は先に進まない。安売りすると、メーカーからは目の敵にされる。しかし、最初はかかがわしいと思われても、しだいに普通のことになる。だから、われわれは、次から次にいかがわしいことに挑戦していかないと、文化を先に進めることができない」と中内は言っていたと書かれています。
メーカーから流通の主導権を奪うのが中内が目指した流通革命でした。中内は、流通革命を起こし、消費者主権を奪うのをミッションとした商人でした。そのやり方が創業当初の肉の販売に見られるように「いかがわしさ」が溢れています。
ダイエーと長くライバルであったイトーヨーカ堂の伊藤は利益をどのように上げるかを常に考えていた商売人だったと書かれていることにも私は納得します。その後、イトーヨーカ堂は経営のテクノクラート(官僚)、鈴木が経営者としてより一層利益重視の経営を実践していきます。鈴木の推し進めた「セブンイレブン」は「いかがわしさ」はなくなにかスマートです。
著者は、中内は「what(なにをすべきか)」を突き詰めていった経営者、鈴木は「HOW(いかにすべきか)」を突き詰めている経営者としています。
なぜ、中内のダイエーは崩壊してしまったかも著者の考えが書かれています。①バブルがはじけて自社で不動産を保有するダイエーの資産が下落してまった、②あまりに事業を拡大しすぎて有利子負債を抱えすぎた、③カリスマ中内を頂点とする中央集権的な組織では、消費者ニーズが多様化した環境変化に対応できなくなってしまったのがその要因と書かれています。
カリスマ中内の言うことは絶対でだれもなにも言えない組織になってしまったのが一番の要因と私は思います。ダイエー崩壊末期には、一目みれば売り場の良し悪しが判断できたという中内のダイエー店舗がまったく魅力がなくなってしまいました。それは、この本に書かれているように、中内に指示に対して忠実に従う店長たちが、言われるままに動くうちに、自ら考えることをしなくなってしまったからです。意見を出して否定され、左遷されてしまうより、忠実にトップの言うことを聞いていたほうが安全である組織になってしまったからです。
中内は、太平洋戦争ではフィリッピン戦線に従軍し、飢餓に苦しみ手榴弾を受けても帰還できた九死に一生を得た経験を持っているので戦争には絶対反対でした。
この本に書かれているように昭和56年の関西財界セミナーで、住友金属会長で関西経済連合会会長の日向方斉の防衛拡張論に中内が真っ向から反論したのは、中内が悲惨な戦争体験を持っていたからでしょう。そして、相手が財界の重鎮あろうが、戦争が何を人々にもたらすかわかっていたから反論せずにはいられなかったのでしょう。
太平洋戦争の悲惨な結果は、軍部の者が自己保身のために現実に起きていることを言わない「見たくない現実を見ない」組織となってしまったのが要因に一つであると言われています。戦争体験からそんなことは当然にわかっていたでろう中内が、自ら築いた組織は冷静にかえるみることができなかったはなぜだったんでしょうか
この本は、ダイエーを日本一の売上の総合スーパーにした中内功の人物論です。著者は「中内功200時間語り下ろし(全3巻)を」を書いた数少ない中内功が信頼していたジャーナリスト大塚英樹です。
この本は、中内の創業から書き起こし、本のサブタイトルになっているように、中内功は何者だったかを書いています。私は中内功については、ノンフィクション作家佐野眞一が書いた「カリスマ」という本を読んだことがありました。佐野の本が出版された頃は、まだ中内功がCEOの時で本の内容が事実無根と佐野が訴えられたことを記憶しています。佐野の本は、中内功を通して戦後日本の歩みを振り返る内容っだと思います。今回読んだ本は、中内功を戦後流通業の革命者として書かれています。
わたしは、この本の見開きに書かれている「いかがわしさに成功の秘訣あり」になるほどな思いました。私の中内の印象は、バイタリティー溢れるワンマン、傲慢、短気のいかがわしい人です。自社のスーパーに社長として店舗視察した時、売り場がなっていないので、店長に頭からモヤシの山をかけた逸話を読んだことがありました。闇市からスタートしたたたき上げの中内には、売り場のなにが問題かが瞬時にわかったのでしょう。また中内は、宿泊したホテルのタオルや、シャンプーなどのすべてを持ち帰ってコレクションする人物と本(佐野のカリスマ)で読んだことがあります。
中内が創業したダイエー、伊藤が創業したイトーヨーカ堂などの総合スーパーもかつてはエスタブリッシュの三越などの百貨店と比べると、商品に「安かろう悪かろう」のイメージがあり「いかがわしさ」がありました。ダイエー所属の選手にオリンピック2回出場して4位2度のマラソンの中山選手がいました。この選手など「たたき上げ」というダイエーの企業イメージにぴったりの選手でした。中山はエスタブリッシュの瀬古選手などと違いパンチパーマでまさに「いかがわしさ」の魅力ある選手でした。
「文化とうものは、いかがわしさから生まれる。歌舞伎も浄瑠璃も常磐津も端唄も、みんないかがわしさが発祥地だ」とよく中内は言っていたそうです。中内の商売のスタートは闇市で、そこでは人々が本当に欲するものしか売れない場でした。「人間の欲の原点」がそこにはあり、中内はいかがわしいものこそ、人をひきつけると確信していたようです。
「新しいものは、従来の考えからすればいかがわしいものだ。それがないと、文化や文明は先に進まない。安売りすると、メーカーからは目の敵にされる。しかし、最初はかかがわしいと思われても、しだいに普通のことになる。だから、われわれは、次から次にいかがわしいことに挑戦していかないと、文化を先に進めることができない」と中内は言っていたと書かれています。
メーカーから流通の主導権を奪うのが中内が目指した流通革命でした。中内は、流通革命を起こし、消費者主権を奪うのをミッションとした商人でした。そのやり方が創業当初の肉の販売に見られるように「いかがわしさ」が溢れています。
ダイエーと長くライバルであったイトーヨーカ堂の伊藤は利益をどのように上げるかを常に考えていた商売人だったと書かれていることにも私は納得します。その後、イトーヨーカ堂は経営のテクノクラート(官僚)、鈴木が経営者としてより一層利益重視の経営を実践していきます。鈴木の推し進めた「セブンイレブン」は「いかがわしさ」はなくなにかスマートです。
著者は、中内は「what(なにをすべきか)」を突き詰めていった経営者、鈴木は「HOW(いかにすべきか)」を突き詰めている経営者としています。
なぜ、中内のダイエーは崩壊してしまったかも著者の考えが書かれています。①バブルがはじけて自社で不動産を保有するダイエーの資産が下落してまった、②あまりに事業を拡大しすぎて有利子負債を抱えすぎた、③カリスマ中内を頂点とする中央集権的な組織では、消費者ニーズが多様化した環境変化に対応できなくなってしまったのがその要因と書かれています。
カリスマ中内の言うことは絶対でだれもなにも言えない組織になってしまったのが一番の要因と私は思います。ダイエー崩壊末期には、一目みれば売り場の良し悪しが判断できたという中内のダイエー店舗がまったく魅力がなくなってしまいました。それは、この本に書かれているように、中内に指示に対して忠実に従う店長たちが、言われるままに動くうちに、自ら考えることをしなくなってしまったからです。意見を出して否定され、左遷されてしまうより、忠実にトップの言うことを聞いていたほうが安全である組織になってしまったからです。
中内は、太平洋戦争ではフィリッピン戦線に従軍し、飢餓に苦しみ手榴弾を受けても帰還できた九死に一生を得た経験を持っているので戦争には絶対反対でした。
この本に書かれているように昭和56年の関西財界セミナーで、住友金属会長で関西経済連合会会長の日向方斉の防衛拡張論に中内が真っ向から反論したのは、中内が悲惨な戦争体験を持っていたからでしょう。そして、相手が財界の重鎮あろうが、戦争が何を人々にもたらすかわかっていたから反論せずにはいられなかったのでしょう。
太平洋戦争の悲惨な結果は、軍部の者が自己保身のために現実に起きていることを言わない「見たくない現実を見ない」組織となってしまったのが要因に一つであると言われています。戦争体験からそんなことは当然にわかっていたでろう中内が、自ら築いた組織は冷静にかえるみることができなかったはなぜだったんでしょうか