イーハトーブ岩手の水ブログ

岩手の渓流や三陸の海、みちのく奥州の自然にまつわる出来事や話題を伝えます。更にFM岩手「水のラジオ」の情報も掲載。

陸前高田災害エフエム開局への一歩

2011年04月30日 | 被災地から

前日の四十九日渋滞で、無念のUターンを余儀なくされた反省を踏まえ、
29日に改めて陸前高田に向かった。

現地で災害エフエムの開局に努力を重ねているF氏
(※まだ組織が正式に設立していないのでイニシャルで・・・)
からのアドバイスもあって、北から陸前高田に入るルートを取った。

午前10時30分頃に奥州市江刺をでて住田町を経由して
大船渡市盛へ入り、そこから三陸道に乗って碁石海岸ICでおリ、
そこから陸前高田市小友地区を目指した。
このルートが大正解!!

GW初日のボランティア渋滞が懸念されたが・・・
このルートでは実にスムーズに現地へ入れた。
ただ・・・被災地区に入ると瓦礫の撤去が進んでおらず、
ところどころで作業待ちは当然あった。

写真の小友小学校跡には、被災現場を見下ろす場所に満開の桜・・・
そこでF氏と待ち合わせ。
まもなくF氏が消防団の中間達と消防車でやってきた。
電話でばかりのやり取りだったが、はじめてあったF氏は
実に「好青年」の印象だった。

その後、彼の家に招かれ座敷に通されると、
そこに彼の母上の遺影と仏壇があった。
・・・・・
この震災で彼は母親を奪われた。
電話で彼はそのことには一切触れなかった・・・・。
僕は、無言でその仏壇にお焼香をする事しかできなかった。
・・・・

改めて彼の今後の構想を聞きながら、
僕にできるアドバイスを約束し、今後のスケジュールを組んだ。
まずは、放送免許は、市が申請するとして、
災害エフエムを運営する組織をNPO法人として立ち上げるという。
それも良い方法だと思う。
彼の意見に賛同する仲間が既に10名を超えている。
そこでNPO法人「陸前高田 創生ふるさと会議(仮称)」を設立し
その後、日本財団などの支援を求めてゆくという。

そうすることによって、被災して約3割の職員が亡くなった
行政当局の負担を軽減し、災害エフエムの運営する事ができる。
行政当局は、日々の生活情報や防災情報を局に送るだけですむ。

後はアナウンサー役となる人材をどうするか?だが・・・
僕にもいくつかの腹案がある。
まずはそのための準備に掛ろうと思う。

F氏は、行政や大学、中央のシンクタンクとも交流があり、
僕の知らない貴重な人脈を持っているらしいので、
今後の展開がとても期待できる。
本当に頼もしい青年だ。

F氏との打合せの後、進路を北にとり午後には釜石に入り、
釜石災害エフエムのスタジオへ。
するとGW初日という事もあって、スタジオのミキサーに
早くもボランティア・スタッフが参加していた。
今後も、続々とボランティアが参加する予定だという。
こちらも頼もしい。

釜石の課題は、現在運営を担当している市の公聴広報課から
なんらかの地元民間団体へと運営を引き継ぐ事だろう。
そのためにもまだまだ釜石災害エフエムには協力を続けなければ・・・