イーハトーブ岩手の水ブログ

岩手の渓流や三陸の海、みちのく奥州の自然にまつわる出来事や話題を伝えます。更にFM岩手「水のラジオ」の情報も掲載。

民宿「さんずろ屋」女将、無事でした。

2011年04月12日 | 被災地から
先週から今週にかけて、釜石市の臨時ラジオ局の開局準備で、
釜石へ4往復していた。
その災害エフエムの話は、次回にするとして・・・
まずは前回の訪問の際に会えなかった大槌の民宿「さんずろ屋」の女将に
ようやく逢えたお話を。

前回のブログに、栃木の「さなちゅん」サンからコメントを頂いた。
なんでも5年前にさんずろ屋に泊り、あの料理と海の美しさが
鮮やかに記憶に残っているという、その方も女将の安否を案じていた。
そのことも伝えたくて、今回も会えないかもしれない・・・と思いながらも
まずは、さんずろ屋に向かった。

すると・・・海の見える食堂の窓際で、女将は海を見ていた。
店の外から手を振ると、女将が駐車場まで出てきて、
思わず二人でハグしてしまった。
相変わらずのおおらかな表情だったが・・・
「毎日泣いて暮らしたさぁ。」という言葉に何も言えなかった。

店を手伝っている女性従業員が、九死に一生を得た話が凄かった。
地震後の津波第1波は、比較的低かったようだが国道を越える波だったそうだ。
その波が引いたところに、近所の人々が引いていく波を見に集まっていたという
40~50人はいたらしい。
そこをクラクションを鳴らしながら、自宅のある大槌方面へアクセルを
思いっきり踏み込みながら坂を上ったそうだ。
坂を登りきる直前(吉里吉里トンネル手前)で、
男性に「トンネルの向こうは危険だ!」と止められ、後ろを振り向くと、
すぐ目の前に、あの第2波の津波が押し寄せていたという。
その瞬間、彼女はあの国道にいた沢山の人達の事を思い出し、
愕然としたらしい。

女将さんの親戚、友人、知人も沢山亡くなった。
「泣き疲るってことを初めて知った。」と彼女は言った。

電気は三日前に復旧したが、水道がいまだに断水らしい。
それでも彼女の家は、井戸が仕えるので暮らしに不自由はないが、
店の営業には、もう少し時間が掛るようだ。
「やることもないから、店を営業したい。」とも言っていた。

何か必要なものはないか?と聞いたが、
生活に必要なものはだいたい揃ってきたという。
しいていえば・・・子供たちが見る映画などのDVDがあると嬉しいと言っていた。

このブログを読んでいただいた方で、
もしも被災地の子供たちに見てほしいという映画のDVDを寄贈頂ける方がいたら
コメントを頂ければ幸甚です。
さんずろ屋の子供たちだけでなく、避難所にも届ける事ができれば
きっと喜んでもらえると思う。
ただ・・・こんな時だからこそ、子供たちに見せたい映画とか映像・・・
案外難しいことではありますが・・・。

前回のブログから更新が滞っていた分、
実は書きたいこと、書くべきことが沢山たまっているので、
随時更新していきます。