縁日で香具師が「さぁさぁ、お立合い、ここにあるのは源頼朝公のしゃれこうべ。さぁ、お立合い!」
客:「頼朝公ってのは頭が大きいんで有名だが、ずいぶんちいせぇじゃねぇか」
香具師:「はい、ご幼少のしゃれこうべでございます」
この小話は、友引寄席(うめだ勝之、幻冬舎ルネッサンス新書)からの引用。
うめださんは、三升家 う勝 (みますや うかつ)という噺家。落語と冠婚葬祭(特に葬礼)満載のこの小冊子は、かつて本人が葬儀社で働いていた経験をもとに書かれている。
棺を納めた輿を、大勢の人が担ぎ、葬列を組む。つまり神輿を担ぐことだ。それを、室内に入れたのが葬儀の祭壇の起源。大乗仏教は、世の中を大きな乗り物(輿)として考える。命あるものは、そこに乗り合わせた共同体という考え方。だから「よろん」は、輿論であって世論ではない。世論は、「せろん」だ。
四苦八苦の四苦は、病・老・死・生、生きることが正に苦である。
など、なかなか示唆に富む話が多い。
その本にこんなエピソードが紹介されている。
某大学教授が、「本を読まない奴は人間じゃない。ケダモノだ」と新聞紙上で言い放っていた。私の両親が本を読んでいるのを見た記憶がない。実際読まなかったのだと思う。二人ともすでに他界してしまったけれど、仮に健在でも、きっと息子の本すら読まなかっただろう。してみると私なんぞはケダモノの子ということになる。(中略)国の品格を心配する前に口の品格をお考え頂きたい。世の中には、本など読まなくたって真面目に実直に暮らしている人が大勢いらっしゃる。そしてそんな方々も、この社会を作り、守り、支え続けている一員であるのは論を俟たない。ああいった発言で幾多の尊厳を踏みつけるのが人間ならば、私はケダモノの子で満足だ。私の両親は、身贔屓を加えても教養があったとは言い難く、特に品行方正だったわけでもない。けれど、少なくとも弱者を貶めるような言動だけはしなかった。
うめださんの、平気で差別発言をする品性のない学者に対する満腔の怒りが込められている。
(ニシキウツギ)
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