イーハトーブ岩手の水ブログ

岩手の渓流や三陸の海、みちのく奥州の自然にまつわる出来事や話題を伝えます。更にFM岩手「水のラジオ」の情報も掲載。

大槌「さんずろ家」に泊ってきた。

2011年06月29日 | 被災地から
2週間前にも岩手を訪れて、被災状況を視察してくれた
東京の某財団の若松さんが再び岩手県沿岸を訪れてくれた。
今回は、同僚の田中さんとお二人で来てくれた。

26日の日曜日に釜石に入り、僕とは月曜日の朝に現地で合流した。
まずは、釜石災害エフエムの現状について話を聞きたいtという事で、
釜石市役所の災害対策本で公聴広報課の三浦さんと僕から
これまでの経過やこれからの方向について、話を聞き、
いくつかのアドバイスを頂いた。

久々に対策本部を訪れたが、シープラザ内はずいぶんと様変わりし、
営業を休んでいた館内のテナントもほとんどが営業を再開していた。
なんでも、市役所本庁の復旧が進み、ほとんどの部署が戻ったらしい。

釜石災害エフエムもこれからの運営は、第二段階に入るようだが
スタッフや機材などに不足があるようだ。
その辺の事情を聞くと、若松さんは、
「私たちの団体では、すぐに無理かもしれないけれど、ここなら・・・」と
別の財団の資料を出し、担当の三浦さんに奨めてくれた。
ありがたい話だ。

その後、災害エフエムのスタジオがある、FM岩手の釜石支局を見てもらい、
支局のスタッフから釜石で取材したキーパーソンなどの話をきき
二人はそうした人々と面会するということで、後で宿で合流となった。

その日の宿は、大槌のさんずろ家と決めていたので、
僕は一足早く、さんずろ家で昔からの相棒でTV番組「釣りクラ」の
プロデューサーである岩田さん(岩ちゃん)と一緒に二人の到着を待った。

以前にもこのブログに軽く触れたことがあるが・・・
被災した「釣り船」船頭さん達が、「釣り船」営業を再開しようとしている。
しかし、港に瓦礫が残る中で、堂々と釣り船を出せる状況にないし、
釣り人も「自粛ムード」の中で、釣りに出掛ける雰囲気でもない。
そして、自粛ムードで県内の釣具店は、開店休業状態・・・
あの釜石の久能釣具店は、休業した。

そこで、僕と岩ちゃんは、船頭さん達を応援し、釣具店を支援し、
釣り人に胸を張って釣りに出掛けるキッカケを作りたいと考え、
「ある提案」を画策し、それを若松さんと田中さん相談しようと考えた。

午後5時過ぎに二人が宿に到着し、晩飯の前に早速僕たちの計画を語り、
二人の意見を聞いた。
的確な指摘とアドバイスを頂き、僕達は俄然勇気をもらった。
瓦礫の撤去が進まない中では少々時間は掛るだろうが、
いずれ秋までには、計画を煮詰めて始動できそうだ。
お二人には心から感謝したい。

その後、晩飯を喰いながらの話になるのだが・・・
このさんずろ家の晩飯は、相変わらず喰いきれない料のお膳で、
またしても降参してしまった。
午後7時過ぎに、なんとFM岩手釜石支局の大堀くるみチャンが、
陣中見舞いに参加してくれて、酒も飲まずに10時頃まで
つきあってくれた。
彼女は、あの釜石ケーブルの釣り番組のレポーターもしている
本格的な釣りガールで、「釣りクラ」にも出たことがある。
宮古に暮らす彼女も被災したが、それでも僕らと同様に
釣り船の一日も早い再開を願っている。

若松さんは、6月中はずっと被災地を視察していたが、
7月からはとうぶん東京で、被災地の状況をまとめたり、
支援を求める相談に備えるという。

災害エフエムやら陸前高田創生ふるさと会議やら、
今回の釣り船支援の件やら、様々ご相談しましたが、
これからよろしくお願いします。

平谷美樹氏の最新刊プレゼント!

2011年06月22日 | ラジオの話
FM岩手で四月から放送中の「焚き火の時間」パーソナリティの
作家・平谷美樹さんの新刊「義経になった男」がかなりの好評だ。
全4巻の大作で角川春樹事務所から発行されている。
文庫本サイズで、各686円(税別)。

僕のところにも平谷さんから届き、今一巻目を読み始めたところ。

番組では、この最新刊の発売を記念して、
全4巻を1セットにして、3名の方にプレゼント。
応募状況によっては、更に3セットプラスになるかも・・・・

というわけで、ご希望の方は、以下のFM岩手「焚き火の時間」の
メールフォームから、
「プレゼント希望」と明記して、コメントなどを添えてご応募下さい。
ラジオネームのほかに、当選した場合の発送先の住所、氏名、電話番号を
お忘れなく。


FM岩手「焚き火の時間」メールフォーム

皆さんからのご応募をお待ちしてます。
締め切りは、24日午後4時。
(番組収録時間が4時からなので・・・)

そういえば・・・・今日は僕の誕生日だった。
うっかりしてた・・・・

浜のミサンガ 「環(たまき)」

2011年06月20日 | 被災地から
もうすでに各方面でも紹介されているものだが、
あえて僕もここで紹介します。

「三陸に仕事を!プロジェクト」というのが、既に始まっているが、
浜の女性たちに仕事を・・・ということから始まったのが
「浜のミサンガ 環」だ。

岩手県三陸町越喜来(おきらい)のグループや、
釜石市の被災者の女性たちが中心となって作り始めたもので、
漁に使う網を、女性たちが手作りでミサンガに仕立てたものだ。

復興への願い込めて、一つ一つ手作りしている。
ミサンガの販売代金1,100円(1セット・税込)で、
そのうち、材料費や販売経費、諸経費を除いた、1セットあたり約570円以上
(現状の試算です)が彼女たちの工賃になる。
また、制作する女性たちに材料を届けたり、製作の指導をする地元の方々にも、
1セット当たり80円以上が支払われることになるという。

現在、盛岡市のデパート「川徳」と「フェザン」で販売しているが、
7月11日からネット通販もはじまるそうだ。

その「浜のミサンガ」のCM映像があったので、
興味のある方は下からご覧下さいな。

浜のミサンガ 環 60秒CM


また、現在放送中の災害エフエム各局のなかで、今後コミュニティFM局へと
展開を望んでいる地域の方の声を聞き僕ができる協力の仕方を模索している。
コミュニティFMは、エリア限定ラジオ局とはいえ、
れっきとした民放なので、経営基盤がシッカリしていないと免許が出ない。
これまでの町の規模でも免許申請は難しかったのに、
震災後では極めて難しいと思われる。がしかし・・・・

様々な支援が整いつつあるこれからなら、
コミュニティFM開局も、あながち夢ではなくなるだろう。

更に現在、めんこいTVで3月まで放送していた「釣りクラ」の
製作スタッフと連携をとりながら、三陸の釣り文化の復興に向けた計画を
準備中だ。
宮古重茂では、自宅を津波で流され避難所生活を続けている「さくら丸」の
船頭さんも生活するために釣り船営業を再開している。

しかし、釣り人の間には、三陸で釣りをすること事態が
後ろめたい状況(雰囲気)にある。
また、釜石では有名な釣具店「久能釣具店」が休業に追い込まれた。
その他多くの釣具店も開店休業状態だ。
これでは、三陸の釣り文化、岩手の釣り文化が廃れてしまう。

僕達は、三陸の釣り船の船頭さんたちを支援しながら
共に「三陸の釣り文化」復興を目指そうと決意した。
その詳細は、計画案が整ったところでご紹介する。

思いがけない支援の手

2011年06月15日 | 被災地から
先週、僕の会社のメールフォームから一通のメールが届いた。
災害エフエム開局からコミュニティFMの放送を計画している
「陸前高田 創生ふるさと会議」を資金面で援助できるかもしれない・・・
という思いがけない嬉しいメールだった。

メールを送ってくれたのは、某財団の若松明子さん。
僕のブログを読んで、岩手県沿岸各地で展開している災害エフエムの
現状と今後開局を予定している陸前高田の災害エフエムの進捗状況を
聞きたいという。
そこで早速、若松さんにメールを返信し、何度かのやり取りの後、
12日の夜に彼女の宿泊地である北上市で会うことになった。

夕方7時にホテルまでお迎えに行くと・・・・
玄関脇のベンチに妙齢の綺麗な女性が一人。
正直驚いた。

連絡をくれたのは確かに彼女だが、
おそらくダンディな上司と一緒なのだろう・・・とイメージしていた。
よって僕も少々緊張していた。ところが・・・

午前中に久々に川を歩いた事もあって、
夕食会場として選んだ「豊八」の席に着くなり、
「ビ、ビールで良いですか?」と聞く僕に、
「ビールの後は、岩手の地酒が良いですね。」とニッコリ!
いきなりの先制パンチに参った!!
続けて、「あのぉ~、タバコ吸っても良いですか?」と聞くと
「ハイ、私も吸いますから。」とキッパリ!!
参りました!!!降参です。

話を聞くうちに、彼女が相当のお嬢様であることもわかったが、
気取ったところなど一切なく、それでいてシッカリとした信念を持つ
優しい女性だと理解した。

今回の被災地視察では、後方支援の遠野から陸前高田方面に
一人で視察するという。
その日も遠野方面を視察して一旦北上に帰ったところだった。
滞在中に「陸前高田 創生ふるさと会議」の福田さんと会いたい、
ということになり、一日置いた14日の午前中に福田さんと
若松さんが会うことになった。

この日福田さんは、新幹線で上京するということで、
急遽、一関駅前での会談となった。

福田さんの話によると・・・・
当初、災害エフエムは、創生ふるさと会議が開局から運営をする予定だったが、
ここにきて東京を本拠地として陸前高田を支援する「エイドたかた」が、
災害エフエムを運営する事になったという。
人材と資金が不足している被災地にとっては、どんな形であろうと
「災害エフエム」の放送が始まることは喜ばしい事だ。

福田さんたち「創生ふるさと会議」は、災害エフエム放送の終了後に
計画されている「コミュニティ放送(FM)」の開局と運営を目標に
進めてゆくという。
陸前高田でコミュニティラジオを定着させるには、まずは運営資金の
確保が絶対条件になる。
その点について若松さんから、一つの財団だけでなく他の財団にも
幅広く支援を求めえるべきだ、とありがたいアドバイスをもらった。

しかし、今回初めて、若松さんのような「・・・財団」の方々が
僕たちの見方であることを知った。

そして、彼女は今回だけでなく、今月末にも再度訪問の予定だという。
次回は、大槌、釜石市区を視察するとのことで、
できれば宿泊は、雑魚寝でも良いので「さんずろ家」に泊りたいという。
綺麗で優しいだけでなく、話が早くて、そして逞しい。

貴女には参りました。

前岩手県知事 増田寛也氏の講演会

2011年06月14日 | 被災地から
12日の日曜日、午前中は久々に時間ができたので、
北上と花巻の境にある尻平川に釣りに行った。

尻平川は相変わらず透明な水が流れ、水温も理想的な13℃。
しかし、岸辺にはいくつかの足跡があり、先行者の気配がした。
案の定、ライズもなく魚の出は渋かった。
それでも、20cm程度のヤマメを2尾と・・・・
なんと16cmほどのヒカリが1尾釣れた。
残念ながらラメラを持たずに川に入ったので映像はないが、
確かに背びれと尾びれの先に黒いしみがあり、魚体も細く銀色だった。
間違うはずもない!
しかし驚いた。六月に和賀川水系の尻平川でヒカリとは・・・

その後、夕方に予定されている重要な面談に備え、
瀬峯坂温泉に行き、温泉とサウナで身を清めた。
しかし、まずその前に久しぶりに会いたい方の下へ向かった。

その日、午後4時半から前岩手県知事の増田寛也さんの
講演会が水沢のホテルであった。

現在増田さんは、民間版の復興会議である「日本創成会議」の座長を
務めているという。
前知事であり、元の総務大臣だった増田さんが立場を離れて
どんな話をするのか・・・それが楽しみだった。

国の対応の遅さをまず第一にあげ、
「復興計画は地元で、その後方支援を国が約束する」という事が
大事だと語った。その通りだろう。

増田さんとは知事時代からラジオ番組の制作を通じて親交があったので、
番組用にコメントをもらおうと考えていたが、
講演会がことのほか長引き残念ながら今回は頂けなかった。
しかし、次回来県の時には連絡を頂くことになったので、
それまでのおあずけとなった。まぁ仕方ない。

現在は、日本創成会議の座長という肩書きだが、
さて次回会うときにはどんな肩書きになっているのだろう。
それも楽しみだ。



パーソナリティで作家の平谷美樹さんの新刊

2011年06月09日 | ラジオの話
今年の四月から始まったFM岩手のラジオ新番組「焚き火の時間」の
パーソナリティで金ヶ崎在住の作家・平谷美樹さんの最新作が
満を持して発売になった。

ということで・・・
昨日付けの地元新聞・岩手日報に全4段の新聞広告が掲載になった。
「義経になった男」全4巻(文庫本サイズ)。
文庫サイズということで、1冊のお値段も六百円ちょっと。
この小説は河北新報の新聞小説として昨年までの2年間掲載されたもの。
なんでも、角川春樹社長も絶賛だとか・・・・

平泉も今月25日頃には、正式にユネスコの
世界文化遺産に登録されることもあって、相乗効果を期待したいところだ。

この本の発売を記念して「平谷美樹サイン会」が、
6月19日(日)午後2時から、盛岡市大通りの「リリオ」2階の
カルチャールームで行なわれる。
お近くの方は、是非パーソナリティ・平谷美樹さんの顔を見に行ってほしい。

てなわけで、今度の日曜日放送の番組も新刊の話題になりそうだ。
それに季節はいよいよアウトドアシーズン突入、ということもあって、
キャンプや野遊びの話題にも広がりそう。
交互期待!

FM岩手の放送は、現在radikoの復興支援プロジェクトのサイトで
全国どこでも聴けます。
放送は、毎週日曜日 午後6時~(30分)
下のボタンからradikoのサイトにいけます。

radiko復興支援プロジェクト




支援の洗濯機を大槌「さんずろ家」へお届け

2011年06月07日 | 被災地から
晴天の今日、昨日一関の永澤さんから支援物資として預かった
全自動洗濯機と洗濯用品、更には奥州・いわてNPOネットで
集めていただいたタオルケットや肌掛け布団などを軽トラに積んで
大槌町の民宿「さんずろ家」へ行ってきた。

軽トラでの長距離運転は本当に久々で、その上支援物資を積載している事もあって
かなりの安全運転だったので、片道2時間も掛ってしまった。
距離にして片道約120km。
しかし、軽トラを運転しながら見る景色は、いつもと違って見えるもので、
ちょっと新鮮な驚きがあった。

今回は事前に連絡していた事もあって、女将も旦那もいてくれた。
時間的にも昼営業が終わった午後2時過ぎに到着したので、
まさにグッドタイミング!

早速軽トラから洗濯機を下ろすと、永澤さんの至れり尽くせりの配慮に
二人は歓声を上げて拍手!
そしてこの洗濯機は、さんずろ家のお向かいさんの民宿「さかい」へ
届けられる事になった。
また、奥州・いわてNPOネットから預かった夏用の寝具は、
70名が避難生活をする大槌町波板交流センターへ女将が届けてくれる。

その後、久しぶりに三人で海を眺めながら被災地の今について
二人から話を聞いた。
仮設住宅の工事は着々と進んでおり、すでに完成した仮設もある。
そこで先日も抽選会があって当選した家族も多数いるのだが・・・
いまだに誰も避難所を出る人はいないという。
何故なら・・・・避難所なら朝昼晩の三食が支給されるが、
仮設住宅に入ると自分達で食料を調達するしかないらしい・・・
仕事も無くした人々は、仮設住宅を与えられても自活できない情況だとか・・・
更に、義捐金もいまだに被災者には充分に届いていない。

今月20日頃には、予定されている仮設住宅はほぼ完成する。
そして、7月には70名全員が避難所を出なければならない。
しかし・・・自活への道はまだまだ険しいようだ。


支援物資の「全自動洗濯機」を頂いた

2011年06月06日 | 被災地から
このブログで大槌の仮設住宅建設にあたり、
作業員さんたちの宿舎となっている民宿「さんずろ家」と同様に
作業員さんたちが泊るお向かいの民宿で、洗濯機が足りない・・・
という内容を書いたところ、

一関出身で盛岡在住の永澤哲朗さんからコメントを頂いた。
「まだまだ使える洗濯機と冷蔵庫があるが、必要なら取りに来てほしい」
ということだったので、取り急ぎ連絡を差し上げたところ、
「いつでも良いですよ」とのありがたいお言葉に甘え、
今日の午後、一関の永澤さんのご実家に伺った。

何でも・・・・
永澤さん自身は、盛岡に暮らしていてその家には
今年亡くなった母上が住んでいたという。
頂いた洗濯機は、本当に美品でまだまだ使えそうだ。
永澤さんの優しいお心遣いに甘えて、その他の洗濯用品(洗剤まで)も
遠慮なく頂戴した。
この洗濯機は、我が家の軽トラに積んで明日大槌に届ける予定。

改めて、永澤さんに心から感謝申し上げます。

また、一関の永澤さんのご実家の冷蔵庫や整理タンスも
提供したいとのご意向だが、僕一人ではちょっと厳しいようだし、
それに軽トラでは、かなり難しい。
大槌で必要な方があれば何とか届けたいと思うのだが・・・
その時はどなたかご協力をいただけるとありがたい。


ところで・・・
前回のブログにフットサルのステラミーゴいわて花巻の事を
チラッと書いたが、僕の認識に誤りがあった。
NANBUさんから以下のようなご指摘のコメントを頂いた。


>ステラミーゴが岩手唯一のプロチームと書いてますが、
>ステラミーゴはプロチームではありません。
>ステラミーゴが加盟するFリーグが完全なプロリーグではなく
>名古屋オーシャンズだけがリーグで唯一のプロチームで
>ステラミーゴを含め残りのチームの選手は
>プロ契約している選手もいますが、
>ほんの一握りで後は働きながらプレイしている選手が殆どです。

認識を改めます。
NANBUさん、ご指摘ありがとうございます。

女将も主人も不在のさんずろ家へ

2011年06月01日 | 被災地から
更新が滞り誠に申し訳ありません。

ここ一週間、ラジオ番組の収録やら編集、さらに
今季から新体制になった岩手唯一のプロチーム
フットサルの「ステラミーゴいわて花巻」の新しいプロジェクトの
段取りなどが立て込んでついつい更新が遅れてしまった。
重ねて昨日ブログを更新したところ・・・・
不覚にも手違いでテキストを喪失してしまった。(情けない)

ステラミーゴいわて花巻のプロジェクトについては、
後程詳しく紹介する。

そんな慌しい中、29日日曜日の夕方、僕の友人である飯田俊氏が
岩手にやってきた。
彼は、元々はあの上々颱風が所属する事務所「ゆうげい社」の社長だが、
現在、産業能率大学の講師を務めている。
その大学の彼のゼミの学生たちが、被災地支援のあり方を検討していて
生徒を指導する講師として被災地の現状を知りたいということで
僕を訪ねてくれた。

僕としても日々の業務に追われ被災地から10日ほど遠ざかっていた。
更に栃木のさなちゅんサンから託された支援DVDも届ける予定でいたので
飯田さんと一緒に30日の月曜日に釜石経由で大槌を訪ねた。

大槌のさんずろ家は、あいにく「定休日」だったが、
勝手口のドアは開いていたので中に入り、女将と主人を呼んだが返事がない。
食堂や座敷には、連泊している仮設住宅の作業員の方々の食事の後。
定休日とはいえ宿泊している方々の食事は毎日の事なのだろう。
しかし・・・いくら待っても返事もないので、
支援物資を座敷に置いて書置きに託した。
さなちゅんサ。改めてありがとうございます。

その後、大槌から釜石経由で国道45号を陸前高田まで南下した。
その日は、台風が接近する大雨の日で、更に大潮で満潮の時間。
行く先々の海辺は、水位が上がり漁港などは波にもまれていた。
驚いたのは陸前高田の高田松原付近の国道45号。
あの国道のすぐ脇まで波打ち際が迫っていた。
国道が防波堤の状態・・・。
それまで車内で色々な話をしてくれていた飯田さんも
あの陸前高田の光景を見て言葉を無くしていた。

この状況を踏まえて、飯田さんとゼミの学生たちは
東京で学生達ができる支援のあり方を検討し、
改めて相談したいと言ってくれた。ありがたい。



追伸:28日にこのブログに永澤哲郎さんからコメントをいただきました。
   まだまだ使える洗濯機と冷蔵庫などを支援物資として
   ご提供頂けるとのこと。
   本当にありがとうございます。
   「必要であれば連絡を・・・」という事でしたが・・・
   実は、頂いた永澤さんの連絡先をPCの震災で喪失してしまいました。
   大変恐れ入りますが、以下の会社のメールフォームから
   一言メールをお送りいただけないでしょうか?
   よろしくお願い致します。
   

   http://www.tsurishi.com/fullback/?page_id=99