イーハトーブ岩手の水ブログ

岩手の渓流や三陸の海、みちのく奥州の自然にまつわる出来事や話題を伝えます。更にFM岩手「水のラジオ」の情報も掲載。

矢作の山で山菜採り

2011年05月22日 | 被災地から

快晴の土曜日、山菜採りに行こうと思い立った。
この季節は、平場ならワラビ、斜面ではシドケ(モミジガサ)。
あわよくば、大槌にお裾分けできるだろう・・・などと目論んで、
奥州市と住田町の境にある種山高原に向かった。
ところが・・・・

種山の旧道沿いは、山菜採りの人々の車があちこちに止まっている。
ならば・・・と未舗装の林道に入ったが・・・・
林道に入った直後に、左の沢から黒い獣が登場・・・・熊だ。しかも小熊。
僕も驚いたが、向こうはそれ以上に驚いたらしく、
僕と目が合うととっさにきびすを返して笹薮に走り去った。
その場でしばし走り去る小熊を呆然と見送った。

そこで種山を諦めて住田から陸前高田の矢作の山に場所を替えた。
初めて入る山だったが、ここぞという場所でシドケが採れた。
かなりの急斜面で、かなりハードな山登りになったが、
狙い通りの場所にシドケが理想的な大きさに育っていた。

ひとしきり山を歩き、場所を替える途中の道端で、
道路脇の草地を歩いている三人連れに出会った。
「こんにちは、ワラビ採りですか?」と声を掛けると
「ワラビでも何でもいいんだ・・・、家も流されだがら今日は息ぬぎだぁ~」
と返され、言葉に詰まった。
そこは山菜の山とはいえ、陸前高田市だった。

その山の帰り道、道路を横切る3匹のヘビを横断待ちした。
最初はマムシ、次にヤマカガシ、そして里に近いところでシマヘビ。
一番待ち時間が長かったのがマムシ君。
山の中ではほとんどヘビに出くわす事はないが、
道路ではしょっちゅう見かける。
なんでもヘビは変温動物なので、暖かいアスファルトが好きらしい。

とはいえ、なんだかヘビに叱られたような気がして・・・・
すごすごと帰ってきた。

帰りの車中、ふっと陸前高田・創生ふるさと会議の福田さんから
しばらく連絡がないことが気になった。
しかし・・・こちらから連絡する事は、急かすような事になるので
控える事にしよう。

避難所暮らしの人も支援者も事情は様々・・・

2011年05月19日 | 被災地から

ボランティア活動は、自分ができることを自分ができる範囲で・・・
というのは、僕や僕のブログの理解者である方々も同じなのだが、
岩手県内の活動家の中には、ちょっと無理をしている方もいるようだ。

今日、とあるボランティア活動をされている方とお会いした。
その方は善意から良かれと思い、大槌の避難所に連絡を取り、
「足りない物資は、ないですか?」とたずねたところ、
「幼児の靴、布団、毛布が足りない」と告げられたので、
各方面に働きかけて、幼児の靴(中古)、布団掛け敷き5組、
毛布20枚(新品)を集め、避難所に「明日届けます」と連絡したところ・・・・

「必要な分はすでに揃ったので、申し訳ないが必要なくなった。」
と告げられたらしい。
そこで、その避難所がある自治体に連絡し、どこか必要なところは無いか?
と相談したところ、この時期に布団や毛布、更に中古の靴は不要・・・
と、けんもほろろに門前払いされたそうだ。

そこで、彼は僕にどこかこの救援物資を引き取ってくれるところはないか?
と相談を持ちかけたわけだ。がしかし・・・・
例えば、大槌町の支援物資の供給拠点となっている「さんずろ家」の
女将の話ではないが、生活に最低限必要なものは既に行き届いている。
これから必要なものは、例えば中古でも良いので洗濯機がほしいとか、
夏に向けて下着やサンダル、タオルケットなど、
夏の生活用品という事になる。
また、女性たちのデリケートな必需品など・・・・らしい。

また、何度かこのブログでもご紹介しているような
子供たちに見せたいDVDだとか、書籍だとか・・・
被災地が求めている支援物資は、そろそろ第二段階に入っている。

奥州・いわてNPOネットの菅原理事長も話しているように、
被災地の求めに応じた支援のあり方を我々は考えなくてはいけないのだろう。


【権ぞーの支援DVD】
今日、水沢区のNPOネットに立ち寄ったところ、
栃木のさなちゅんサンから支援DVDが再び届きました。
又してものご支援、心から感謝申し上げます。
このDVDは、大槌で求められている洗濯機が整い次第、
併せて現地に搬入する予定です。
配送のご報告まで少々お時間を下さい。

最近の被災地の様子

2011年05月18日 | 被災地から
3.11から2ヶ月以上が過ぎたが、
一部の被災地ではなかなか瓦礫撤去の作業が進んでいない。
進まない状況には様々な理由があるが、
まず第一に人手不足と機材の不足だろう。
そして、その撤去した瓦礫の処理方法が明確に示されていないところもある。

燃料に使うとか、瓦礫を利用して防潮堤を作るとか、
「希望の丘公園」を作るとか・・・
処理方法が様々に取り沙汰されているが、明確に示されていないのが現状だ。
瓦礫処理にはまだまだ時間が掛りそうだ。

そして、陸前高田などでは新たな問題として「駐車場」がある。
津波で車を流された被災地の人々が、最近ようやく一段落して
生活の必需品として車を買っているのだが、
その多くが中古の軽自動車や軽トラック。
理由は、駐車場の車庫証明が不要だからだが・・・・

只でさえ広くない高台の小中学校の校庭に仮設住宅を建てているが、
その空スペースに車を駐車するものだから、子供たちが遊ぶ場所も
運動する場所も無くなった。

その中古車も値段が跳ね上がっているので、まだ一家に一台・・・
というわけではないが、これで各避難家庭が一台以上の車を持つ様になったら・・・
それはかなり大変な事になる。

とはいえ岩手で暮らすかぎり、自動車は本当に必需品。
車を持つなとはけして言えない。
となると・・・・被災した平場に再び家を建てることもやむなし・・・
なんてことにもなりかねない。

何はともあれ、復興会議の復興計画案を一日も早く示してほしい。




宮古の情報誌「みやこわが町」の横田さん出演

2011年05月15日 | ラジオの話
13日の金曜日・・・FM岩手ネイチャー・プログラム「焚き火の時間」の
収録があった。
今回は、ゲストに被災地・宮古で20年以上も発行を続ける
タウン情報誌「みやこわが町」の編集者である横田アキラさんを迎えた。

横田さんとパーソナリティの平谷さん&アシスタントの高橋政彦さんは
旧知の間柄。
僕も数年前に、椎名誠さんを囲む閉伊川のキャンプでご一緒した事がある。
その時に横田さんが焚き火で作ってくれたピザの味に感動したことを
今でも覚えている。あのピザを越える美味しいピザはまだ知らない。

3.11、あの日横田さんは「みやこわが町」の発行日の翌日で、
書店以外の設置店に配達の途中だったという。
グラッときたときに、「津波が来る!」と察してすぐに高台に逃げたそうだ。

その後は、津波襲来時から今まで写真とビデオを撮り続けてきた。
横田さんは、閉伊川の北側に暮らしているので北側を中心に撮影し
編集長で宮古災害エフエムの代表である橋本さんは、
閉伊川の南側に家があるので南側を中心に写真を撮影したという。

そして、その写真は今話題の「みやこわが町 震災特集号」に掲載され
爆発的に売れている。
もう既に2回増刷したが、それも完売したらしい。
大変な人気だ。

その辺の詳しい話などは、是非番組を聴いてほしい。
岩手県内の方々は、エフエム岩手で。
県外の方々は、radikoの復興支援プロジェクトのサイトで

「radiko復興支援プロジェクト」

放送は、5月15日(日)午後6時~
5月22日(日)午後6時~(30分番組)

特に22日の放送では、被災地・宮古に暮らす横田さんならではの
お話が聴けます。これは必聴でしょう。

様々な支援のかたち

2011年05月12日 | 被災地から

この稚拙なブログの理解者である「ふぉーくサン」から
またしても支援物資が届いた。
この物資は、奥州・いわてNPOネットの菅原理事長へ託し、
陸前高田方面で避難所以外の場所で避難生活を送る方々へ
届けられることになった。
ふぉーくサン、改めてありがとう。

遠野のまごころネットでは、GW後のボランティ・スタッフの減少に
頭を痛めているという。
とはいえ、無理をしても疲弊するだけなので、
今後は週末に来ていただくボランティの方々に期待したい。

FM岩手で昨年9月から始まった県内の5支局による
「ふるさと元気隊」も震災直後は、番組構成などに混乱があったが、
震災から2ヶ月が過ぎ、番組内容もかなり落ち着いてきた。

特に、久慈支局&釜石支局は、それぞれの季節の話題や
イベント情報なども復活し、また被災地からの情報も
当たり前の事として自然に伝わるようになった。
また、被災地の後方支援基地でもある遠野からは、
支局のメンバーが様々なかたちで明るい話題を伝えてくれる。
メンバーも各々が自分にできるボランティアに務めていると聞く。

これからも、それぞれが無理をせず「自分にできること」を
「自分ができる範囲」で寄り添っていけば良いんじゃないか・・・とも思う。
陸前高田の「創生ふるさと会議」も設立から一週間。
今日はこれからそちらに向かおうと思う。

大槌の「さんずろ家」へ支援物資 第3便

2011年05月09日 | 被災地から

GW期間中にもかかわらず、このブログの活動の理解者である
ふぉーくサンから立て続けに支援物資が届いた。
奥州市水沢区の「奥州・いわてNPOネット」事務局の佐藤さんから
事務局に物資が届くたびにメールを頂く。
本当にありがとう。

その物資の一部は、大槌の支援物資の拠点となっている
民宿「さんずろ家」へ、というメッセージがあり、
その物資に僕のところに集まった物資を合わせて届けてきた。

「復興食堂」を開いていた大船渡市起喜来のコミュニティセンターから
国道45号を北上し、真っ直ぐに大槌へ。
さんずろ家の女将は、又してもの物資に感激のご様子。
皆さんに心からの感謝を伝えてほしいと託された。

また・・・
このGW期間中に、なんとこのブログを見ている方々が、
きめ細やかな配慮をされた沢山の支援物資を届けてくれたという。
その物資は、それぞれがパッケージされ、
「10代後半の女性用」とか「50代~60代の男性用」とか
表記され、更にメッセージが添えられていたという。
なんでも神戸からの支援物資がほとんどだったとか・・・・
この物資に、大槌町波板地区の避難所で生活する人々から
「心から感謝します。」
「この救援物資に感動しました。」
と、伝えてほしいとも託された。
僕からも深く御礼を申し上げます。

大槌町波板地区、及び吉里吉里地区は、いまだに電話回線が普通のまま。
今年になって立ち上げたばかりの「さんずろ家」のHPも
震災前のまま、更新もできないという。
本来であれば「さんずろ家」WEBからも皆さんに御礼を述べたいが
そういう状況なので、このブログで代行いたします。

同地区は一昨日、ようやく「水道」が復旧したようだが、
水量がまだ充分ではない状況。
それでも土曜日から「食堂」の営業を始める事ができた。
大槌町方面に向かう方々には是非とも立ち寄って頂きたい。

また、女将から大槌町の避難者達への情報伝達が不十分な状況だと
聞かされた。
かすかに聴こえる「釜石災害エフエム」の放送も
釜石市の情報だけなので、大槌町の様々な情報は、
災害対策本部からの発行される臨時広報(コピー)が頼り。
しかしその広報も避難所まで取りに行かなければならないという。

大槌からの帰路、釜石災害エフエムのスタジオに立ち寄り、
そのことを伝え、「大槌の情報も流せないだろうか?」
と相談したところ・・・・
釜石市公聴広報課の担当者は、
「大槌からの要請があれば・・・」検討するという。
そりゃそうだ。
大槌町からのアクションがなければ、ただのおせっかいになる。(byAC)

とはいえ、町長や多くの職員がが被災した大槌町は、
陸前高田の場合と同様に、なかなかそこまでは思い至らないのだろう。
釜石の民間団体や大槌の青年団体が、何らかの働きかけをすれば・・・
とも考えるが、今はまだ無理なのだろうか・・・・

復興食堂 起喜来店へ

2011年05月07日 | 被災地から

今日は、大船渡の起喜来に、あのシンガーソングライター松本哲也君が
提唱して始まった「復興食堂」が開かれるということで
大船渡に行くことにしていた。
また、この日の復興食堂のゲスト・ミュージシャンとして、
ワンマンバンド「ファニー・トンボ」が出演すると言う事もあり、
是非モノで行ってきた。

このファニー・トンボは、連休中はイベントで盛岡にいたが、
どうしても被災地を慰問に回りたいという本人の希望で
この復興食堂への飛び入り参加となった。
この段取りは、釣り仲間である柴田君が手配したようだ。
なんでも、8日の日曜日は山田町の避難所に慰問に行くそうだ。

しかし・・・ワンマンバンドとはまさに彼の事!
ギター&キーボード&ドラム、そしてヴォーカルを
全て一人でこなしきる!天晴れ!
こなれたパフォーマンスと軽妙なトークもなかなか。
機会があれば、またいつか彼のステージを見てみたいものだ。

「復興食堂」についての詳しくは、復興食堂WEB を見てほしい。

なんでも、起喜来会場は明日も開店。
来週の14&15日は釜石会場で開店する。

今日は、その後に大槌のさんずろ家に支援物資の第2便を運び
その脚で取って返して、釜石の災害エフエムへ顔出し、
FM岩手 釜石支局のメンバーと来週以降の番組のネタについて
少々打合せをしてきた。

その辺の詳細については、次のブログでご報告。

陸前高田 創生ふるさと会議 設立!

2011年05月06日 | 被災地から
5月5日、陸前高田の横田地区にある「川の駅よこた」の会議室で
NPO法人化を目指す民間団体「陸前高田創生ふるさと会議」の
設立総会が行なわれた。
そして、会員相互の承認の上、正式に設立。
今後は、NPO法人として申請業務が進めたれる。

代表は、今や陸前高田の顔役となった八木沢商店会長の
河野和義さん。
そして、副会長にはこの計画に僕を巻き込んだ張本人であるF氏こと
福田利喜さん。(写真中央)
河野さんやその他のメンバーは、この日体調不良や家庭の事情で欠席だったが
過半数の了解のもとに議事は全て承認された。

また、この総会には僕のほかにオブザーバーとして、
東京大学、九州工業大学、明治大学、日本大学の先生方や
東大の学生達も参加した。
ほとんどの先生がNPO法人の設立に詳しい方々で、
組織の細かな部分に対して適切なアドバイスをしてくれた。

設立総会終了後には、各先生方から復興に向けての取り組みについて、
様々な提言を講義形式で聴くことが出来た。
実に勉強になる貴重な体験だった。

東大の小泉先生も語っていたが、
市役所職員の3割が被災した陸前高田にとって、
NPO法人「創生ふるさと会議」は、行政では行き届かない部分を補う
重要な組織になってゆくだろう。

総会後、笑顔で握手した福田さんは、
「まずはこれから災害エフエム放送の開局に向かうだけ。」
と僕に語った。
そして僕は、これからより具体的な支援をするだけだ。



ここであらためてお願いを申し上げます。
【権ぞーから皆様へお願い申し上げます】

これまで僕は、4月11日から放送を続けている釜石災害エフエムの
開局から運営支援もボランティアで継続しております。
両災害エフエムの運営は、スムースな運営軌道に乗るまで
まだまだ時間は必要です。
しかし、正直なところこのボランティア活動を続けるための
活動資金が厳しい状況にあります。

過日、当地でボランティ活動を長く続けている「奥州・いわてNPOネット」の
理事長である菅原恵子さんに、
「活動資金が厳しい状況だ・・・」
という事を正直に相談したところ・・・・

「権ぞーにしかできないボランティ活動がある。続けなさい。」

「ボランティア活動には当然資金も必要なのだから、
 カンパや支援を求めなさい。それはけして恥ずかしい事ではない!」

と励まされ、背中を押されました。

そこで僕も意を決してお願いを申し上げます。
釜石災害エフエム放送のボランティア・スタッフとして従事するためと
併せて、これから開局を予定している陸前高田災害エフエムの
開局準備とその後の運営にボランティアに従事してまいります。
どうかそんな僕を応援していただけないでしょうか。

甚だ厚かましいお願いではありますが、
ボランティア活動支援のためのカンパ&援助をお願いします。

【ボランティア資金カンパの振込先】

■ジャパンネット銀行 本店営業部 4435314

■ゆうちょ銀行 記号番号18320-12914061

    口座名義人 カンノ ヨシヒコ


何卒よろしくお願い致します。

陸前高田災害エフエム 進捗状況 5/2

2011年05月04日 | 被災地から
連休の狭間の5月2日月曜日の午後に
陸前高田のF氏から連絡があり、
「今日の夕方に、日本コミュニティ放送協会(JCBA)の幹部が陸前高田に入る・・・」
というので、それならば・・・・と僕も現地に向かった。

F氏との待ち合わせ場所は、災害対策本部が置かれている給食センター。
その日の国道は車の数は多いものの渋滞するほどではなく
午後4時には、現地に着いた。
とても風の強い日で、復旧作業も中止した場所も多かった。

午後4時半過ぎに関係者が集まり、給食センター2階の座敷で
会議が行なわれた。
参加者は、市の広報担当者、JCBA2名、エイド陸前高田3名、
そしてF氏と僕。
F氏が切望していたこの会議を招集し、仕切ってくれたのは、
陸前高田ふるさと大使で元UNHCR(国連弁務官事務所)幹部の村上清さん。
この方の働きかけによって戸羽市長も災害エフエムの必要性を理解した。
まさに村上さんの豪腕で会議は招集された。

会議後、送信所として想定される場所を2ヶ所関係者5人で視察した。
送信所といえば、「山の頂上」!
途中まで車で行けるが、そこから先は登山・・・という場所や
車で頂上まで行けるが・・・未舗装の悪路・・・という場所。
流石にまいった。

しかし、その山頂からF氏と陸前高田の夕景を見下ろし、
思わず溜息が出た。
夕闇の中でその町は、灯りさえ燈っていない。

しかし、F氏は
「だからこそこれからの陸前高田にはラジオが必要なんだ」
とコブシを握っていた。

5月5日には、「陸前高田 創生ふるさと会議」の設立総会がある。
さぁ、これからだよ!

人の心の荒廃が気がかりだ・・・

2011年05月01日 | 被災地から

釜石災害エフエムにアドバイスに行った後に
大槌の民宿「さんずろ家」へ支援物資を届けに行った。

僕の理解者であるNPO法人「奥州・いわてNPOネット」に
又してもふぉーくサンから支援DVDなどが届いた。
更に友人・万渓巌(大石哲也)氏からも支援の本が届いた。
それらを持って、僕たちから大槌への支援物資の拠点である
民宿「さんずろ家」の女将さんのもとへいってきた。

またしてもの支援物資に恐縮しながらも笑顔の女将。
そこで写真を一枚・・・。
そこに、ここに泊り込んでいる岡山から来ている強面の青年が、
「女将!どうなってるんや!!!」と怒鳴り込んできた。

聞けば、
仮設住宅建設のために彼が率いる職人グループのメンバー18人が、
2週間前から「さんずろ家」を宿舎にしているというが、
そこに親会社の指示で新たに20数人大槌に入り、
宿舎が足りないので、「さんずろ家」に更に増員する事になったらしい。

ただでさえ小さな民宿の狭い部屋と座敷に雑魚寝している職人達の所へ
まったく交流の無い職人グループが更に詰め込まれる事になるという。
すると、彼らのグループが暮らす部屋に新たに何人かが入るという・・・
「これじゃ、刑務所より酷い!」
と岡山の青年が怒るのも無理は無い。

しかし・・・・
それは「さんずろ家」の女将が決めたことではない。
女将に怒鳴ったところで解決するはずも無い。
それも彼はわかっているから、女将に甘えるように怒鳴っているのだ。
という事が良く分かった。

思わず横から口を挟みそうになったが・・・こらえた。
女将にも彼にもどうすることもできないんだもの。
宿舎がある職人はまだましだという。
車で寝泊りしている職人たちもいるという。

どうにも進まない復旧作業の中で、その苛立ちから
こんなふうに人の心がすさんでいく事はとても悲しい。