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東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

夏の講座

2016年11月22日 | 日記

7月18日、女性部教職員のための夏の講座が開かれました。
前半は職場の実態アンケートをもとに、職場交流が行われました。
内容は深刻なものが増えて、アンケートに協力するゆとりすらなく働きにくくなっていることがうかがえます。休憩が取れないという人が83.2%、勤務時間オーバーは87.8%という結果から、超過勤務実態が明らかになりました。
振替なしの土曜授業の弊害、時間外の会議や研修、職員会議の形骸化、権利に関する管理職の無理解、○○スタンダードと銘打った管理主義的な教育の進行、パワハラ・セクハラ、さらにマタハラなど多くの問題が各職場からあがりました。男性の育児関連の権利はまだまだ取得者が少なく、性別にかかわず自分らしく働き続けるためには、組合が勝ち取ってきた諸権利について知らせ、労働時間やジェンダー平等教育についての職場での意識を高めていくことが大切だと確認しました。 

両性研
8月3,4日には両性の自立と平等をめざす教育研究会が「ジェンダー平等教育を進めよう~知る・気づく・動く~」というテーマで開かれました。水無田気流さん(立教大学講師)講演で、男性を含めた長時間労働のしくみを改善しなければ、女性活躍推進法は実現されないと話されていました。男性が家計を支える中心になることが当然と捉えられてきたこれまでの労働形態を改善することが、女性の活躍と深く関わっているということでした。権利アンケートで明らかになっている現場の長時間勤務について、改善していく手立てを具体的に考えていかなければならないと感じました。


「子どもの権利条約」に根ざした教育を

2016年11月14日 | 日記

 2016年4月、国連ユニセフのイノチェンティ研究所がOECD等の加盟41か国中、日本は所得格差が大きいほうから8番目であり、所得分布の底辺から10%の子どもの世帯所得は、中央値の40%の所得しかないという報告書を公表しました。

 子どもの貧困は、16.3%、6人に一人といわれていますが、数の問題だけでなく、日本における貧困の深さがどれほど深刻なものであるかをこの数値は示しています。また、経済的理由での高校中退者は1200人を超え(文科省2015)高校奨学金の滞納額も2014年度末時点で約159億円であると報道されています。教育への公的財政支出がOECD諸国の最下位に近く、私費負担が大きい日本では有効な貧困対策が打ち出されない中、保護者の経済格差が教育格差となり、子どもの貧困の連鎖へとつながっていきます。

 ようやく政府は解消をめざしてとりくみ始めましたが、その内容は政府として資金を投与するのではなく「子供の未来応援運動」をたちあげ、民間資金で基金を作り、支援団体に助成金や総理大臣表彰をおこなうなど、名ばかりの対策となっています。給付型奨学金の支給など「子どもの貧困対策法」を実効あるものにしていくために、子どもの権利条約、国際人権規約の具現化を早急に進めていかなければなりません。

 また、いじめ、虐待、不登校の件数は依然として高い数値を示しています。過度の競争的な環境が子どもを追い詰め、いじめや不登校につながっていると「子どもの権利委員会」から指摘されているにもかかわらず、全国学力調査や各種の学力テストの結果公表などの競争主義が学校に持ち込まれているのが実情です。そして、そのいじめ対策としての「道徳の教科化」は、決して子どもの気持ちに寄り添ったものにはなりえません。子どものおかれている状況を子どもの人権の視点から捉えなおしていくことが必要です。それは、憲法の理念の実現につながり、平和・人権・環境・共生を尊重する社会を主体的に築いていく力となるものです。これは「子どもの権利条約」のもとで学校現場を含む教育の場でおとなによって保障されることが大切です。今こそ私たちは子ども達の「ゆたかな学び」の必要性を地域・保護者に訴えていかなければなりません。

☆東京教組は、1月27日(金)18時~20時で日本教育会館7階会議室において、教育対話集会「『学力』とはなんだろう」を開催します。是非、多くの方にお集まりいただければと思います。


第63回関東ブロック母と女性教職員の会平和の誓い新たに 

2016年11月07日 | 日記

8月7~8日、9年ぶりに東京で関ブロ母女の会が開催されました。「子どもたちに平和で平等な未来を! ~生かそう憲法・子どもの権利条約を~」をテーマに、一日目は分科会、二日目は全体会が行われました。分科会は、【こどもと人権】【幼児と小学生】【中・高校生】【インクルーシブな教育】【平和・環境】【自立と共生の教育】の6つに分かれ、様々な体験や実践の報告、提案があり活発な話し合いが行われていました。

記念講演では、「東京大空襲を伝えていくこと」と題し、山本唯人さん(東京大空襲・戦災資料センター主任研究員)と竹内静代さん(東京大空襲を体験者)のお話をお聞きしました。 山本さんのお話から、空襲が歴史的にどのように推移し、東京大空襲へと至ったのか、その後の朝鮮戦争やベトナム戦争、アフガニスタンやイラクへの空爆につながっていったのかが分かり、東京大空襲は一つの点ではないことがはっきりしました。東京大空襲を考える視点として、山本さんは次の3つを挙げていました。①多くの列強諸国が被害国であると同時に加害国であること。②被害の実態を明らかにすると同時に、加害責任について問う必要があること。③被害国にも加害国にもならないためにはどうすべきか考えること。そして体験の継承をどのように作り上げていくべきかについても話されました。戦争の体験世代が減少していくことで、東京大空襲を含む先の戦争は、直接的な「記憶」から間接的な資料や文字によってしか知りえない「歴史」になっていくこと。そうした中で、私たちは過去の体験とどのように「出会い直す」ことができるかが重要であること。体験者の声や実物の資料、芸術作品、新し
い研究などに触れてリアリティをもって過去を想像し、体験を引き継いでいくことが求められているとのことでした。
 東京大空襲を体験された竹内さんのお話で印象的だったのは、焼け落ちた自宅に戻り、大切にしていた英語の辞書が灰になって風に飛んでしまったときの喪失感は忘れられないというものでした。戦後2時間半かけて学校へ通ったが、明日が分からず生きていた戦時中より、何もなくなってしまったけれど、明日も学校に来ていいんだということが嬉しくて仕方がなかったそうです。戦時中の教育の重さ、教育の力の大きさについても語られ、「71年間、明日のある生活をしてきた。明日のことを考えられる世の中であってほしい。そういう世の中をつくっていきたい。あと29年続けば戦争のない100年になる。」という言葉に、明日をつくる子どもたちとしっかり向き合っていかなければいけないと思いました。危険な安保法制が進んでいこうとしている今、改めて平和の大切さを考える2日間となりました。


映画「シン・ゴジラ」と日本の現状

2016年10月26日 | 日記


この夏話題になった映画「シン・ゴジラ」のゴジラは、海底に廃棄された放射性物質を身体に取り込み、巨大化していきます。大きくなったゴジラは東京湾から東京に上陸、街を破壊していきます。この巨大生物をどうするか。政府は右往左往し機能しない中、何より早くアメリカが動きます。日本は常にアメリカの支配下にあることを痛感させられることとなります‥‥‥原爆、原発、放射能。ただの特撮映画と思って見たこの「シン・ゴジラ」は、映画そのものの評価は別として、日本の現状が少なからず描かれていました。いまだに日本には解決しなければならない、しかし解決の見通しさえたっていない問題が山積みになっているのではないでしょうか。


みんなで意見を出し合い、働きやすい職場をつくろう!

2016年10月11日 | 日記

 学校現場を取り巻く環境が複雑化・多様化し、学校現場における教職員の超勤・多忙化は深刻化しています。時間外勤務をしなければとてもこなすことのできない仕事量で、長時間過重労働が常態化しています。「振替なし」の土曜授業を実施したり、長期休業を短くしたりする地区や学校も増え、子どもも教職員も疲れきっています。年休も使いい切れず、まさに「ブラック企業」です。

 2015年の文科省発表によると2014年に病気休職した教職員数は全国で8277人。そのうち精神疾患は5045人(約61%)に上り、東京では病気休職者数725人中、精神疾患が525人(約72%)と、全国平均を大きく上回っています。

 日政連議員(日教組出身議員)の水岡議員、なたにや議員が4月の参議院文教科学委員会で多忙化解消、定数改善に向けて質疑を行い、文科大臣から教職員の超勤や多忙化に対する重要な答弁を引き出したのは記憶に新しいところですが、それを受け、文科省は6月13日に「学校現場における業務の適正化に向けて」~次世代の学校指導体制にふさわしい教職員の在り方と業務改善のためのタスクフォース報告~とする施策を公表し、17日には、これらの施策を実施するよう各教委に通知を出しました。報告の中には諸外国と違い、日本の教員は授業以外の仕事が多いことが挙げられ、教委からの調査・報告を低減すること、中学・高校の部活動の負担軽減のため休養日を設けること、管理職による勤務時間管理を徹底し、長時間労働を是正すること、ストレスチェック制度の実施によるメンタルヘルス対策の推進等々、東京教組が提案してきた具体策が列記されています。都教委も8月31日に「学校現場における業務の適正化に向けて」という通知を地教委向けに出しました。また、文科省は公立小・中学校等教員の勤務実態調査の実施を発表しました。

 しかし、中教審教育課程部会は「次期学習指導要領等に向けたこれまでの審議のまとめ」として、「業務の適正化」に明らかに逆行するものを出してきました。小学校の外国語教育を、年間高学年70時間、中学年35時間。小学校でのプログラミング教育の導入、道徳の教科化と評価等々。もちろん勤務時間の問題だけではありませんが、これらの導入は教職員の多忙を更に深刻化することは間違いなく、矛盾と言わざるを得ません。多忙化解消の点からもパブリックコメントなどで、現場の意見を出す必要があります。

 


感動ポルノ

2016年10月05日 | 日記

内田良氏の「教育という病」を読んだ。1年以上前の刊行になる本だが、ここで指摘された教育の問題は、それ以降クローズアップされることが増えてきた。

例えば組体操。巨大化し、危険性を「つきもの」だからと軽視してきた(安全対策を行うだけで、根本的に見直しを行わなかった)姿勢が指摘されたが、今年度、急速に取りやめたり、簡素化する学校が増えた。

例えば部活動。あまりにブラックな実態が指摘され、本業の授業がおろそかになっている、生徒と教員どちらも疲れ切ってしまう現状が指摘されたが、いよいよ文科省も本気になって部活動のあり方に切り込み始めた。

教員という人種はいろいろな考えの人がいるから良い。組体操が好きな人も、部活動に熱心な人も、もちろんいていい。でもどちらかというと、私はこれらが苦手なたちで、内田氏に心の中で喝采しながら読んでしまった。しかしまあ、そういう問題ではない。好き嫌いではなく、組体操や部活動が何の検証もなく、子どものためになるから、周りからのやってほしいという圧力があるから、という形で続けてこられたことが問題なのだと思う。

そして、もう一つ、内田氏が指摘したことで、私が上記2つよりも、もっと共感し、一刻も早くやめるべきだと考えるのが「2分の1成人式」だ。

いつのころか流行りだしたこの行事は、多くの小学校が、子どもが10歳になる4年生で「総合的な学習の時間」で取り組んでいる。

今まで10年成長してきたことを振り返り、保護者に感謝し、これからの未来に向けた希望を語る。一見いいことのように聞こえるが、まず、これが4年生の「総合」の学習に見合うものなのだろうか、という疑問があった。自分の成長を振り返るという学習は、ほぼ例外なく2年生の生活科で扱っている。その繰り返し。もちろん4年生なりのアプローチができるし、工夫すれば調べ、まとめる力を伸ばす活動にもなるだろう。しかし、内容が「これまでの成長」でなくてもいいはずだ。結局「総合的な学習の時間」になにをやるか、ネタに困って飛びついているだけの気がする。

そして、保護者を呼んで「感謝を伝える」という感動イベント。これが私にはなんとなく気持ち悪くてしかたがない。感動の押し付けを、商売にまですることを昨今「感動ポルノ」というらしい。もともと「障害」者をテレビなどにさらし、感動を呼ぶ番組への蔑称だった言葉だ。「親に感謝する」は、悪いことではないが、ここまで大々的に強制してやらせることだろうか。感動ポルノのにおいがしてしまう。

最大の問題は、内田氏が指摘するように、現在様々」な家庭の背景を抱えている子がいる中で、一律に、自分の生い立ちを振り返らせ、発表させ、親への感謝を強制させることにある。一部(とも最近はいえないが)かもしれないが、虐待などの背景を抱える児童に対して、あまりに酷な内容ではないか。少数への配慮が欠如している。

確かに、自分を振り返り、そこに関わってくれた人々の存在を認識することは大切な学習だ。「障害」者が頑張っている姿を応援するのも悪いことではない(24時間テレビだって、それなりに意味はあるのかもしれない)。きっと感動ポルノと、真に重要な教育は紙一重なのだろう。だからこそ、日々の教育活動や学校行事が、ただの感動ポルノになっていないか、気をつけていきたい。


「世界報道の自由度ランキング」72位

2016年10月04日 | 日記

安倍政権発足以来、公平性や中立といった言葉を権力が恣意的に解釈し、利用することによって、日本のメディア、ジャーナリズムは、萎縮や自粛を繰り返してきました。


国際ジャーナリストNGO「国境なき記者団」が毎年発表している「世界報道の自由度ランキング」を見てもそれは明らかです。

2011年日本は11位に位置し、世界でもトップクラスにありました。しかし、第二次安倍政権発足後の2013年から急転落。53位(13年)、59位(14年)、61位(15年)と順位は下げ止まらず、ついに今年(16年)は、対象の180カ国・地域のうち、過去最低の72位を記録しました。特定秘密保護法の施行から1年余りを経て、「多くのメディアが自主規制し、独立性を欠いている」と指摘されています。民主主義の劣化が進む日本、この問題も看過できません。


忘れていくんだよ、どんどん、大切だと思っていたことは・・・

2016年10月03日 | 日記

深夜帯のドラマには意外と掘り出し物がある。


昨年の秋から年末にかけて放送されていた「おかしの家」もそのひとつだ。映画「舟を編む」の石井裕也脚本・演出の30分ものの連続ドラマだ。

主演は、オダギリジョー。映画の雰囲気を感じさせる、それでいて深夜枠ならではの自由な遊び心満載な味のある作品でした。

幼くして両親を亡くし、祖父母に育てられた主人公が、祖父母が開いた小さな駄菓子屋を守ろうとする姿を縦軸に、大人になっても駄菓子を片手に裏庭にたむろする彼の幼なじみたちを横軸にドラマは展開する。

「忘れていくんだよ、どんどん、大切だと思っていたことは・・・」「このオジサン達も駄菓子みたいな人たちだ。一見とりとめのない存在でも、見方次第では最高に価値があるものだってことな」心に沁みるセリフがちりばめられた素敵なドラマです。大事な場所も大切な人も失われたりもするけれど、すべてがなくなるわけではない。嘗て子どもだったすべての大人に!DVDになっています。是非レンタルでご覧あれ


この世界の片隅の話

2016年09月12日 | 日記

 

今年の夏休みも終わってしまった。
戦後71年目であったが夏はやはり戦争と平和について考えたくなる季節だ。安保法案成立、衆参2/3が改憲勢力となった今年の夏は、やはり新しい目で8月6日、8月9日、8月15日を迎えざるを得なかった。71年前の反省をどう生かしていくのか、より真剣に考えなくてはいけない義務感のようなものが渦巻いていた。
原爆については絶対悪であるという認識は変えようがない。絶対に語り継いでいく必要がある。揺らがずにヒロシマ・ナガサキを学び続けたい。

この後11月に「この世界の片隅に」という漫画を原作とするアニメ映画が公開される。「夕凪の街 桜の国」でヒロシマを描いたこうの史代さんが、もう一つのヒロシマを描いた作品だ。内容についてはぜひ映画や漫画で触れていただきたいが、この原作の最大の特徴は、実は映画や単行本では分かりにくいので少し紹介したい。

週刊漫画アクションに連載が開始されたときが、「昭和18年暮れ」の話でちょうど「平成18年暮れ」に連載されていたことから、平成と昭和を入れ替えるとちょうど現実の時間進行と、物語の時間進行がリンクする形になっていた。戦争が庶民の暮らしに落とす暗い影が月ごとに濃くなり、徐々に1945年8月が近づいてくる臨場感は、ものすごいものがあった。
日頃、戦争関連のフィールドワークなどを行って、戦争の空間的なイメージは広げることはできたが、ひたひたと迫ってくる時間の感覚は、この連載でしか感じることができなかったのではないか。

この日常にひたひたと迫ってくる「戦争」が、アニメ映画でも表現されているといいなと思っている。


【プロジェクト19のお誘い】

2016年07月28日 | 日記

どんな人生を送られてきたのだろう。一番楽しかった思い出は、何だったのだろう。悔しかったこと、悲しかったことはどんなことだったのだろう。

 

「津久井やまゆり園」でお亡くなりになった19人の方たち一人ひとりのご冥福をお祈りするとともに、そのご家族に心よりお悔やみ申し上げます。また、けがをされた方々にお見舞い申し上げ、一日でも早く回復されることを願っています。

 

事件の詳細はまだこれからと思いますが、先ずは亡くなられた19人の皆さんを悼み、心を寄せたいと思います。

 

犠牲になった方一人一人に心を傾けている人がいること、全国に届けるために、毎日19本の花、19個の何かをやまゆり園に、やまゆり園から遠い人はどこか代わりの場所に届けて、19人の方それぞれのご冥福を祈るという【プロジェクト19】が呼びかけられています。賛同し、呼びかけます。

 


夏休みは休もう!~土曜授業の振替、しっかり取っていますか?~ 

2016年07月25日 | 日記

 東京教組で毎年行っている女性部アンケートですが、「夏休」を5日取っていない人が何人かいることが気になっています。原則として連続する5日、となっていますが、連続しなくても5日取る権利なので、有効に取りましょう。

 また、近年増加している振替なしの土曜授業の分のお休み、授業のある日はなかなか取りづらいものです。1学期の分は夏休み中に取れますし、10月までの2学期の分も先取りして取れます。日にちを確認してしっかり取りましょう。
 また、時差勤務の対象が拡大され、長期休業中は育児や介護に限らずだれでも取ることができるようになりました。ある中学校では、校長が、運動部の顧問の先生に「1時間早い出勤&1時間早い退勤」型を提示したそうです。この学校では、夏休みは熱中症対策として、朝7時頃から部活動を行っていましたが、時差勤務より「勤務時間内」の部活動指導となるので、管理上の問題が解決できます。仕事上の都合だけでなく、夏の健康管理のためにも、制度を上手に活用していきましょう。
 育休復帰応援セミナー9月4日(日)13:00~16:30日本教育会館7階 704・705会議室 育児関連の権利、現在の学校の状況、異動情報、保育園や子育ての情報交換など、復帰に役立つ情報がいっぱい!保育室を用意しますので、お子さん連れでどうぞ。またパートナーの方とご一緒の参加も大歓迎です。 職場に育休中の方がいらっしゃいましたら東京教組までご連絡ください。
 関東ブロック母と女性教職員の会8月7日(日)13:30~19:308月8日(月) 9:15~11:40日本教育会館にて 今年は9年ぶりの東京開催です。 是非とも、ひとりでも多くの方に参加して頂きたいと思います。よろしくお願いします!


オスプレイも都知事選の争点に

2016年07月04日 | 日記

間もなく都知事選が公示される。まあ金がらみでの辞職は仕方ないと思いつつ、あのセコイ問題に比べ、圧倒的な税金の無駄遣いに終わった新銀行東京の石原都知事はなぜ叩かれないんだという思いも強い。

仕方がないから前向きに次の都知事選の争点など考えてみるが、課題はぼんやりしていて、名前が挙がる人も「これを訴えたい」という強い思いが伝わってくる人は少ない。

そんな中で、でも争点にしてほしいことの1つに「オスプレイ配備」がある。

23区の方は実感があまりないかもしれないし、そういえばと思い出すレベルかもしれないが、横田基地へのオスプレイ配備は深刻な問題だ。

今年赴任した学校は体育館屋上にプールがあるのだが、水泳指導中、何機も連続して横田の飛行機が真上を通っていく。うるさくてかなわない。ただでさえ声の通りにくい水泳指導だというのに・・・。これに日常的にオスプレイが加わるのかと思うとぞっとする。これもあまり認識されていないが、すでにオスプレイは月に何度も横田基地へやってきている。あの独特の低周波の音と、不安定な恰好は、墜落の恐怖を思わないで見ることはできない。

この恐怖が常駐してしまった普天間基地周辺の気苦労はどれほどだろう。これ以上この恐怖と危険性を拡散してはならない。まして普天間と驚くほど似た環境で、住宅地・商業地に囲まれた横田基地にオスプレイが常駐するなど考えたくもない。

東京の空を我が物顔で「未亡人製造機」が飛ぶことなどぜったいに許さない!こんな訴えをする候補がいないものだろうか。少なくとも基地周辺自治体は配備反対の決議を挙げているのだし、住民だってどっちかといったら飛んでほしくないだろうから票にはつながると思うのだけど・・・。「知名度」ばかりが争点なんてはっきりいって恥ずかしい。


選挙に行こう! 政治を変えよう!

2016年06月17日 | 日記

3.11東日本大震災と福島第1原発事故によって、日本は随分変わりました。「原子力ムラ」の存在など、これまで見えなかったものや見ようとしてこなかったものが、否応なく目の前に突きつけられ、日本の民主主義が思いの外脆弱で危ういことに多くの人が気づきました。そして、その気づきは、声となりました。

最初は「脱原発」の運動が大きなうねりとなり、秘密保護法反対では首相官邸前での若者たちの政治発言となりました。そして、その声は2015安保闘争へと引き継がれ、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)や「ママの会」など、これまで集会やデモを遠巻きに見ていた人たちが、自らの意思で参加し声を上げるようになりました。組織されていない一般の人々が手作りのプラカートをかかげ、声を上げ、シュプレヒコールする姿は、確かに日本が変わったことを感じさせます。

しかし、一方で政治は自民党の一強多弱のまま旧態依然の姿をさらし、安倍政権による強権的な運営が続いています。「何をしても所詮何も変わらない」という「あきらめ」の空気が、声から遠ざかるほど根強く漂っていることもまた事実です。 

しかし、このままで良いのでしょうか?

テレビが映し出す「日本は豊かな国だ」と国会で胸を張る安倍首相。しかし、彼が見ようともしない子どもの貧困はとても深刻です。日本の子どもの貧困率は、16.3%(OECD平均は13.3%)まで上昇し、中でもひとり親家庭の子どもの貧困率は54.6%となっており、OECD加盟30カ国中最悪です。貧困は、そのまま教育格差となり、貧困の連鎖へとつながります。大学に通う若者の半数以上が高利率の奨学金に頼り、卒業後、奨学金の返済に苦しんいます。そして、今年制度発足以来はじめて生活保護受給者の高齢者の割合が50%を超えました。「下流老人」は想像以上の早さで拡大しています。格差社会は、もう我慢の限界まで広がっています。

安倍首相は「アベノミクスは成功している」として雇用率のアップを自慢しますが、増えているのはパートや派遣労働者などの非正規雇用ばかりで、民間事業者に勤める労働者のうち非正規社員の占める割合がついに40.5%に達し、初めて4割の大台を超えました。先の通常国会では、「一生低賃金・一生派遣労働者法」とも呼ばれる、派遣期間の制限を事実上撤廃する「派遣労働者法改正案」も成立しました。「高度プロフェッショナル制度=残業代ゼロ」法案も成立させようとしています。労働者を守るために作られた労働法制が、労働者を追い詰めています。

東日本大震災後、全ての原発が止まっても電力は十分に供給され、日常が脅かされることはありませんでした。「原発が止まれば電力が足りなくなる」というごまかしは、今やもう通用しません。しかし、安倍政権は原発の再稼働と技術輸出にこだわり、現在2基の原発(九州電力川内原発)が再稼働しています。福島第1原発の重大事故を風化させてはなりません。これからも原発に依存した社会を続けるのか、自然エネルギーの推進で持続可能な社会を築くのか、重大な岐路に立っています。

昨年9月に成立した安全保障関連法は、文字通り日本を「戦争が出来る国」へと変えました。海外において他国の軍隊を守るために自衛隊員が武器を使用する事が出来る、集団的自衛権に踏み込んだ法律です。国民は、アメリカの戦争に巻き込まれる危険性とテロのリスクを否応なしに背負うことになりました。しかも、この法律は憲法学者の約9割が「憲法違反だ」と指摘し、今も多くの国民が反対しています。

そして、安倍首相の最大のねらいは憲法の「改正」です。安倍首相は、通常国会において「私たち自身の手で憲法を変えていくことこそ、新しい時代を切り開いていく精神につながると確信している」「いよいよ、どの条項を改正するかとの新たな現実的な段階に移ってきた」などと答弁し、3月2日の参議院予算委員会において「私の(自民党総裁)在任中(2018年9月まで)に憲法改正を成し遂げたい」と、憲法改悪に強い意欲を示しています。そして、「大規模な災害が発生したような緊急時において、国民の安全を守るため、国家そして国民自らが、どのような役割を果たしていくべきかを、憲法にどのように位置付けるかについては、極めて重く大切な課題であると考えています」として緊急事態条項の新設を明言しています。 

今回の参議院議員選挙は、日本の将来を大きく左右するこれまでにない重要な選挙です。子どもたちにどのような日本を、どんな社会を引き継いでゆくのか、私たち大人の責任が問われています。 

先の衆議院議員選挙において自民党の得票率は48%です。半分以下の得票率にもかかわらず、76%もの議席占有率で他党を圧倒しています。しかも、投票率は、過去最低の52.66%であり、有権者全体に占める自民党の得票率はわずか25%です。実は「安倍政治」は、多くの棄権者によって成り立っているのです。このことは、投票に行くことで政治を変えることが出来るということを明確に示しています。この参議院議員選挙から選挙権も18歳まで拡大されます。6月22日の公示以降、7月10日の投票日まで毎日が投票日です。慎重に考え、しっかり投票し、私たち大人こそ未来への責任を果たしましょう。


40周年を迎えた第五福竜丸展示館「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」

2016年06月02日 | 日記

先日、第五福竜丸展示館の開館40周年を祝う記念のレセプションに参加させていただいた。なんだかモダンで新しいと思っていたあのドック型の建物ももう40年たつのかと感慨が深い。レセプションの参加者と話をして、今や「第五福竜丸」「ビキニデー」といっても、若い人には通じなくなってきたなあという実感を共有した。実際被爆二世だという団塊ジュニア世代の方も、最近まで詳しくこの「事件」について知らなかったという。ヒロシマ・ナガサキよりも近い過去とはいえ、当時被爆した乗組員23名のうち、すでに18名が鬼籍に入られている。事件の風化がすすんでいることに焦りを感じる。平和運動・原水禁運動に詳しい方なら釈迦に説法かもしれないが、もう一度「第五福竜丸」事件を簡単に振り返ってみたい。

焼津のマグロ漁船第五福竜丸が、太平洋のビキニ環礁で米軍の水爆実験により被災したのが1954年3月1日。まだ夜明け前、西の空にまるで太陽が昇ってきたような明るさだったという。やがて本当の太陽が東から昇ったころ、爆発で巻き上げられたサンゴを中心とした「死の灰」が雪のように降った。明らかな異常を感じた第五福竜丸は操業を直ちに中止、まっすぐ焼津に引き返す。もちろん全員が大量に被曝しており、直ちに米軍ヘリで東京第一病院へ移送された。中でも重篤だった久保山愛吉さんは半年後「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」と言い残して亡くなる。これを契機に日本で原水爆禁止の運動が盛り上がっていくわけだが、当の第五福竜丸自体はどうなっていたのか。焼津に帰港した第五福竜丸は、すぐに文部省が買い上げている。東京に回船され東京水産大学で残留放射線の検査を受けることになった。2年後には改造され、水産大学の「はやぶさ丸」と名を変える。10年以上練習船として海を走り続けた後廃船、江東区の夢の島のゴミの中に放置された。しかし廃船からちょうど1年後、朝日新聞に有名な投書「沈めてよいか第五福竜丸」が掲載。保存運動が起こり、1976年に都立の施設として「第五福竜丸展示館」が開館するのである。展示館が新木場・夢の島にできたのはこのような経過があったからである。

レセプションでは音楽構成劇「最後の武器~福竜丸の航海はつづく~」が上演されるなど、福竜丸が果たしてきた平和運動・平和教育への役割と、これからますます重要になる水爆被害の生き証人の位置づけを再確認することができた。

それと同時に老朽化する、船体・エンジン・建屋も深刻な問題も明らかにされた。近年ようやく明らかになってきた福竜丸以外の被爆の実態の解明、マグロ塚の築地移転問題など、課題も山積している。しかし何より、記憶の風化の問題が心配だ。

この江東区新木場という臨海地域は、オリンピック開催の中心地だ。(オリンピックなんて知らないよ、という気分にもなるが)せっかく世界中の人がこの地に集まるのなら、水爆被害の実相を伝えるこの施設を大々的にアピールすることを提案したい。同時に巨額のオリンピック予算のほんの幾ばくかを、展示館の改修や船体・エンジンの修復保存の予算に当てたらいいのではないだろうか。


不思議の国キューバ

2016年05月23日 | 日記

 私にとってキューバと言えば、映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」であった。大きな波しぶきが散るマレコン通りを、スライドギターの名手であるライ・クーダが、息子のヨアキムをサイドカーに乗せて悠々と走ってゆく。あまりにもカッコいいファーストシーンに魅了されてしまった。そして、映画が終わって「いつかこの国に行ってみたい」と思ったものだ。あれから何十年が経ったのだろう。

 だから、思いがけず「キューバに行かないか」と誘われたときには、その場で承諾した。もちろん、たまたま行ける環境にあったことも、幸いだった。キューバ教育調査団にもかかわらず、葉巻と音楽とクラシックカー、そして、ヘミングウェイとチェ・ゲバラ、カストロの「不思議の国キューバ」に、私は、物見遊山気分満々で旅立ったのだ。

 ハバナの宿は、決して快適とは言いがたいホテルであったが、何にも代えがたかったのは、そのホテルが旧市街に建っていたことだ。翌朝、私は早速カメラを片手に散策に乗り出した。

 世界遺産にも指定されているハバナの旧市街は、少し歩けば、ここが観光地ではなく、人々が暮らす生活の場だということが直ぐに分かる。旧世紀の建物が居並ぶ美しい街並みの路地裏には、庶民の生活の臭いがあふれ、ベランダにはカラフルな洗濯物が風に揺れている。そして、入り組んだ細い路地に、黒い煙を吐きながらビンテージカーが行き交っている。映画「アメリカン・グラフィティ」に登場するいわゆる「古き良き時代」のアメ車たち、ビュイック、ポンティアック、シボレー、クライスラーなどなどが、前世紀の古ぼけた街並みを今も悠然と走り回っている。

 憧れのクラシックカーがあまりに街に溶け込んでいるために、私たちは軽いタイムスリップ感を味わうことになる。でも、溶け込んでいるのは当たり前なのだ。なぜなら、このビンテージカーたちは、飾られ、カメラの被写体となるために存在しているのではなく、ここで暮らす人々の生活の足として存在しているのだから。これがキューバの魅力なのだ。

 キューバの街には、どこに行っても音楽があふれ、古老たちが葉巻を片手に談笑している。食事をとり、ラム酒を楽しむ場所には、バンドの演奏があり、客にリクエストを求めてくる。リクエストは、もちろんアルバム「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のトップを飾る曲「Chan Chan」だ。緑あふれる中で聴くローカル色豊かな「Chan Chan」も、ハバナにあるヘミングウェイゆかりのバー「ラ・フロリディータ」で聴いた洗練された「Chan Chan」も、本当に素敵だった。もちろん土産としてCDを購入したことは言うまでもない。

 蛇足になるが、帰国後の3月18日、「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」アディオスツアーの日本公演があり、勇んで行ってきた。もちろんコンパイ・セグンドなど当時のメンバーの多くは亡くなっているが、オマーラ・ポルトゥオンド、グアヒーロ・ミラバル、バルバリート・トーレスなどは健在。バルバリート・トーレスのリュート、そして、なんと言っても85歳という年齢を感じさせない,オマーラ・ポルトゥオンドの歌声にすっかりしびれてしまった。私にとってキューバは、今でも「不思議の国」だ。是非もう一度行ってみたいものだ。