電車で野菜等を運び、
都内でお得意先で商う、”カラス部隊の元祖”
【 レポートが長文になりました。
昭和史・ニッポンの母ちゃん物語。時間の許す方は、お読みください 】
職場でJR成田線に乗車し、我孫子周辺をウオークした話をした。
緑がいっぱいで広大な住宅地で、農業も盛んでした。暮らしに伸び伸び感が見えた。
成田線は単線で30分間隔に、一本ぐらいでした。
1、 Uさんが、話に加わった。
Uさんは、成田空港公団に勤務していた関係から我孫子付近は明るく、通勤線で使ったこともあり詳しい。
『成田線は、むかしカラス部隊の元祖と言われた電車です。背中に野菜・コメ・穀類等農家で取れた産物を背負い、手に荷物を下げて電車に乗った。いわゆる”おばちゃん達”が背中にいっぱい背負って、朝早く電車で神田・上野・日暮里などの家々を訪ねて商いをした』
と説明してくれました。
Uさんは、通勤で成田線や京成線を利用したことから車内のおばさんたちの状況を知っていた。
私も早番勤務の時、JR総武線に乗ると、黒い大きな風呂敷で籠を覆い、手に荷物で運ぶおばちゃん達の姿を見た。この人達何だろう・・・・・・一瞬思った??
確か、昭和35~8年くらいの頃であった。
2、「故きを温ねて新しきを知る」
この文言は、私のポリシーです。心の底辺に渦巻いています。
あまりにも懐かしきカラス部隊の語彙に触れ興奮した。
HPをフルに利用してレポートを作成した。 ①~⑥まではHPからお借りしました。
成田線路線図
3、電車内のカラス部隊
早朝から重い荷物を背負い、電車に乗って東京へ向かう人々の群がある。
カラス部隊と言われた行商のおばちゃん達。
大正12年9月の関東大震災のとき、救援物資を搬入するため千葉県の農家の主婦たちが支援活動に乗り出した。
この震災の時に、自家製の野菜や卵を持って見舞いに行ったのが、この行商の始まりと言われている。
①
安食駅4時58分の一番電車の乗り込み、お得意様に売りさばき、完売になった10時すぎには空になった籠の上下を重ねて、小さくまとめ帰り支度をする。
帰りの電車では通路に新聞紙を敷き、その上に籠を置き、手帳に売上などのメモをした後は眠っていく。12時過ぎに安食駅に着き家路へと急ぐ
②
最初の野菜行商の始まりの頃の社内の様子です。
③
社内での場所も決まり、東京へ向かう。
④
竹籠を何段にも積む。帰りは小さく重ねてが少なくなる。
(出典①②③④・東京ベイ船橋ビビットから抜粋)
4、行商専用列車の廃止
最も行商が盛んだった1955年(昭和30年)から1960年ごろは、国鉄成田線で 2800人、京成線で 2000人を数え,1日2回の往復し東京の客からは、千葉のおばちゃん(千葉のおばさん)として親しまれる。 だが近年は、高齢化とともに利用者が減少し,1日20人程度になって、2013年(平成25年)3月末で行商専用車両は廃止された.
当時、常盤、成田両線は普通でさえ通勤や通学の増加で混雑した。それに加えて行商人が乗り込む。そして、それぞれの人が得意先の希望を満たすために、車内で行商人同士の売買や、物々交換がなされた。これが大荷物とともに一般の乗客のひんしゅくを買ったため、改善を求められた。
⑤
湖北駅のホームにさび付いた鋼鉄製の棚が七つ残っている。
縦30センチ、横3メートル。成田線経由で東京方面に行商に出た女性たちが、
重い荷物を下ろした荷物台だ一息つきながら休んだ。
⑥ 今のも残っているカラス部隊の休憩所。
(出典⑤⑥・行商人用荷物台より抜粋)
これ ↓ を見ればすべてがわかる
行商のおばちゃん⇔クリック動画
千葉のおばちゃん&当時の毎日ニュース2本立。
5、 現在の成田線周辺、布佐駅
布佐駅前
布佐駅から新木駅方向を見る。鉄道は単線。およそ30分に一本の電車でした。
布佐駅前に立ち並ぶ集合住宅。
平和台高級住宅地、農地が宅地化されて家が建つ
6、 カラス部隊を最後に見かけたとき
つい2年ほど前、京成高砂駅車掌区建物横の踏み切を渡った時でした。所用で、駅近辺に出かけたときのこと。
建物の入り口広場で、野菜や切り餅を売っていたおばさんに出会った。
懐かしさのあまりお餅を5つ買い求めた。
カラス部隊の行商は、平成25年に廃止とあり、風呂敷を背負った群れは見られない。
カラス部隊の名残であったかもしれない。
7、書き終えて感じた事
書き終えて感じたことは、戦後の日本を切り開いてきたのは♀・女性である!!と言っても過言ではない。すべての画像に映し出されていたのは、たくましい・生きる姿の女性の顔でした。
”背中に50kg世の荷物を背負い、両手で運ぶ姿、
まさにニッポンの母ちゃん”でした。
昭和を振り返るとき、このような底辺にうごめいた多くの女性がいたことを決して忘れてはならない。今こうして物はあふれ、贅沢三昧、平和ボケし怠惰に流れ過ぎている現在の世の中に、どう立ち向かっていけばよいのか迷路にハマったような気がしてならない。
温故知新、古き時代から、さわやかな緑の芽を見たような思いに駆られ、身を引き締めながら少ない人生を歩んでいきたい。
お世話になりました関係向きのHPさん、有難うございました。