イーハトーブ岩手の水ブログ

岩手の渓流や三陸の海、みちのく奥州の自然にまつわる出来事や話題を伝えます。更にFM岩手「水のラジオ」の情報も掲載。

釜石災害FMから

2012年02月27日 | 被災地から
コメントを頂きながら、それに気付かず大変失礼しまし。

2月上旬にyoshiさんから、
釜石災害FMが支援を求めていたPCについて
「PCの手配はついたのですか?」というコメントを頂いてました。
ありがとうございます。

釜石災害FMが支援を求めているPCは、まだ手配がついてません。
スタッフが困っている事を知った釜石市の職員の方が、
市役所でPCを何とかしようと、働きかけてくれたのですが・・・
様々な規制があって役所から持ち出せない事になったようです。
現場では、そのPCを期待して待ってたのですが・・・・
という状況で、まだPCの手配はついていません。
どなたかご支援を頂ける方がいらしたら、よろしくお願い致します。

連絡先は、
〒026-0031
釜石市鈴子町2-1
サンフィッシュ釜石2F FM岩手釜石支局内
かまいし災害エフエム

メールアドレス:kamasai860@gmail.com
FAX  0193-55-4202
※電話はありません。
担当:猪又、三浦


また、日頃市のルアーマンさんから、大船渡の盛川の状況について
コメントを頂きました。ありがとうございます。

僕も先日、大槌町の取材の帰り道に住田町の気仙川を下見してきましたが、
水量、水色などは問題ないようです。
がしかし・・・、ノーライズです。
まぁ、気温3℃では無理の無い事です。当然羽虫も飛んでません。
明日、大船渡方面に取材に行く予定なので、
盛川の様子なども見てこようと思ってます。

名産「のだ塩」が「薪の火」で復活

2012年02月23日 | 被災地から
先週のバレンタインデーにFM岩手「三陸きぼう海岸」の取材で
野田村の「のだ塩工房」にお邪魔した。

奥州市から片道220km。
高速道路を利用しても、片道2時間30分。本当に遠い。
県北に釣りや取材に行くたびに岩手県の広さを実感する。
しかし、行って良かった・・・・。しみじみ思う。

1月30日に野田村の名産「のだ塩」を精製する新工房が完成した。
津波で流失した工房を高台に再建、従来の重油ではなく、
まき火を使った伝統的な手法で製塩する。
震災発生から1年となる3月11日までに販売を再開するのが目標だという。

「のだ塩」は、鉄鍋で海水を蒸発させる「直煮(じきに)製法」が特徴。
海に面し、砂鉄が豊富だった村で400年以上前から作られてきた。

一時途絶えたが、村おこしのシンボルにと地元青年会が1998年、
まきの代わりに重油を使って製塩を再開。
月に100キロを製造するまで需要が高まったものの、
人手不足から村の第3セクター「野田村産業開発」が5年前に引き継いだ。
しかし震災後、製塩の職人は坂下さんだけになった。

坂下さんは、震災当時まさに工房で塩の精製作業中だったという。
自宅のある高台に避難して自身や家族は無事だったが、
叔父さんと従兄弟が、津波の犠牲になった。
また、塩作りの師匠でもあった先輩職人が、生活のために
野田村を離れたことなどもあり、
そのショックで一時は塩作りも諦めかけていた。

しかし「のだ塩」の復活を望む声が全国から届き、
村内の高台で経営する宿泊施設の敷地内に新工房を建設した。
取材日(2/14)の時点では「まだ50%の出来栄えだ」と坂下さんは語ったが、
試食した塩はかなり深い味わいだった。
3月11日の販売再開が待たれる。

坂下さんのインタビューを含むラジオ番組「三陸きぼう海岸」は、
明日2月24日金曜日 午後2時45分から
radiko復興支援プロジェクトで全国で聴取可能。
お手すきの方は是非聴いてほしい。

ようやく奥州市にも支援組織設立

2012年02月19日 | 被災地から
2月18日(土)、ようやく奥州市にも被災地の後方支援のボランティア組織が
誕生した。本当に遅まきながら・・・・やっと・・・という思いだ。
名称は「復興支援 奥州ネット」。

具体的な支援の形としては、奥州市から程近い大船渡、陸前高田、気仙沼を
中心に、ボランティアの派遣を予定している中央大学などの学生さん達の
宿泊施設の確保や被災地までの送迎などの手配が、急ぎの作業になる。

その他にも被災各地からの要望を聞き、それに対応する準備を始めている。
また、以前から北上川流域の環境課題について交流のある石巻市への
支援なども行っていくという。

実は、地元のNPOの理事長から声を掛けられ、
以前からこの組織の準備委員会に参加していた。
盛岡や北上、一関、遠野には、震災直後から後方支援組織や団体が
出来ていたにも関わらず、奥州市では何も進んでこなかった。

震災から間もなく一年になろうとするここに来て、
ようやく設立とは・・・・・ふぅ~、何とも情けない・・・・。
しかし、この組織のアドバイザーには、東大名誉教授の似田貝香門先生が
参加してくれることになった。
遠野まごころネットの設立・運営にも関与した似田貝先生のアドバイスが
あるとすれば、とっても心強い。

僕は、この組織の一会員として、
出来る事を出来る範囲で手伝いたいと思う。

仮設商店街は、原則「2年限り」

2012年02月13日 | 被災地から
あの日から、遅れに遅れてようやく整いつつある仮設商店街や
仮設飲食店街だが・・・・
釜石や大船渡、宮古市田老、野田村などでは、
最初の仮設のオープンが昨年暮れの12月だった。

そして、陸前高田ではようやく3月下旬に仮設商店街が開業見込みだという。
しかも、その仮設商店街&飲食店街は、
「原則2年限り」だと聞いて驚いた。

いったい2年間の仮設営業で、何ができるというのか?!
新たに別の場所に自分の店を構えて再開するにしても・・・
たった2年間で、その資金を蓄えられると思っているのだろうか?

役所では「あくまでも原則です」というけれど、
それならば、5年以内とか、最長10年までとか、
そんなふうに柔らかい縛りにならないものだろうか・・・

原則2年は、その他にも「災害エフエム放送局」も同様で、
一番早くから放送を開始した宮古災害FMの場合は、
3月20日で放送開始から1年を迎えるので、
来年3月からはコミュニティ放送局に変わる準備をし始めているが、
3月29日から放送を開始した大船渡災害FMや
4月11日から放送を開始した釜石災害FMは、
来年の災害FMとしての免許が切れた後のことは、まだ未定だ。

昨年の暮れに開局した「陸前高田災害FM」は、まだ始まったばかりだが
いずれはその後について、考えなければならない事になるだろう。

原則2年の詳しい理由をいつかその筋の方から説明を仰ぎたいと思う。

写真は、昨年暮れに開業した釜石の「呑ん兵衛横丁」仮設飲食店街。

雪の陸前高田

2012年02月08日 | 被災地から
報告が遅くなったが、先週末の土曜日、陸前高田に行ってきた。
先週の大雪で、内陸奥州市内の道路という道路は、大変な状況だったので、
沿岸までの難所である種山峠は避けて、一関市大東町から陸前高田の矢作に
抜けるルートを選んだ。
しかし、比較的雪の少ないルートにもかかわらず、ところどころで圧雪凍結!
奥州市から陸前高田まで、2時間弱も掛ってしまった。

とはいえ、まぁ無事に陸前高田に到着したが・・・・
大東町大原から矢作に向かう国道343号線に、車がほとんど走っていない!
土曜日のお昼だというのに・・・・僕の車の前後に一台も車が走っていない!!
対向車は何台かすれ違うものの、高田に向かう車が無い。
週末は、復旧関係の方々もボランティアの方々も休みなんだろうか?
秋頃までは、土日であろうと陸前高田へ向かう397号線も343号線も
ひっきりなしに車が走り、遅い車の後ろには長い車列が出来ていたのだが・・・・

その日の取材先は、和菓子店「小泉屋」の店主・熊谷薫さんと奥さんの和子さん。
昨年暮れの12月から、避難している作業小屋の脇に自前で工房を建てて
営業を再開している。
この熊谷さんが凄いのは、以前から地震のたびに避難する習慣があったことだ。

市街地の店から離れた高台に「畑」を所有していて、
時間があるとこの畑で、野菜などを育てていた。
そして、その畑作業のための「作業小屋」を、これまた手作りで建てていた。
畑作業が一段落すると、その作業小屋のストーブで湯を沸かしお茶を飲む・・・
という日常を送っていて、
以前から地震があると、奥さんと連れ立ってこの小屋に避難していたそうだ。

あの日も近所の方々は、避難する気配もながったが、大きな地震だったので、
まずはいつもどおり小屋に避難した。
ストーブに火をおこしてしばらくすると・・・・・
近所の家がすぐ目の前まで流れてきたという。
その瞬間、自分たちの店も終わった・・・と感じたそうだ。

それからしばらく仮設店舗の完成を待っていたが、
いつまでたっても仮設ができない状況が続き、お盆を過ぎても、
秋になっても全く埒が明かないので、狭いながらも自前で工房を建てて
和菓子店「小泉屋」の営業を再開している。

※詳しくは、2月17日放送のFM岩手「三陸きぼう海岸」で!
 radiko復興支援プロジェクトで放送

波板のサーフショップ「Kサーフ」釜石仮設店舗

2012年02月01日 | 被災地から
一昨日の30日に二週間ぶりに釜石に出掛けた。
浪板海岸でサーフショップ「Kサーフ」を経営していたご夫婦が、
震災後、ネット上で被災状況を報告したり、復旧の進捗状況について
意見を述べたりしてくれていたのをよく見ていた。

特に震災後の海岸清掃を呼び掛け、
多くの方々が清掃活動に参加していた記事では
自分自身が参加できなかったことがとても悔やまれた。
Kサーフが呼びかけた「ビーチクリーン」活動は、
震災前からの恒例行事だったのだが、
震災後は改めて重要な活動だと思い知った。

そのKサーフが、昨年暮れの12月10日に、
晴れて釜石市の青葉仮設商店街で営業を再開した。
ということで、いつかは訪れたたいと思っていたところ、
釜石市公聴広報課の三浦さんからお呼びが掛ったので、
これ幸いとばかりに、アポ無で大変失礼とは思ったが、
飛び込みで取材に伺った。

突然のお願いにも関わらず、奥さんである杉本利江子さんは
快くインタビューに応じていただき、震災後の状況やら
震災後の「ビーチクリーン」活動についてお話を伺った。
その模様は、2月10日(金)放送のFM岩手「三陸きぼう海岸」で!