すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

林試の森 日曜日

2020-03-17 22:08:34 | 社会・現代
 日曜日に姪と近くの林試の森に行ったら、すごい数の親子連れが来ていた(弟が比較的遅くに再婚したので、この春に中学生になる姪がいる。ふだんは遠くに住んでいる)。
 ぼくはよく平日の午前中に散歩に行くのだが、ほとんど、保母さんに連れられた保育園児か、犬の散歩に来ている年配者か、ゲートボールの高齢者か、ジョギングの若者しかいない。この日曜日はいつもの5倍くらいの人出はあったろうか(今日行ってみたらやはり閑散としていた)。
 林試の森には大きな木に囲まれた大きな広場が4つあるのだが、どこも運動をする人たちがいっぱいだった。コーチの指導の下にサッカーや野球の練習をしているグループもいたが、それよりも、バドミントンやキャッチボールやフリスビーや鬼ごっこや縄跳びや自転車の練習や…思い思いに体を動かしている、あるいは遊んでいる、親子が多かった。
 コロナのために休校で、平日は親は仕事で、日曜日に親も子も体を動かしたくてたまらなくなっていて、TVでもさかんに「広場や公園に行きましょう」と奨めているので出た来たのだろう(ぼくらもそのうちの一組だが)。
 とても良いことだ。
 これを機会に、外で遊ぶこと、親子で遊ぶこと、の楽しさを多くの人が再発見すると良い。
 林試の森ではザリガニ採りなどはできないし、冒険ごっこもできないだろうし、それに今の親はすでに子供に自分の子供の頃の遊びを教えることは困難になっているかもしれないが、できることを少しずつ一緒に身に付けていけば良い。
 ついでに言えば、いまオリンピックを延期するかどうかが検討され始めているようだが(もちろん、なるべく早いうちに延期の決定をするべきだが)、これを機会に、競技ではないスポーツの楽しみが再発見されると良い。競技ではないスポーツにも、喜びと友情と心の解放と向上とは大いにある。誰でも自分に合わせてそれらを味わうことが出来る。
 ぼくももう駆けっこでもフリスビーでもすぐに息切れがして姪っ子にかなわないが、子供にかなわない、ということもまた楽しい。
 さらについでに言うと、これを機会に、いまの社会の在り方を考えてみるべきだろうなあ。もっと心のゆとりのある、優しいつながりのある社会にするために。
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