イーハトーブ岩手の水ブログ

岩手の渓流や三陸の海、みちのく奥州の自然にまつわる出来事や話題を伝えます。更にFM岩手「水のラジオ」の情報も掲載。

六月の釣りを想い出した・・・

2012年06月25日 | 渓流レポート
昨年は、ほとんど川に釣りに行けなかった。
と言うよりも、釣りに行く気持ちになれなかった。
震災前の数年も、仕事の事や家のことなどで、
釣りに出掛ける時間が徐々に少なくなってもいた。

十数年前までは、渓流のフライフィッシングにのめり込んでいて、
3月から9月までの渓流解禁中の210日のうち、
70日以上、ほぼ3日に一度は岩手の川で釣りをしていた。
その頃は、その時々の水温やら気温、気圧まで計りながら、
羽化する水生昆虫を予測し、毛鉤を巻いて川に挑んでいた。
あの頃は、岸辺の草花や木々の茂り方まで気になったし、
何しろ風の匂いにも敏感だった。
魚影の濃い川は、当然のように魚の匂いが強い。

特にも、魚が羽虫を盛んに捕食する五月下旬から六月は、
その川に立って魚の匂いがすれば、必ず釣れた。
そんな時代の事を、先週末の土曜に想い出した。

遠野の小烏瀬川に着いたのは、午後2時を過ぎた頃だった。
曇天ながら風もあまりなく、まずまずのコンディションだった。
とはいえ、週末の遠野、人気河川の小烏瀬川ともなれば、
県外ナンバーの車が、あちこちに駐車している。
誰かが釣った後を釣る事になるのは覚悟していたが・・・
まずは、狙っていた場所へ入ってみた。

案の定、誰かの新しい足跡が、砂地にくっきりとある。
それでも川に立つと、かすかに魚の匂いがする。
しかしライズはない。
タバコを吸いながら、川を凝視する・・・・。ノーライズ。
こんな時は、岩泉の川でも同じだが、あえて難しいポイントを選ぶ方がいい。
そこで、岸辺の葦際にフライをしつこく流してみた。
すると・・・一番上の山女魚が出た。
その時ふと、「これが、六月の釣りだなぁ~」と想い出した。
その後、やや大型を2尾加えて、これをオフシーズンの燻製用にキープ。

しかし・・・こんな釣りをしていると、フライが幾つあっても足りない。
やれやれだ。

雨のタイマグラと薬師川

2012年06月11日 | 渓流レポート
9日の土曜日は、午前中から降り出した雨が一日中降り続いた。
週末に姫タケ採りに行こうなどと考えていたが、
結局諦めて読書とデータ整理で一日を終えた。

明日こそは、釣りに行こう・・・と心に決めた日曜日。
前日からの雨が粉糠雨に変わったが、それでも降り続いていた。
そんな中、庭&畑仕事などを一通り追えて一服したあと、
この程度の雨なら、なんとか釣りになるだろう、と考え、
ちょっと時間的には遅かったが、遠野に向かった。

日曜日の遠野時は、やっぱり車の通行量が多く、
いつもより少々時間をかけて遠野市街地に到着。
ガソリンを補給後、真っ直ぐに小烏瀬川に向かったが・・・
なんと大増水!
内陸では小雨が降り続いた程度だったので「この程度なら」と思ったが、
やっぱり北上山系の山では相当降ったらしい。
これじゃ、立丸峠の反対側の小国川も同じだろう・・・と諦めかめたが、
「その支流の薬師川の上流、タイマグラなら釣りになるかも・・・」と
思い立ち、一路荒川高原経由でタイマグラに向かう事にした。

霧が立ち込める荒川高原を越え、小雨のタイマグラ・キャンプ場に着くと、
一台の軽ワゴン車が止まっていた。
川を見ると餌釣り師が、やや増水気味の川で釣りをしていた。
まぁ、餌釣りの後ならフライでも何とか釣りになるだろう・・・・と思い、
まずは、キャンプ場の炊事場で昼食にした。
昨日のメニューは「具無の冷し中華」。
最近は、車に調理用の鍋の他にザルも積んでいるので、
炊事場さえあれば簡単に出来る。
しかも最近は別売りの「冷し中華のタレ」が抜群に美味いので、
麺とタレを別々に買い揃えている。

小雨降る中でも、炊事場には屋根があるので、快適に昼食を終え、
釣り支度を整えていると餌釣り師の方が戻ってきた。
川の様子でも聞こうと思い、「どうでしたか?」と声を掛けると・・・
なんと!
その釣り師は、5年前までこのキャンプ場の管理人だった向田さんだった。
驚いたし、嬉しかった。

聞けば、今は被災地の瓦礫処理の仕事に従事しているという。
大元受けが「鹿島」なので、待遇は抜群に良いらしく、
土日も休みは良いのだが、暇でしょうがないので釣りに来たという。
それじゃ、上流と下流に分かれて釣りをしようという事で、
僕は上流、向田さんは下流で1時間ほど釣りをして、
雨もやみそうにないので、午後2時頃、そろそろ帰るという向田さんを見送った。
帰り際、「6尾しかないが持ってってくれ」と大型の岩魚を6尾、
ありがたく頂いた。
それからまた1時間ほど釣りをして、9尾の岩魚をキープ。
向田さんからもらった岩魚とあわせて15尾は、燻製用に保存する。

向田さんをご存知の皆さんに報告します。
当時の軽トラックは、まだ使っていますが、被災地へ通勤するため
今向田さんは緑の軽ワゴン車に乗っています。
相変わらず元気です。
宮古の街にいる時間が多いので、多少垢抜けしました。
「瓦礫処理が一段落したら、タイマグラに戻るつもりは?」と聞いたところ、
「今運営しているNPOの人間とは絶対に一緒には出来ない!」と
キッパリ断言されました。
あのキャンプ場の焚き火で、向田さんと酒を飲むことは、
これからもたぶんないのでしょうね・・・・。残念ですが・・・

しかし、それでも、昨日小雨のタイマグラに釣りに行って、
本当に良かったと今夜もシミジミ思います。

藤の花の咲く頃は・・・

2012年06月06日 | 川と森の話
渓流の魚たちが一年で一番活発に動く時期なのだろいう。
以前、釣友・万渓巌氏が、岐阜の吉田川に釣りに行ったときのこと、
季節はGWの頃だったとか・・・。
全国に名だたる名川・吉田川でもフライの釣果はイマイチだったらしい。
吉田川もこんなものか・・・と帰り仕度をしていたところ、
地元の事情通が、話しかけてきた。
吉田川の現状やら、場所の選び方など一通り話してくれたらしい。
その別れ際「藤の花の咲く頃にまたおいで。」と言ったそうだ。
その言葉が忘れられない・・・と焚き火の夜にしみじみ語っていた。

時はまさに「藤の花の咲く頃」。
今こそが、岩手の渓流で一番いい季節だ。
土曜日に、山田湾のシーカヤック交流会を取材したその帰り道、
鵜住居川で久々に竿を出した。
時間は、午後5時。

いつものポイントに入り、流れを見ると・・・小さなライズがポツポツある。
午後5時からフライが見えなくなる時間まで、
釣れなくてもいいから、まずはフライを流してみようと思った。

しかし、ライズがあるが、なかなか僕のフライには出てくれない。
そこでカディスタイプにフライを交換し、目の前の流れに落としたところ、
一発で15cmほどの山女魚が出た。

そこから午後7時まで、久々にライズの釣りにはまりまくった。
その場所には、小型が中心で大型は少なかったが、
25cm前後の山女魚と岩魚を7尾ほどキープできた。
鵜住居川の岩魚は、水が綺麗なので刺身にも出来る。
その晩は、久々に岩魚の刺身で焼酎を頂いた。

これまでの鬱屈した日々、PCの前で悶々と悩んでいたが、
そんな時間があるなら、川で新しいひらめきを待つほうがいいかもしれない。
ただ・・・今の悩みは、リペアしても一向に修復できないウェーダーの
水漏れ問題だ。
NGウエーダー3本を先週の天気の良い日に補修したのに、
やっぱり水漏れは止まらない・・・。困ったぞ・・・・。

新緑の季節にもかかわらず・・・・

2012年06月05日 | 被災地から
一ヶ月以上も更新が滞り、本当に情けない。

正直、盛岡在住の作家・中津文彦さんが亡くなったショックもあった。
様々な場面でのご恩への恩返しも出来ぬまま見送った事への後悔・・・
厳しく諭され、そして出来が良ければ破顔一笑。
本当に真っ直ぐな方だった。
四年前に亡くなった愛すべき酔っ払いの直木賞作家・三好京三さんに続き、
又しても「先生」と呼べるオヤジがいなくなったことの喪失感・・・・。
さらに追い討ちをかけるように、
被災していない岩手県内陸部の経済沈滞・・・・
創造的なことが何もない・・・という状況を理解いただけるだろうか。

TVや新聞は、被災地沿岸部の話題で持ちきりだが、
実は、被災していない岩手県内陸部の経済は、惨憺たる有様だ。
仙台の国分町は、空前の盛り上がりのようだが、
盛岡をはじめ、北上、奥州、花巻の歓楽街は、閑古鳥だ。
それでも、釜石や大船渡、宮古、陸前高田の仮設飲食店街は、
そこそこに繁盛しているようなので、それはそれでありがたい。

更新が滞ったこれまでにも、FM岩手「三陸きぼう海岸」の取材は続いた。
4月27日放送分では、気仙沼で被災したコンビニ経営者が
平泉で新店舗を開店し、歩み始めた。
5月4日放送分では、全員無事避難した野田村保育所の元所長、
中村さんから話を聞いた。
5月11日放送分では、同じく野田村で営業を再開した「十布ヶ浦食堂」の店主
山口さんを取材した。
5月18日放送分では、昨年から緊急雇用で無料配布されてきた釜石の
地域情報誌「リボーン」が、独立して有料情報誌となる潔さを取材した。
5月25日放送分では、大船渡で被災した楽器店「ヨツバ楽器」が、
仮設店舗開店から一周年を迎える事の決意を伝えた。
そして、先週6月1日には、釜石市の若者達が独自に復興支援組織
「ネクスト釜石」を結成し、行政サイドに若者達の意見を集約し提言する事について伝えた。

この番組の取材で毎週のように沿岸被災地に出向いているが、
被災地の風景にあまり大きな変化はない。
それでも、少しずつプレハブの仮設店舗は増えている。
仮設住宅団地の周辺も、畑が出来たり、花壇ができたり、ベンチが増えたり、
と少しずつ変化している。
しかし・・・僕が制作を担当している「三陸きぼう海岸」も、
今月(六月)いっぱいで終了となる。
まぁ、昨年の七月から一年になるし、それも仕方のないことだと思う。

これからは別の形で、沿岸被災地の復興に謙虚に関わっていくだろう。
どんなことが出来るのかは、これからなのだが・・・

これまでの一ヶ月少々、ちょっと心を病んでいたが、
これからは肝をすえ直して歩いてゆこうと思う。