イーハトーブ岩手の水ブログ

岩手の渓流や三陸の海、みちのく奥州の自然にまつわる出来事や話題を伝えます。更にFM岩手「水のラジオ」の情報も掲載。

山田の牡蠣くん、花巻で再出発!

2011年08月30日 | 被災地から
昨年から全国的にも人気が高まった「山田の牡蠣くん」をご存知だろうか。
山田町大沢の牡蠣養殖業を営む佐々木俊之さんが育てた牡蠣を
燻製にしてビン詰めにしたもので、岩手の代表的な特産品になりつつあったもの。
試行錯誤を重ねてようやく「これだ!」という味に辿り着き、
本格的な生産のために、大型燻製機や工房施設などを整備したところに・・・
あの津波・・・すべて流されたそうだ。

その彼が、内陸の仲間達の後押しもあって、
花巻市の企業化支援センター裏手のプレハブ工房を借りて、
いよいよ九月から再始動を始める事になった。

「山田の牡蠣くん」は、そもそもあのノロウィルス騒動で
全国的に生の牡蠣が売れなくなった時に、
生以外で牡蠣を美味しく提供できる方法はないか・・・というところから生まれた。
燻製を思いついたものの、最初は味付けや燻製時間の調整に失敗し、
何度も何度も作り直してきたそうだ。
その味のモニターとして協力したのが、僕の友人でもある東和の小林禎子さん。
そして彼女が所属する「三陸カヤックス」の面々だ。
シーカヤックを通じて交流のある佐々木さんから味見を頼まれて、
何度も何度も駄目だしをしたとか・・・・

花巻の新工房を訪ねたところ、施設内には機材も整い
あとは原材料となる牡蠣をどこから仕入れるか・・・・という段階のようだった。
花巻に工房を構えたとはいえ、自宅は山田の仮設住宅。
山田で牡蠣養殖再開の準備をしながら、花巻の工房へ通う毎日・・・。
たいへんだね・・・というと、
「あの津波で、今出来る事を今やらないともったいないと気付いた」とか・・・

山田の牡蠣くんは、今予約販売の申込を受付中。
下「山田の牡蠣くん」から入れます。

山田の牡蠣くん

吉里吉里の「復活の薪」

2011年08月29日 | 被災地から
先週、大槌町吉里吉里の「復活の薪」プロジェクトの基地を訪ねた。
リーダーの芳賀正彦さんにあって話を聞いてきた。

彼らは、被災した翌日から地域住民だけで独自の組織を作り、
生活道路の確保作業などを行なってきた。
特に、燃料油の確保のために、被災したガソリンスタンドの地下タンクを掘り起こし
避難所へ灯油を届け、緊急車両に燃料を供給し続けたという。
ガソリンスタンドのオーナーに断りもなくやったので、
後で責めを負うだろうと覚悟していたという。・・・・かしかし、
その事実を後に知ったGSオーナーから
「良くぞやってくれました!」と感謝されたという。
流石、大槌の海の民は人間がでかい。

そんな避難生活の中、避難所に入浴施設が届いた。
その風呂の燃料として津波でやられた瓦礫を薪にしていたところ、
ボランティアの方から「この薪を販売したらどうだろう?」という声が上がり、
そこから「復興の薪」プロジェクトが始まった。

当初は、そんなに売れるものじゃないだろう、と考えていたが、
新聞、TVなどの報道で全国から注文が殺到するようになった。
注文に生産が追いつかない状態が今でも続いている。
しかし・・・先日の陸前高田の松からセシウムが出たことで、
その後、毎日のように問合せがあるという。
その問合せに対して芳賀さんは、正直に答えている。

「陸前高田と吉里吉里は50kmしか離れていないので、
 セシウムが検出される可能性もあるでしょう。」
「しかし、我々にはそれを測定する機械もないので、
 含まれているかどうかも分からない。」
「もしも不安に思うのでしたら、どうぞキャンセルしてください。」
そう答えている。
だが、注文のキャンセルもほとんどなく、
相変わらず薪の注文は続いている。

※「復活の薪」のご注文は、下から入れます。

  復活の薪プロジェクト

また、震災以前から芳賀さんたちは、
ふるさと吉里吉里の海をより美しい海に戻そうと、
手付かずの人工林の間伐作業を続けてきた。
このプロジェクトでは、今後もふるさとの海の再生のために
間伐や下草刈作業などを続け、健全な森林を守り育てていこうとしている。

昨日、大槌町の町長選挙があり、投票の結果、碇川さんが選ばれた。
いよいよ大槌町の本格的な復旧が始まる。
復興は、まだまだ先のことになるだろうが・・・・。

大槌「さんずろ家」好評営業中!

2011年08月23日 | 被災地から

先週&先々週と2週連続で大槌町にラジオ番組の取材に行っていたが、
その度ごとに国道45号線沿いの民宿&食堂「さんずろ家」へ立ち寄った。
先週は、久々に昼食を「さんずろ家」で・・・と考えていたので、
あえてランチタイムに店に行ってみた。

駐車場も混んでいて、それだけで店の活気が伝わってくる。
自慢の海鮮丼(1,000円)も相変わらずの盛大な量で美味だった。
お昼時なので、女将さんと親方には挨拶だけで退散した。

ようやく「さんずろ家」にも震災前のような活気が戻ってきた。
何よりだと思う。
大槌は、今日から町長選挙と町議会議員選挙が始まる。
この選挙が落ち着いた頃に、泊りがけで行こうと思う。
その時には、久々に女将さんと親方と飲みたいものだ。

大槌在住の和楽器奏者・大久保正人さん

2011年08月22日 | 被災地から
「三陸きぼう海岸」の取材で、大槌にいってから、
しばらく更新が滞り面目ない。
お盆行事のアレコレなどもあり、なかなかブログまで手が伸びなかった。
反省しきり・・・・

今回の取材は、大槌在住の和楽器奏者で、ミュージシャンの大久保正人さん。
彼は、自身のユニット「和美東」として活動している。

大久保さんの自宅は、全壊した町役場付近にあって、同じように全壊した。
自宅にあった太鼓、ギター、笛、尺八からグランドピアノまで、
全ての楽器を流された。
ただ、和太鼓が1個だけ自宅1階部分から見つかった。
「奇跡の太鼓」と呼んでいるそうだ。
被災後二ヶ月間は、音楽を聴くのも嫌だったといい、
全ての音楽が雑音にしか聴こえなかったと僕に語った。

そんな中、「奇跡の太鼓」が新聞記事となり、
それを読んだ山口県の94歳の女性から、
父が使っていた尺八をもらってほしい、という手紙が届いた。
最初は固辞したが、どうしても・・・という事で、
ありがたく頂いて使ったところ、とても素敵な音色がしたという。
それは被災から二ヵ月後の事だった。

それからというもの、被災後のリバウンドのように無性に音楽を創り、
奏でたくなったそうだ。
被災地を回り、同じ被災者として演奏し続けている。
これからも、大久保さんは大槌に暮らし、「語りべ」として
音楽を創り、奏で続けると熱く語ってくれた。

【追記】
大久保正人さんは、星吉昭さんとともに「姫神せんせいしょん」として活動経験がある。

ラジオ番組 野外BBQ収録

2011年08月12日 | ラジオの話
毎週日曜日午後6時から放送しているFM岩手ネイチャープログラム
「焚き火の時間」の野外BBQ収録を始めて敢行した。
場所は、パーソナリティである作家・平谷美樹さんの自宅の庭。

平谷さんのBBQガーデンには、丈夫な屋根が掛けられていて
多少の雨なら平気でいられる。
そこに排水溝の接続部分らしいコンクリートのBBQコンロがあり、
そのコンロを囲む四角いテーブルが施されている。
完璧なBBQセットだ!

ここで平谷流BBQの作法とこだわりを紹介した番組は、
すでに7日に放送しているのだが、
この後、場所を平谷さんの書斎に移し、二次会となった。
その書斎での二次会の様子を14日の日曜日に放送する。

作家・平谷美樹の書斎の様子や先日発売された「百物語 第十夜」の
怖い話、更にもう一歩進んで・・・・
てな内容で放送する。

「焚き火の時間」は、日曜日の午後6時から
下の「radiko 復興支援プロジェクト」のサイトから
全国どこでも聞ける。

radiko復興支援プロジェクト

よろしく!

大槌町寺野避難所ふれあい広場

2011年08月11日 | 被災地から
8月9日、FM岩手の「三陸きぼう海岸」の取材を兼ねて大槌町に
行ってきた。
その途中、釜石の仙人道路を降りたところにある「久能釣具店」が
休業した事は知っていたが・・・・まさか店が別の会社になるとは・・・
写真の状況から、ここが自動車販売会社になることは予想できる。
しかし、久能社長は今どうしているのだろう・・・・

そんな事を思いつつ取材先である「和美東」の大久保さんが待つ大槌へ。
待ち合わせの寺野総合運動公園に設置された避難所脇の「ふれあい広場」に
着くと10年ぶりに会う大久保さんが、麦藁帽子をかぶって待っていた。
この「ふれあい広場」は、被災者とボランティアのコミュニティ広場で
飲料などは無料で誰でも自由に飲めるという。

広場には避難所に暮らす人々やPCをにらむボランティア、
取材記者らしい女性とインタビューを受ける人、
その傍らでは、木製テーブル作りに汗を流すボランティアなどなど、
様々な人々が広場に集っていた。

その時何故か宮沢賢治の「ポラーノの広場」の一説がよぎった。
「ここでは、誰かが歌を歌い、誰かがハムを作り、誰かが薬を作り、
 誰かが踊り、そして誰もが笑顔になる・・・・」
と続く賢治ならではの文章だ。
ここで被災した大久保さんは、静かに音楽活動を再開している。
「和美東」の詳細は後程。

その取材を終えてから、奥州いわてNPOネットの佐藤さんから
託された支援DVD&ビデオを浪板地区の支援基地である
「さんずろ家」へ届けた。
あいにく昼時で店は忙しく、挨拶もそこそこに退散した。
この支援DVDは、奥州市前沢区の保育園&幼稚園のPTAの方々から
浪板地区に贈られたものだ。
避難所は今月で閉鎖になるので、支援DVDも今回が最終便だろう。

仮設住宅もほぼ完成し、被災地はいよいよ次の長期戦に入る。
復興以前の復旧が急がれる。

久慈の「まちなか水族館」昨日オープン!

2011年08月06日 | 被災地から
久慈市の海岸線にあった水族館施設「もぐらんぴあ」は、
あの日津波の直撃を受けて全壊した。
幸い従業員や観光客に犠牲者は出なかったが、
施設がなくなったために、5年の委託契約をしていた組織が、
契約3年目となる今年度の契約を打ち切られた。

職場もなくなり、収入の道も断たれた代表の宇部修さんは、
途方にくれたという・・・・。
その後、久慈市から「国の緊急雇用が使えるかも・・」
という話を聞き、二つ返事で今回の試みに挑む事にしたそうだ。
被災した施設から使えるものを持ち出して、
街中にある空き店舗を「まちなか水族館」として運営する。
まさに水族館再生の新しい道だ。

一年間限定の緊急雇用とはいえ、一年間の収入は確保できる。
施設のスタッフは、9人。広さは150坪。
7年前から交流のある「さかな君」やサンシャイン水族館などからも
支援の手が差し伸べられた。
そしてさかな君は、今回この水族館の応援団長を引き受けてくれた。

なんでも昨日のオープン初日は、かなりの人出があったとか・・・。
久慈市の新しい観光名所となるよう期待している。


種市で潜水士・磯崎元勝君と久々の再会

2011年08月02日 | 被災地から
FM岩手の番組「三陸きぼう海岸」の取材で、本当に久しぶりに
「南部潜りの郷」である洋野町種市に行ってきた。
潜水漁業を専門とする唯一のダイバー組織「磯崎潜水」の代表である
磯崎元勝君から話を聞くためだけに行ってきた。
奥州市江刺から距離にして片道230km。
確かに種市は遠いが、それでもやっぱり逢いに行ってよかった。

彼と再会したのは、実に23年ぶり!
忘れもしない僕が現在の会社を設立する前の1988年、平成元年だった。
当時岩手県には民放TV局は2局しかなくて、僕はもっぱらテレビ岩手から
仕事を頂いていた。
その中でも忘れられない番組が「岩手発情報発信 TVキャッチ」という番組。
「酪農王国 葛巻」とか「一関ウエスタン牧場」とかを制作したが、
一番の自信作は「南部もぐりの郷 種市」だった。
しかも番組が始まってから第2回放送分で、プロデューサーも力が入っていた。
あの時の元勝君は28歳。僕が30歳だった・・・・。

元勝君の師匠筋に当る大井さんという伝説の潜水士と一緒に、
浜で焚き火をたいて潜水士の世界について話を聞いた事を覚えている。
TV取材を終えた後、スタッフを宿舎に返し、元勝君と大井さんと僕の三人で
夜更けまで酒を飲んだ。
あの時の酒の肴は、なんと大ザル一杯の小毛蟹だった。

復旧半ばの半壊した種市魚市場で再会した元勝君は、
相変わらずの良い男で、数年前にようやく結婚して子供も出来たという。
これまで33年間もぐり続けてきたせいで、難聴になってきたらしい。
しかし僕との会話は全く問題なく、元気な様子だった。

震災の日、何故かその日に限って水中無線の調子が悪く、
浜で修理をしている時に地震があって、その後港の水が一斉に引き、
漁港の底が見えたという。
津波が来ると確信し、港にいた全員は船を沖に出すものと、
高台に車ごと逃げるものに分かれてみんな無事だったそうだ。
まぁ詳しくは、番組を聞いてほしい。

何はともあれ無事で元気な元勝君に会って話が出来た事が嬉しかった。
今はホヤ漁の最盛期なので、10月頃に再び種市を訪ね、
一緒に飲もうと約束してわかれた。
必ず10月には再び種市を訪ね、3年前に亡くなったという大井さんの
話を彼から聞きたいと思う。

本物の「南部潜り」磯崎元勝君、司君兄弟が明日も無事に港に帰ることを
森羅万象の神々に祈る。