晴天ではあるが、風の強い土曜日だったが、どうしても川を見たくて気仙川に出掛けた。いつの間にか北上山系の森は、眩いばかりの新緑に変わり、まさに「山笑う」季節となっていた。
道路沿いの林には、野生の藤の花が咲き、風に揺れていた。
一昨日からの雨で川は増水していたが、流石気仙川は濁りもなく美しい流れだ。その流れの中にポツリポツリと魚が跳ねている。
強風にいじめられながらも何とか3尾ほど取り込み、2時間程度で竿を納めた。
車に戻るとボンネットに薄く黄砂が積もっていた。
遠い山並みに目をやると見慣れた風景が古いフィルムのように見える。
20年ほど前の釣りを始めた頃、まだ餌釣りの未熟な釣り師だった時に、釣れない苛立ちと失望の帰り道に見た黄砂の風景を思い出す。
早坂高原の牧草地の高台から見渡す北上山系の森が、切ないほどセンチメンタルな絵画のような風景に映った。
そして、たまらなく誰かに会いたくなった事を思い出す。
家族だったのか、友達だったのか、それとも大好きな人だったのか・・・
それは忘れたけれど、その時僕は寂しさに押しつぶされそうになった。
以来、僕にとって黄砂の降る風景は、孤独な匂いが付きまとう。
「釣りは、幸福な孤独だ」とうそぶいてはいるが・・・
そんな時もあるのさ。
道路沿いの林には、野生の藤の花が咲き、風に揺れていた。
一昨日からの雨で川は増水していたが、流石気仙川は濁りもなく美しい流れだ。その流れの中にポツリポツリと魚が跳ねている。
強風にいじめられながらも何とか3尾ほど取り込み、2時間程度で竿を納めた。
車に戻るとボンネットに薄く黄砂が積もっていた。
遠い山並みに目をやると見慣れた風景が古いフィルムのように見える。
20年ほど前の釣りを始めた頃、まだ餌釣りの未熟な釣り師だった時に、釣れない苛立ちと失望の帰り道に見た黄砂の風景を思い出す。
早坂高原の牧草地の高台から見渡す北上山系の森が、切ないほどセンチメンタルな絵画のような風景に映った。
そして、たまらなく誰かに会いたくなった事を思い出す。
家族だったのか、友達だったのか、それとも大好きな人だったのか・・・
それは忘れたけれど、その時僕は寂しさに押しつぶされそうになった。
以来、僕にとって黄砂の降る風景は、孤独な匂いが付きまとう。
「釣りは、幸福な孤独だ」とうそぶいてはいるが・・・
そんな時もあるのさ。