イーハトーブ岩手の水ブログ

岩手の渓流や三陸の海、みちのく奥州の自然にまつわる出来事や話題を伝えます。更にFM岩手「水のラジオ」の情報も掲載。

陸前高田のシンポジウムに参加

2011年09月27日 | 被災地から
9月25日、陸前高田市内の竹駒コミセンで、
まちづくりの構想について市に提案する場
「こんなまちになったらいいな、陸前高田」が開催された。
主催団体の中に親交のあるNPO法人「陸前高田創生ふるさと会議」が入っていて
その副理事長である福田利喜さんからお誘いがあった。
それならば・・・と種山を越えて出掛けてみた。

子どもたちも含め、複数団体が、陸前高田のまちの復興計画について
戸羽市長、久保田副市長にプレゼンテーションを行った。

プログラム(順不同)
1 陸前高田1000 年未来会議が描く将来ビジョンの発表
2 市内小中学生たちの「こんなまちになったらいいなあ」作文&絵画の発表と表彰
3 陸前高田出身大学生たちの描く将来ビジョンの発表
4 グリーン・インフラ構想の発表
5 東京4大学仮設住宅団地調査報告・後方支援組織「ふらっと」の地域再生活動報告

僕が面白いなと思ったのは、子供たちの発表で、
気仙川のほとりに「高田城」なる建物を建てて観光客や地元の人との交流、
果ては子供たちとお年寄りが常に交流する場を作る・・・・とか、
「あそび場」を地区ごとに何箇所か作る・・・だけど一箇所は、
「18歳未満だけのあそび場」にする!
なんて自由なんだろうと感じた。
そして、子供たちは陸前高田の復旧・復興を楽しもうとしているな・・・
と感じた。

この子供たちの発表には、戸羽市長も含めて開場全体が
笑顔になったことも付け加えておこう。

今年も釣友が岩手に来てくれた

2011年09月20日 | 川と森の話
震災以来、ほとんど釣りに行っていなかった。
4月、5月頃に川を見に行った時に、川のほとりを走る自衛隊や
ボランティアの車両、救援物資運搬の車両の多さを見て、
とても竿を出す気持ちになれなくなった。
以来、釣りをしている場合じゃない・・・という気持ちから
まったく釣りに出掛ける気が失せていた。

しかし、毎年九月に岩手を訪れてくれる釣友・万渓巌こと大石哲也氏が
忙しい合間を縫って今年も岩手に来てくれるということで、
仕事や雑事のアレコレを調整して、16日から18日までの
2泊3日で岩泉にいく事ができた。

16日の午後2時過ぎに盛岡駅に到着した彼をピックアップして、
途中キャンプ食材を買出しし岩泉・小本川のキャンプ設営場所へ。
しかし・・・それまでの一週間、まとまった雨も降っていなかったにもかかわらず
何故か小本川は増水していた。・・・・
それでもその流れのトロ瀬を狙ってみる・・・という彼の言葉で
まずはそこでイブニングを釣る事になった。
ところが・・・
車の中に僕のフィッシング・ベストが無い!!!

盛岡郊外のスーパーで買出しをして、荷物を積み込む際に
駐車場に置き忘れたらしい。
慌ててスーパーに電話すると・・・・
「釣りのベストなら届いてますよ。」との事。
イブニングを釣る東京の旦那を川において、盛岡までベストを取りに戻った。
往復2時間・・・・情け無い。

テント場に戻ると彼はランタンの灯りの下で既に飲んでいた。
それから簡単な夕食と酒肴をつまみながら久々に川のほとりで
酒を酌み交わした。
会えなかった時間の様々な出来事や学習について、
50過ぎのオヤジ二人の闇語り・・・・。

草地に立てたテントは大正解で、久々に大地の上で熟睡した。
2日目は、大川を釣り歩き、午後には安家川へ。
大漁を目論んでいたが、久々の釣りはそんなに甘くなかった。
野球でいうなら投手戦のような低釣果・・・まぁそれも釣りだな。

安家川のイブニングも全くの不発。川がほんとに素っ気無い。
それでも安家川・山小屋の夜は、岩泉ホルモン鍋を中心に
あれやこれやをつまみに酒が進み、オヤジ二人の闇語り「第二夜」
となり、話と想いはますます深みへと向かった。

その夜は、台風が近づいているせいか雨が降り続く夜だった。
そして3日目の朝、なんと安家の森は土砂降りの雨に包まれた。
川はもちろん大増水!!
そこで僕達は今年最後の釣りを諦めて、八幡平の温泉へと向かった。

岩泉から北緯40度千にそって葛巻町、岩手町を抜けて八幡平へ。
「森の湯」でゆっくり風呂につかり、高速で盛岡南インターから下りて
都南の「さくら庵」で蕎麦。
その後、盛岡駅から東京の旦那は都心へと帰っていった。

少々心残りがあったが、今年も濃密な森と川の時間を
二人で過ごす事が出来た事はとてもありがたいと思う。
来年は、4月のヒカリ釣りから一緒に川にいたいものだ。

今シーズンは来週で終わるが、来年はこの川の現実と
真正面から取り組んでみたいと思う。
岩手の沿岸河川は、良い意味でも悪い意味でも大きく変わった。
それを来シーズンこそは、真剣に見つめてみたい。
来年も一緒に川を歩こうな、相棒。

宮古市赤前の浜で地引網

2011年09月15日 | 被災地から
13日の火曜日に三陸きぼう海岸の取材で宮越の赤前の浜にいってきた。
震災で被災した独立行政法人「水産総合研究センター」が、
6月から定期的に同じ場所で地引網を引いて、
沿岸海域の魚介類や海藻の状況を調査しているというというので、
三陸の海の回復状況を聞いてみたくて取材に伺った。

7月に宮古市立赤前小学校に勤務する友人を訪ねて以来の訪問だったが、
奥州市江刺からどのルートで行くのがベターなルートなのかを
事前に友人HSから電話で聞いたところ・・・
遠野から国道340号で立丸峠を越えて川井経由で行くルートが
一番早くて距離も近いという。
そのアドバイスに素直に従ったところ・・・思いのほか交通量が多い。
それもそのはず、午前8時に出発では交通量も当然多い。
彼はいつも日曜日の夜に宮古に戻るので、交通量の少ない時間帯の移動だ。
ちょっとした誤算はあったが、なんとか約束の時間前に現地に着いた。

水産総合研究センターのグループ長で農学博士の青野英明さんを中心に
5人のスタッフがウェットスーツ姿で浜で待っていてくれた。
挨拶もそこそこに地引網に入った稚魚を見せてもらった。
チカ、ソイ、アイナメ、タナゴなどの稚魚の他にクロダイの稚魚もいた。
これには驚いた。
三陸沿岸には、これまでクロダイ釣りの話など聞いた事もなかった。
なんでもそれらの稚魚は全て震災後の生まれだろうという。

この稚魚たちの棲家として最適なアマモが復活しているという。
それで稚魚が生まれ育つ環境が整い始めているらしい。
青野さんの詳しい話は、9月23日(金)午後2時45分から放送の
三陸きぼう海岸を聴いて頂きたい。

しかし・・・・
やっぱり海はいいなぁ~。
これで以前のように船に乗って釣りに出掛けられたら・・・
次回は釣り船の船頭さん達の話を聞きに行ってみたい。
呑気に釣り船に乗れるのは、いつになるんだろうか・・・
ふぅ~

岩手の選挙が終わった

2011年09月12日 | 被災地から
三月に予定されていた岩手の地方選挙が、半年延長され
昨夜ようやく決着した。
岩手県知事は、ダントツで達増拓也氏。
民主党王国・岩手の象徴のようなものだ。

だがしかし・・・県議選では民主党も苦戦した。
結局改選前と同じ「23議席」。
そして、選挙に立候補した知人たちも悲喜こもごもだ。

花巻でコミュニティFM局「エフエム・ワン」の開局に奔走した
元市議会議員の名須川晋さんは、めでたく当選。
昨年9月1日に開局した花巻FMの開局準備会で事務局長として
まさに東奔西走した人物だ。
開局から一年・・・・ラジオ局も名須川さんもこれからだね。

また、我が郷土・奥州市では、定員5議席を民主党議員が独占した。
まぁ、小沢王国ですから・・・・さもありなん、というところだが、
岩手競馬の存続に奔走した亀掛川さんは、残念ながら落選した。
本当に無念だろう・・・
これは、彼が所属する「地域政党いわて」が、知事選で自民党候補の
応援に回ったことが原因だろうと言われている。
椎名悦三郎、そして椎名素夫と、親子に二代にわたり秘書を務めた人で
椎名後援会が支援していたのだが・・・・

残念といえば・・・・
陸前高田でNPO法人「創生ふるさと会議」を立ち上げ副理事長を務める
福田利喜さんも残念ながら落選した。
自民系VS民主系の被災者対決だったが・・・本当に残念だ。
ただ・・・福田さんにはこれから地元でやるべき事が山積している。
落ち込んでいる時間はないだろう。

また、10議席に16人が立候補した盛岡選挙区では、
あのグレートサスケ氏も落選。
元衆議院議員の中村力さんも落選。

そして、八幡平選挙区では、僕達の仲間でもあったフリーアナウンサー
川村龍雄さんも残念ながら落選した。
一昨年の市長選挙落選からの再チャレンジだったが・・・・

何はともあれ選挙は終わった。
「ノーサイドにしましょう」と言った野田総理の言葉がよぎる。
本当にまずはここで一旦、ノーサイド!
これからそれぞれがやらなければならない事が沢山ある。
議員であろうがなかろうが、それぞれの立場で復旧に取り組まなければ・・・
そして、その働きが再び4年後に評価される。
道はまだまだ長く、そして険しい。

大槌町にも災害エフエムが・・・

2011年09月07日 | 被災地から
昨日久々に釜石に行って来た。
「三陸きぼう海岸」の取材を兼ねて、FM岩手の釜石支局と
釜石災害エフエムに顔を出そうと考えていた。

今回の被災地での取材は、リラクゼーション・サロン「おひさま」を経営する
ホロイワヒロコさん。
ご多分に漏れず彼女もサロンが全壊したが、その後避難所を回って
ボランティアでリラクゼーション・マッサージを続けてきたという。
先月8日に「わらくカフェ」のオーナーのご好意で、
釜石パンション7階に仮店舗をオープンさせた。

釜石市が取り組んでいる仮説商店街が11月頃にオープン予定なので、
そこに入るまでここで癒しのマッサージを提供するという。
流石にリラクゼーション・サロンのオーナーだけあって、
話を聞いているだけで癒された。

その後、釜石支局を訪問すると災害FMのスタッフから
「なんでも、大槌町にも災害FMが開局するらしい。」
という話を聞いた。
現在、釜石災害でも大槌町の情報を放送しているが、
どうしても地形の問題で電波が届きにくい状況だ。
現地に災害局が開局すれば、大槌町の情報だけを広範囲で聴く事が可能になる。
もしも、声が掛るようなら是非ともお手伝いしたいと思う。
関係者の方がこのブログを目にするようなことがあれば、
お気軽にコメント下さい。

また、現在釜石駅前のシープラザでは、地元の菊地写真館のご主人が撮影した
被災直後からの写真展を開催中で、公聴広報課の三浦さんに奨められて
僕も見学してきた。
報道写真にはない、静かな迫力が伝わってきた。
機会があれば是非菊地さんの写真展を見てほしい。

その帰り道、遠野支局に立ち寄り、和やかに働くスタッフ達に癒されてきた。
ほんと遠野支局は、話題に事欠かないところだ。
そういえば来週の放送が第50回目の放送となる。
ということは・・・そろそろ開局から丸一年を迎えることになる。
久慈も八幡平も・・・。
さて、その後はどうなるのだろう。ちょっと心配。