東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

年賀状

2013年12月24日 | インポート

今年ももう残りわずかとなり、年賀状をしたためる時期となりました。「今年は、年賀状は出さない」と、早々と撤退を宣言した私の息子などは涼しい顔をしていますが、多くの方はこの三連休にねじりはちまきで年賀状と格闘したのではないでしょうか。
私もご多分に漏れず、町で見かける年賀状印刷の案内や駅の近くで売っている出張年賀状売り場を見ながら、「もう年賀状の季節か~」と思いつつもなかなか手がつかず、結局この三連休で慌てて向き合うこととなってしまいました。

ブラザー販売が行った年賀状に関する調査では、年賀状は「1年の節目」(90.3%)「人とのつながりを感じる日本のよい文化」(81.5%)とする一方で、年賀状作りに対して「嫌い」もしくは「どちらかというと嫌い」と回答した人が57.1%、毎年恒例の年賀状作りを「面倒」と感じている人が68.0%にのぼっています。さらには年末の慌ただしさから、76.5%もの人が年賀状作りを妥協してしまった経験があると回答しています。

Dsc01886 地方にいる旧友など、年に一度も会えない者も多く、年賀状がつなぎ止めてくれている縁もたくさんあります。頂いた年賀状で無事を喜ぶことも多い歳となりましたが、学期末の忙しさの中で、私もどうしても面倒に感じてしまう一人です。

そんな中、作家の池波正太郎は、正月を迎えるともう来年の年賀状を考え、準備をはじめたそうです。

「正月が来ると、私はもう翌年の年賀状を考え、これを注文してしまう(中略)。千枚ほどの賀状を全部自分で書くのだし、全部を書き終えるのが、けっこう11月をすぎてしまう。(中略)賀状などというものはムダなものだという意見もあって、それはそれでよい。だが私などは年ごとに賀状には凝るほうである。デザインを考えたり紙質をえらんだりすることがたのしく、また、そうした細かい俗なことに気をつかうのが、とりも直さず、私の書く時代小説の基盤になっているのだから、私は俗に生き、世俗にひたりこんで生きている(中略)。年に一度のあいさつのやりとりで、年に一度も会わぬ知人も多いのだから、いちいち自分で書き、その相手の名をみて旧交をなつかしくおもいうかべるのは、うれしいことである。」 (池波正太郎 『新年の二つの別れ』朝日文庫)