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旧中山道、碓氷峠を歩く、其の5(おわり)

2011年06月23日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

子持山案内板⇒中部北陸自然歩道入り口案内板まで    記録掲載

 

沢山の旧跡の案内標識が立って、緑のトンネルの中を歩いた。
その昔、多くの人々が往来したのかと思うと心が沸々として来ました。
中でも、幕末に皇女和宮が御通行された道のことで... 京の都から関東の 将軍家へ嫁入りされる、また現在の道(舗装路)は明治天皇巡幸道で、明治11年に改修された道跡があちこちに残されていた。
多くの標識の中で、色々な歴史の流れを偲ぶことができる。
立て札の陳列になりました。


皇女和宮が降嫁する際に造られた↑道「和宮道」です。ここで合流しますが道の広さが違います。


皇女・和宮の行列は 文久元(1861)年11月8日 ここ沓掛宿の本陣で宿泊した。

     

 

       


落ち葉が多いことは緑が豊かだからです。

      

 
旅人が通るたびに積み上げたのでしょう。

 

                        
≪安政遠足=あんせい とうあし≫の小さい看板を沢山見ることが出来ます。
どこかの遠足の標識かと思いしや、後日調べて現在のマラソンに通じるものとビックリしました。
≪安政遠足≫日本マラソンの発祥と言われ、安政2年(1855)安 中藩主の板倉勝明が藩士の心身鍛練のため碓氷峠の熊野権現までの片道約29kmを往復 ・・・。

 峠路を歩き終えて
旧中山道・碓氷峠の半分ほどを歩き、 廃線区間の第一トンネル前に立った。
山並みの向うに上信越高速自動車道が見え車が走っていた。新幹線はルートを変えてトンネルの中をあっという間にビュ=ンと走り抜けて行く。
時代は日々進歩するものとビックリするやら、古を
色々考えさせられた峠超えでした。

 

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